不条理な死を悼む
先日図書館で借りてきた法医学の鑑定士さんの本を読み切りました。
普段生活をしている中で死を身近に感じることが少ないため、本に描かれた様々な最期を遂げた遺体の話は読むたびに僕の胸を衝いてきました。
特に、不条理な死を遂げた人の話は読んでいて非常に辛かったです。
保険金のために殺されてしまった人、諍いのために殺された人。
きっとまだまだ生きることができたであろう人生があっという間に、本人の意思と関係なく絶たれてしまったのです。
これまでそうした事件というのは、漫画やドラマなどの創作上のものでしか知らず、その人について考える、ということは一度もなかったです。
でもこの本に出てくる遺体は筆者の経験を元に綴られている以上、モチーフとなった人が、そしてその人生が現実世界にあったのです。
だからこそ、そこで不意に絶たれてしまい、誰にも等しく与えられた末路を汚された方のことを偲ばずにはいられませんでした。
だからこそ、「死人に口なし」と言われてしまう死体の状態から死の間際に何が起きたのかを考察し、死者の汚名を雪ぎ、時に雪辱を果たす一助となる鑑定士の仕事が大変に崇高なものに感じられました。
そして、いつ自分にも死が訪れるかわからない以上
「生の中で何を成した」を確実に確立することは難しいと感じられました。
例えば、本を出す、何か発見をする、これらは運の要素も絡むため生きてい間に確実に達成することは難しいでしょう。
だけれども、「どう生きたか」このことは日ごろから実感できることだと思います。
例えば、毎日悔いなくやりたいことをして生きる、など。
自分はどう生きるか、を再度考えるためにこの本を再読したいと思います
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