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短編小説『夏の手帳』(自己紹介を添えて)

夏の手帳

 ぽつり、ぽつり。嫌というほど耳に馴染んだ音が、今日も聞こえてくる。それは、次第に間隔を狭め、やがてこの町の空気を変えてしまう。
〈本州では未だ梅雨明けの見込みは立たず、今日も非常に強い雨が各地で相次いでいます。また、山間部では土砂災害の危険性も高まっており――〉
 点けっぱなしのテレビから、深刻そうな顔をしたニュースキャスターが話しかける。今日も水浸しの道を歩く憂鬱さを振り払い、制服のネクタイを締める。
「行ってきまーす」
 ドアを開けると、今日一日を乗り越えようという尊大な意思を打ち砕くかのように曇天が笑っていた。憂鬱になりながらも、行き場を失いそうになった歩を進める。雨の日の通学は、一秒たりとも気を抜くことは許されないのだ。まず凝視しなければならないのは足元だ。舗装が甘い道では、幾つもの罠が仕掛けられている。足を踏み入れれば最後、日中湿った指先と共に過ごすことになる。また、周囲との距離感も大切だ。並木に傘を引っ掛けた日には、道行く子どもたちに笑われ――
 ザパンッ!と、すぐ隣から大きな音が聞こえる。塗装された金属の塊が、猛スピードで走り去っていく。
「......」
 いくら努力しても無駄なことが人生には溢れていると、水の滴るスカートを見て思う。
「あーあ、なんか馬鹿みたいだな」
 半ば嘆くような声を上げながら、ふと天を仰ぐ。果てのない灰色の海。その合間から、まるで別世界からの誘いのように、一筋の光が差し込んでいた。その幻想的な光景をみて、思わず天使が舞い降りているかのような空見をしてしまう。思わず目をこすり、もう一度空を見上げた。天使……いや、人影?が、空から舞い降りてくる……というよりも、あれは落ちてきてる!??
 日常を飛び出し、少女は光の照らす方へと駆け出していた。

「晴海(はるみ)おはよう!真面目な晴海が遅刻なんて珍しいね……って、制服びしょ濡れじゃん!?どうしたの?」
 見慣れた教室に向かうと、一人の少女が声をかけてきた。
「おはよー恋白(こはく)、ちょっと色々あってね」
 そう、本当に色々なことがあったのだ。今でも鮮明に思い出せる。

 あの朝、光の照らされた場所に向かうと、そこは黄金色に輝く草原だった。他の場所は雨が降っていたにも関わらず、そこは暖かな光が差し込む、幻想的な場所だった。しかし、大事なのはそこではない。空から落っこちてきた人影、おそらくそれであろうという塊がそこに横たわっていた。これからどんなおぞましいものを目の当たりにするのだろう、そう思いながらも、現状を確認するために草原に足を踏み入れる。ふわっと、優しい感触が下半身を包む中、何やら音が聞こえてきた。スーッ、スーッ。寝息のようなそれは、自分の先で倒れている、彼から聞こえてくるようだった。
「寝て……る?」
 思わず声に出すと、それに気づいたように彼が目を覚ます。
「ん……やあ。どうたんだい?」
 それはこっちの台詞だ、と思う。困惑していると、彼が更に言葉を紡ぐ。
「あれ、ここはどこだっけ……見たこと無い場所だな」
「ここは……ただの田舎町ですけど」
 あまりに突拍子もない言葉に、思わず返事を返す。
「田舎町……?ああ、そうか。寝てる間に、下に落ちてきてしまったってことか。」
 下に落ちる?やっぱりこの人、空から?
「えっと、貴方、空から落っこちてきた人ですか?」
 あまりにも意味不明な質問だ。普段だったら間違いなく不審者扱いされていただろう。だが、今この瞬間だけは、こんなおかしな質問さえも、許される気がした。
「もしそうだって言ったら、どうする?」
 彼は不思議な笑みを浮かべながらそう言った。
「僕はナツ。君の名前を教えてもらってもいいかな?」
「私は……晴海。三宅晴海(みやけ はるみ)って言います。」
「晴海。ハルちゃんか。いい名前だね。よければ、この町を案内してくれないかな?」
「えっ、でも私学校が……」
「ああ、そうか。その服装は学生のものだったね。じゃあ、学校が終わったらまたここに来てくれるかい?待っているから」
「は、はい……では、失礼します」
押しに弱いタイプだったからか、それとも平凡な毎日に退屈していたからか。彼……ナツくんの頼みを受け入れたのだった。

