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「猫の頭に叩頭三拝」     とある老女の一日


昭和六十三年八月某日。
真夏といえど、早朝五時の、おもてはうす暗うて、道ゆくひとは新聞の配達屋さんと、牛乳の配達の人ぐらいしかいらっしゃいません。

私は毎日、このぐらいの時間に目を覚まし、着物を着て、お化粧をして身なりを整えます。それから、二十年前に亡くなった主人のご仏前にろうそくとお線香をたいて、孫や子供たち、そして皆さんが恙無く、今日も一日過ごせますようにと手を合わせることから一日が始まります。

四人いる子供たちが独立して、主人が亡くなり、それ以来ずっと一人で暮らしております。長男も長女も同居をすすめてくれますが、もうこの年になって、いくら身内でも人さまのご迷惑になりながら余生を送るのは気が引けるのでございます。おかげさまで元気に生かさせていただいており、感謝している次第です。最近少し持病の膝に水がたまること、血圧が高めであること、視力がおちてきていること、耳が少し遠くなってきていることぐらいでしょうか、以前に比べて不自由な点は……。
それでも、八十年以上も生かされております割には上等でございます。買い物も、食事の支度も、洗濯、掃除、すべて誰の手を借りることなく自分でしております。
年金暮らしですが、時々人に頼まれて、着物の仕立てもすることがあり、そのお代金で生活にも少しではありますが、ゆとりもございます。
かわいい孫たちに時々小遣い銭をあげたり、趣味の日本舞踊や、お茶のお稽古、交際費にあてがうようにしております。この年で交際費というと、不思議に思われるやもしれませんが、私は頻繁に人に会う機会があります。
今は、京都の山科というところに、一人で暮らしておりますが、月のうち半分以上は滋賀県の大津市にある三井寺にお茶の先生として、在住しております。そこには入れ代わり立ち代わり、生徒さんや、先生方、それに観光客などお客様がぎょうさん(大勢)おいでになります。そんな事ですさかいに、何やかやと交際費もいる訳でございます。
山科に居るときも、お茶の生徒さんが訪ねてきたり、結婚のお世話をしたご夫婦が時々訪ねてこられたり(今まで結婚のお相手の紹介を五百組以上しているので)、近くに住む孫たちがそれぞれ訪ねてきたりと、それなりに忙しくしております。
今日も、孫の中では一番ちかいところで一人暮らしをしている良絵が、午後から訪ねてくることになっております。
ご仏前の主人に手を合わせ終わり、午前中にしておかなければいけないことが、ぎょうさんございます。まずは、表の網戸の下で待ちわびている、私のかわいい子供たちに、朝ご飯を食べさすことです。私の部屋は一階の端にあるので、網戸を開けると、表に出なくても、この子たちにご飯を与えてやることができるのです。昨日の冷ごはんに、カツ節を混ぜて、平たいお皿にのせ、窓の下に置くと、みんな待っていたかのように、重なり合って食べ始めます。なんてかわいい子たちでしょう。毎日この子たちは、私がご飯をくれるのを首を長くして待っているのです。重なり合って食べている、一つ一つの頭をなでながら、おおきに、おおきに、ありがとうさん、私をたよりにしてくれて……そういいながら網戸を閉めて今度は自分の食事をいただきます。
今日の朝ご飯は、大根おろしにちりめんじゃこ、たこときゅうりの酢の物と白米に豆腐のお味噌汁をいただきます。
こうして食事を終えたら暑中見舞いをいただいた方へ、お返事のはがきを書くことといたします。一枚一枚その方のお顔を思い浮かべながら、丁寧に書いているとあっという間に時間が過ぎていきます。一通り書き終えて硯箱をしまい、さてさて良絵が来るまでにタライにお湯をためて済ませておきたいことがあります。
昨日も、蒸し暑い夜でした。若い時とちごて、あんまり汗はかかんようにはなりはしましたが、それでもちょっと油断をすると、首やら背中に汗疹ができてしまいます。もともとクーラーは苦手で、この季節は窓を開けて網戸にして、部屋に風が通るようにしておりますが、ひと昔前に比べて、夜中に何度も目を覚ますほど、蒸し暑い日が続くようになりました。そんなこともあり、毎日タライにぬるま湯をためて行水するようにしています。
