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08:後悔の大半は『しなかった事』『できなかった事』

長年生きてれば誰でも大なり小なり後悔はあって当然、もし数十年生きて後悔はひとつも無いと言う人がいたら本気で付き合うのは止めたほうがいい。
自分の事さえ虚栄心で真実が見えない人、過去や結果に反省する姿勢の無い人間であると言ってる訳で信頼に足る人物とは考えにくいからです。

今の僕を知る多くの人は『いつでも前向きですね』『代表は強いですね』と言うが我が人生を振り返ると後悔、後悔の連続と失敗や間違いも多く、残念ながらなぎより波乱の多い人生だったと思う。

過去形で表現したのは52才で父親逝去の一報が八王子裁判所から届いたのを機に現存しない葬儀支援事業にたずさわってから、日常の小さなものは別として以前のような後悔の念は殆ど感じることなく10年近く過ごせてます。

加齢と反比例するように虚栄心が減り、自分が弱い人間だと認めてからは前を向こうとするし、後悔や失敗ばかりだから次は後悔や失敗をしたくないと思う姿が前向きや強さに見えるのだろうと思う。

葬儀支援は確かに適職で天職かもしれないとさえ思うけど、よくよく考えてみると幼少時代から育ててくれた祖父母や父親への後悔が葬儀支援への想いをより強いものにしてる気がします。

家業倒産で父親が蒸発すると家族はバラバラになり、5才まで別居してた母親とは『三つ子の魂百まで』なのか何となく反りが合わず、母親、姉、妹の3人と祖父母、僕の3人に分れ離れた場所での生活になり、16才高校生以降は独り立ちするまで祖父母に面倒を看て貰ってました。

もし今、祖父母が生きてくれてたら、行きたい場所があれば連れて行き、食べたいものがあれば食べに行き、孫の家族という温もりある中で余生を過ごさせてあげたいし、あげられそうな気がします。

でも当時、馬鹿孫の僕はそんな考えはこれっぽっちもなく、面倒を看てくれた祖父母に対し当り前のような感覚でいたんだと思う。

また事業の倒産と同時に家族を捨てたような形で蒸発した父親ではありましたが、倒産するまでは子煩悩で他人様より贅沢をさせてくれた人だし、倒産以降も嫌悪感を持ったことも無いから、わずか1年、2年だったとしても息子家族の中でお爺ちゃんとして家族団欒の時を過ごしたり、盃を酌み交わしたり、僕が作ったおせちを食べさせたかったとも思う。

40才くらいだったろうか、一度父親を探そうかと思った事もありましたが父親が僕を探すのは簡単なはず、でも探さないのは自分を探して欲しくないのかもしれないと止めたことがあります。

探し当てた結果が想像通りだとしても『やっぱなぁ』と思えば良いだけの事、もしかしたら喜んでくれたかもしれないのです。何処かで面倒だと思う自分がいたり、忙しさにかまけて自分に都合のいい事ばかり考えての結論だったのかもしれない――、遅すぎますが父親逝去の通知を受け取ってから、そう思う自分に気付きました。

こうして文字にすると結局、その時で無ければ出来ない肝心な時は何もせず自己中な言い訳ばかりして、事が起きて過ぎてから後悔する自分の馬鹿さ加減に呆れたり、ひとしきり後悔してからようやく前向きになれる――、改めて振り返ると若い頃からそんな人生だったのだろうと思える。

その後悔や反省が活かせたとすれば、嫁さんと結婚する前から病弱であまり出掛けた事の無い彼女の母親をデートの度に連れ出し、ドライブに行ったり、正月はおせちを作って団地住まいの自宅に呼んだりした後年に繋がっているのでしょうが、散々世話になった祖父母や父親にしなかった孝行の真似事で自分を納得させてたような気さえします。

ようするに一度後悔しなければ自分がすべき事にさえ気づけない奴、優しいとか気が利くとか言われるけど、それは一度後悔して2度目みたいなもので誰だって2度目は1度目より良い結果が残せるでしょ。

なら葬式はどうかって考えると、存命中はさほど何かせず逝去後に騒ぐ人がとにかく多いのに驚くけど『この人は後悔しねぇのかなぁ』って思う。

自分が葬式される立場で考えれば分るだろう。生きてる時はろくに寄り付きもせず、さほど面倒も看てくれず、孤独感や寂しい日々を過ごした人が、死後の葬式だけ盛大にして貰ったからと満足するでしょうか?

数百人以上の老人の死に関わってきましたが『この人は幸せだなぁ』と思える人もいれば『何となく可哀相に感じる』人もいて、その違いは家族の持つ温もりの違いなんだと思う。

人生の終盤、決して裕福で無くても子供達や孫達、友人などがいつも集まって話し相手になってくれたり、手料理を持ってきてくれたり、いつも賑やかで温かい空気の中で過ごせた人は幸せだと思う。

対して、金銭面で余裕があり、高くて豪華な施設で過ごす老人でも、家族は滅多に面会にも来ない寂しい日々を過ごし、逝去後の葬式は豪華で盛大でも故人が幸せとは思えなかった。

人の思いや感情や価値観はそれぞれ違うでしょうが、最後は金や物じゃなく『心や気持ち』じゃねぇかなぁって感じる。盛大で豪華な葬式って故人じゃなくて施主や喪主のマスターベーション自己満足としか思えない。

祖父母や父親の死では後悔ばかり、60代でようやく気付いたお馬鹿な奴だけど、死ぬ前に気付けた事でこれからの人生に活かせるし、自分のしてきた後悔を素に周囲の人達や会員さんの後悔を減らすアドバイスは出来る。

その典型のような葬式を2010年に経験させて貰えたのですが10年以上経った今でもハッキリと覚えています。

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参考資料(お時間のある時にでも読んでみてください)
あんしんサポート葬儀支援センター  
代表ブログ 葬儀支援ブログ「我想う」

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