「おーい晴海!なにボーッとしてるの?」
 ふっと、恋白の声が飛び込んでくる。すっかり回想に浸ってしまっていたようだ。
「ごめんごめん。ボーッとしてた。」
「そういえば、晴海は進路決めたの?そろそろ決めないとヤバいよ?」
「うっ……そうだね」
 そう。私達は高校三年生。この先どうやって生きていくのか、決めないと行けない時期なのだ。
「まだ進路決まってないのって、うちのクラスだと晴海くらいじゃない?何かやりたいこととかないの?」
 やりたいこと。なんだろうか。小さい頃にはパティシエになるだとか、綺麗なお嫁さんになりたいだとか、漠然すぎる夢を持っていたと思う。だが、年齢を重ねるにつれ、社会の現実を知り、夢をみるようなことはなくなっていってしまった。このまま落ち着いたこの田舎町で就職して、静かに人生を終えるのだろうかと漠然と考える。授業中もそんな思索を巡らせていると、いつの間にか一日の授業が終わってしまっていた。

「やあ、ハル。待っていたよ」
 今朝ナツと出会った草原に向かうと、彼が出迎えてくれる。なにやらそわそわと、落ち着かない様子だ。
「えっと、ナツ……さん。この町のどこを案内すれば良いんですか?面白い場所なんてこの町にはどこにも……」
「ナツで構わないよ。やりたいことが山程あるんだ。それを手伝ってくれないかな?」
 そういって、ナツは一冊の手帳を見せてくる。そこには、小綺麗な文字で様々なことが書いてあった。
「自動販売機のコーヒーを飲む」「商店街で服を買う」「ハンバーガーとポテトをお店で食べる」「ゲームセンターでクレーンゲームを遊ぶ」「図書館で地上の本を読む」――書いてあったのは、誰もが日常の中で経験するような、当たり前のことばかりだった。
「ねえ、ナツくん。やりたいことって、こんなことでいいの?」
「こんなことって言わないでくれよ。僕は地上での生活、ずっと憧れてきたんだ」
「ねえ、ここにも書いてあったけど地上って」
「さあさあ、早く行こうよ。急がないと日が沈んでしまうよ?」

 それから、私とナツはこの町を歩き回った。私にとっては生まれ育った何の変哲もない街だ。でも、ナツはそれら全てに目を輝かせていた。主婦で賑わう商店街や、様々な味覚を持つ色とりどりな食べ物。田畑を駆け抜ける路線電車。そして、道端の水たまりにまでも。気がつくと、憂鬱そうな曇天は消え去り、空は美しい茜色を醸し出していた。
「綺麗……」
 思わず声に出してしまう。
「ああ。地上から見る空が、こんなにも美しいとは思わなかったよ。」
 絶景が目に焼き付いた後、ふと晴海はナツに問いを投げかける。
「ナツくんがやりたいことって、あとどれくらいあるの?」
「そうだなぁ……ざっと数えて、あと手帳10冊くらいかな?」
 10冊。一冊埋めるだけでも相当な量があるのだろうに、10冊もあるととんでもない量だろう。それこそ、一生かけないと達成できないような量かもしれない。驚いていると、今度はナツが問いかけてきた。
「ハルがやりたいことは何なんだい?」
 やりたいこと。どこかで似たようなことを聞かれた気がする。
「私は……普通の生活ができればそれでいいかな」
 それだけ?ときっと言われるだろう。そう身構えたが、返ってきた返事は全く違うものだった。
「普通の生活。地上での、普通の生活か。素晴らしいじゃないか」
「えっ……?」
「こんなにも彩り豊かな町で、様々な人と関わって、様々なものを食べて。さらには、過去の知識を好きなほど学ぶこともできる。そんな毎日を過ごすことができるなんて、最高じゃないか」
「私は別に……そんな訳じゃ」
「そうなのかい?僕には、素晴らしいことだと思うけどな」
 ナツの言うことが分からない。当たり前のことをそんなにも良く思うことができるだろうか。
「不思議そうな顔をしているね」
 怪訝な心境を読み取ったのか、ナツが言う。
「そうだなー、じゃあ、例えば」
 ナツは、なにやらジェスチャーを交えて話し始めた。
「広くて大きな部屋があったとしよう。そして、一つの大きな窓があるんだ。そこからは、世界のなんだって見ることができる。でも、それを見ることができるのは、1年でたったの3ヶ月だけなんだ。それ以外は、真っ白な部屋の中で、退屈に過ごさなきゃいけないんだ。そんな毎日よりは、こっちの生活はずっと良いだろう?」
 それは確かに退屈だ。といっても、あまりに現実感がなくピンと来ない。
「余計な話をしちゃったかな。それじゃあ、僕はそろそろ行くよ」
「えっ、行くってどこに?」
 ナツはフフッ、と微笑む。
「そうだ、これを渡しておくね。今日一日、付き合ってくれたお礼だよ」
 そういって、ナツは自分が持っていたものと同じ手帳を渡してくる。
「それじゃあね」
 そう言い残して、ナツはいつの間にか去っていってしまった。