今日は行水のついでに、ビゲンの白髪染めで髪を染めて、綺麗に日本髪を結うて、孫娘を待つことといたしましょう。
良絵は私の足で歩いて十五分ほどの、集合住宅にひとりで暮らしておりますが、
「今から家、出るさかいに待っててや」と電話で連絡があってから、五分ほどでここに到着します。私の歩く速度が遅いのか、孫娘の足が速いのかわかりませんが
「はいはい、あわてんとゆっくり来なさいや」と受話器を置いてほどなくして玄関の扉越しに声が聞こえてまいります。
「おばあちゃん、おばあちゃん、来たで、はよ開けて。」
「鍵あけてるさかいに、かってにお入り」
走ってきたのか、はぁはぁと息を弾ませながらご仏壇の前に座ると、おりんをチンチンと鳴らし手を合わせるのでした。私は良絵の好きなカルピスと、昨日、お茶の生徒さんにいただいた、かりんとうを銘々皿にとり、ちゃぶ台の上にのせました。
「いただきます。おばあちゃんは、私の事いつまでも、小っちゃいままやと思てるでしょ? 
私も、もう二十五歳やからね。自分で働いて、自立してるんやから。これからは私をもっと頼ってくれたらええんやからね。」
そう言うと、ちゃぶ台の上のカルピスを一気に飲み干しました。私がおかわりを作りに立ち上がろうとすると、
「ええから、ええから、これぐらい自分でするさかいに。」
と勝手を知っている台所へ行き、自分のカルピスと私の麦茶も一緒に持ってきてくれました。
確かに、成長して自立した孫娘を見ると、うれしい気持ちでいっぱいにはなりますが、それと同時に、寂しい気持ちもこみあげてくるのです。
年を取って、出来ることがだんだんと減っていき、できないことがぎょうさん増えてきて、自分の存在が、人さまのご迷惑になるのではないか、役立つことはもうないのか、と思うことがあります。
外へ出ると電車やバスでは、皆さん席を譲ってくださり、駅の階段では荷物を持ってくださり、横断歩道では手を引いてくださる方もおられます。ありがたいことです。私は一人暮らしをしながら、何でも一人で、やってはおりますが、こうして、赤の他人さまからも親切にしていただきながら、生かされているのだなぁとつくづく思い知るのです。
そんな思いが伝わったのか孫娘がこんなことを言いました。
「私は、年取ったらおばあちゃんみたいになりたいねん。おばあちゃんは、本が好きでいろんなことを知ってるし、六十歳過ぎてから日本舞踊も、お茶も習い出したでしょ?
何かを始めるのに遅すぎることはないっておばあちゃんを見ていて感じたんよ。
それにお友達もたくさんいるもんね。周りの人から、先生、先生、言われて、いつもお誘いの声がかかってるでしょ? すごいと思うよ。おばあちゃんて……。いろんな人から頼りにされててかっこいい。」
正直、孫娘がこんな風に私を見ていてくれたとは思いもよりませんでした。
見た目も、身体も年老いた私を必要としてくれているのは、窓の下のあの子たちだけではなかったんやと。
そのあとも、一通り会社での出来事や、自分のやりたいことの話をすると、
「おばあちゃん、今日もありがとう。又来るさかいに元気にしててや。」
そう言って友達と約束があるからとかえって行きました。

お空から主人のお迎えがくるのは、あと何年先かはわかりませんが、それまでは、私にできることを、一生懸命に探して、皆さんのお役に立てるように励みたいと思います。

窓の下では、暑いのか
「にゃあ、にゃあ」とあの子たちの声がしきりにきこえます。
「はい、はい、のどが渇いたね。待っとおき。すぐにお水をあげますさかいに」
台所に行き、平たいお皿に水を入れると、網戸を開けて窓の下にそれを置きました。
そして、猫たちの頭を撫でながら
「おおきに、おおきに、ありがとうさん。」
と何度も頭を下げたのです。


「必要と されるわが身の 有り難さ 猫の頭に 叩頭参拝」

                     終


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