 帰路につきながら、ナツとの思い出を振り返る。なんだか不思議な人だったけれど、一緒に過ごした時間はとても楽しいものだった。ナツと一緒になって自分も楽しんでいたのだろうか。とても久しぶりに心から楽しめた気がする。
「……いいなぁ」
 ふと、ため息にも似た言葉を漏らす。あんなにも素直に、自分のやりたいことを行動に移すことができる彼が羨ましかったのだろう。ふと、先ほどもらった手帳に目をやる。
「私にはやりたいことが無いからな……」
 そうつぶやくと、晴海はカバンの奥に手帳をしまい込んだ。家に帰る頃には、またポツポツと雨が降り出していた。

 その日の深夜、大きな音で目を覚ます。スマートフォンが振動と共に耳に障る音を鳴らし続けている。
「何があったの……?」
 急いで長方形の画面を除くと、緊急警報という赤い文字が、近隣で土砂崩れが発生したことを伝えていた。住宅に留まり続けることは危険なため、速やかに避難する必要があるそうだ。急いで立ち上がり、身支度を整える。何を持っていけばいいのかわからないまま、カバンとスマホを掴み、駆け出した。

 高台にある避難所に向かうと、既に多くの人が避難してきていた。人々はそれぞれに嘆いたり、空を仰いだり、床で雑魚寝したりしている。そこにいる誰もが、先の見えない不安を抱えながら、ゆっくりと眠りについた。

 どれくらい時が経ったのだろうか。目が覚めると、なにやら辺りが騒がしい。避難所の外で、誰かが話しているみたいだ。釣られるように外に出る。そこには、久しぶりの晴れ空が辺り一面に広がっていた。まるで、余計なものが綺麗さっぱり洗い流されたのかのようだ。

――そう、文字通り”辺り一面が流されていた”。避難所のある高台から見下ろすことができたのは、土砂や雨水で満たされた、かつての田舎町だった。
「嘘……でしょ?」
 頭の中が真っ白になる。これから、どうやって生きていけば良いのだろうか。もしかしたら、誰かが助けてくれるかもしれない。神様がやってきて、全部夢だったと言ってくれるかもしれない。
 避難所の中で、小さな子どもが泣き出してしまう。大人たちも、皆深刻そうな顔をしている。
「晴海っ!よかった無事で!」
 声のする方を向くと、恋白が涙目でこちらに向かってくる。
「恋白……」
 恋白はこちらに近づくと、勢いにまかせてそのまま抱きついてくる。
「晴海……!私達これからどうなるの…?」
 なにかを言うわけでもなく、彼女の髪をそっと撫でる。
「進路も決めてたくさん頑張って……これからだってところだったのに!どうして……」
 そうだ。恋白は進路を決めていた。クラスの中でも人一倍一生懸命で、努力していたのだ。
「学校も家も町もみんなグチャグチャで……全部、なくなっちゃったんだ」
 力ない声でそう言う恋白の肩は震えていた。恋白の言う通りだ。全部、無くなってしまった。失ってしまったんだ。大事なものも、やりたいことも。
「やりたい……こと」
 ふと、既に遠くなってしまった懐かしい声が蘇る。その声を頼りに、持ってきたカバンの中身を漁る。
「晴海……?なにをしているの?」
 あった。なんだか心がポカポカと温まるような、不思議な魅力を放つ手帳だ。おもむろに1ページ目を開く。そこには、小綺麗な文字でひとつの文章が綴られていた。

――君が今やりたいことはなんだい?――

 私がやりたいこと。それは、普通の毎日を過ごすことだ。毎日学校に通って、勉強をして。美味しい食事を食べて、夜には家に帰って寝ることができる。しかし、今はその普通さえもが無くなってしまっている。
「君が……やりたいこと?」
 恋白も手帳の中身を覗き込んでくる。私がやりたいこと。それは、普通の毎日を過ごすこと。毎日を、取り戻すことだ。
「恋白!」
 意を決し、筆箱からボールペンを取り出す。
「これからやりたいことを、ここにたくさん書いていこう!些細なことでもいいから、いつものようにやりたいことをたくさん書いていくの!書ききれなくなったら別の紙でもいいから、とにかくたくさん!」
「私の、やりたいこと……?」
「うん!私達が取り戻すんだよ!この全部無くなっちゃった状況から、いつもの毎日を!」

 それから少女たちは、手帳の中にかつての毎日を書き連ねていった。その姿を見た子供たち、そして大人までもが、いつの間にかそれぞれの毎日を書き出していた。避難所に満ちていた鬱蒼とした雰囲気は消え去り、暖かで、確かなエネルギーがその場所には満ちている。どこからか、いつもの夏の訪れを告げる虫が鳴き出した。


自己紹介

高帆 按樹(たかほ あんじゅ)と申します。
創作サークル「夜顔のツボミ」にて、小説や音楽、ゲームなどを制作しています。
ホームページや各種SNSにて今後の活動をお伝えしていきますので、ぜひフォローをよろしくお願いします。
HP: http://www.yorutsubomi.tokyo/

Twitter: https://twitter.com/yorutsubomi

Instagram: https://www.instagram.com/yorutsubomi/


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