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1章・偶然からの強烈な流れ

1-1 家業倒産で蒸発した父親逝去の一報

残暑厳しい2007年9月、経営する美容室、美粧室各店からの報告と売上管理をパソコン入力、明日の予定など確認すればスタッフは誰もおらず本日の仕事は終了。

午後11時頃自宅に戻り毎日の習慣でシャワーを浴び寝室に入るとベッドサイドに1通の封筒、差出人の八王子裁判所の文字にドキッとする自分に苦笑する。

37年前、家業のスーパー倒産前日に蒸発した父親が逝去、遺言書を残しており裁判所で検認のため開封に立ち会うか委任状を送付するよう書かれてた。

「八王子にいたのかぁ」でも、遺言書検認なら誰か看取ってくれた人がいると分り安堵すると倒産前夜の様子が浮かんでくる。

倒産前夜自室ドアがノックされ顔を出したのは珍しい事に笑顔の父親でした。

俺「どうしたの? 珍しいじゃない」

父「まぁな、元気そうだな少し良いか」

俺「うん、どうしたの何かあったの?」

父「ひと事だけ言いたくてな」

俺「なに!?」

父「人生は色んな事があるけどお前は男だからしっかり生きろよ」

俺「なんだぁ、何かあったかと思って驚いたじゃん」

父「その笑顔を忘れるなよ」

俺「はぃはぃ、笑顔でしっかり生きます。これで良い?」

父「うんうん、それでいい」

笑顔で部屋の戸を閉めたのが最後でした。今思えば不自然な会話、異変に気付いても良さそうですが倒産など微塵みじんも考えた事の無い中学3年生でした。

翌日閉店後、父親の姉である叔母さん達から家業が倒産する旨を聞かされると驚きよりもただ呆然ぼうぜんとしてた。

午前0時を回り倒産が確定すると店の周辺に駐車してあった車から一斉に人が飛び出し、シャッターはガラガラと開けられ我先に商品、備品を運び出す人達を無気力に眺めていました。

霧雨の中、傘もささず『これが倒産かぁ、なんで慌てて品物を持ち出すんだろう』何も考えられない空っぽの頭で見つめてた事だけ覚えてます。

その答えは翌月に分りました。スーツを着た数人が来て、子供部屋に至るまで学用品や寝具以外は金額を書いた赤い紙を貼って周るのを見て『だから業者さんは夜中のうちに来たのか』と納得しました。

その後、家賃数千円の公営住宅に引っ越し祖父母と生活するのですが、それがいつなのか、引っ越しはどうしたのか全く記憶にありません。

倒産から数日後学校に行くと同級生達が倒産に触れないよう気を遣ってくれた事だけ覚えてます。

倒産後の生活は一変、以前のような生活では無くなりましたが、生活の変化はさほど気にならず『これが普通なんだろなぁ』と思った記憶もあり比較的冷静に捉えてたのでしょう。

それなりの商売だったようで僕の顔を知る大人も多く、道を歩くとチラチラと見てはヒソヒソ話をされてる感じが苦痛でした。

中学生までの写真や卒業アルバムも一切残ってませんから、卒業アルバム配布以降から高校入学式までの間に倒産したか、引っ越したのでしょうか。

人は嫌なことを記憶から消し去る自己防衛システムがあるのでしょうか。

あれから37年の時を経て届いた父親逝去の一報、僕が起業から5年ほど経過した40才の頃、一度父親を探してみようと思った時期がありました。

市役所で戸籍附票ふひょうを取れば最後に住所登録した場所は分り、住所不定でさえなければ追跡可能です。

でもじっくり考えると父親が僕を探すのは簡単なはず、それでも何も言って来ないのは探して欲しくないから?

38才の健康な男がずっと独り身でいるとも思えないし、すでに40年近い時が立てばそれなりに安定もしてるでしょう。

無理に探したら父親に嫌な思いをさせたり、今の生活を掻き乱すのも躊躇ちゅうちょされ死んでは無いはずと捜索は止めました。

裁判所からの指定日時は仕事の都合が合わず、妹に電話すると同じ封筒が届いてるようで仕事で行けない旨と全権委任することでお願いしました。

指定日の翌日、妹に連絡すると行ってきてくれたようです。

俺「どうだった?」

妹「遺言書はどうってこと無かったよ」

俺「そっか、独りじゃ無かったでしょ?」

妹「うん一緒に住んでた女の人が来てた」

俺「だろうな、子供はいるのか?」

妹「いないみたい。でも結構いい生活してたみたいだよ」

俺「すさんだ生活じゃ無かったんだな」

妹「家族は大変だったのに海外旅行にも行ってたみたい」

俺「分かった。その女性の連絡先は?」

妹「あ、聞いたよ。言うね――、」

俺「遠くまでありがとな、お疲れ様」

これ以上話すと妹の愚痴を聞かされそうで打ち切ります。

妹は少しムカついてたようですが、そこそこ幸せな生活と分りホッと安堵しました。

もし住む場所もなく、その日暮らしの生活だったと聞かされたら、あの時探しておけば良かったと後悔の念が湧くでしょう。

倒産後は母親、姉、妹で一軒、祖父母と僕で一軒と市内の南北に別れての暮らしで母親達がどんな風に父親を話題にしてたか分りません。

祖父母は息子の事を口に出しませんし僕自身は父親に対し怒りや恨みの感情が湧いた事はありません。

怒れば怖いけど普段は子煩悩で頼りになる父親、倒産現場を実体験したり、倒産後は親戚から親父の悪口も聞かされたせいもあるのでしょう。

商売は真面目にやれば成功するもんじゃないし事業に倒産は付きもの、自分だけ夜逃げしちゃう弱さは頂けないけど父親なりに精一杯踏ん張ったはず。

そう言えば父親から何度か言われた教訓が「お前は後継ぎだと言われるだろうけど無理に家業を継ぐ事はないし何をしても自由だよ。ただひとつ、自由の裏に責任がある事だけは覚えておきなさい」

改めて読んでも教えとしては素晴らしい。でも言ってた自分が蒸発じゃ説得力ねぇなぁ、だけど何処か憎めない親父らしいと思えるのです。

親の教えは背中を見ること、学べるのは立派さより反面教師としての一面こそが自分への教えと僕の人生に於いてはとても教訓になってます。

ただ裁判所に行った妹の話しで気になるのは親父は昭和7年生まれの74才だから看取ってくれた女性は70才前後だろう。

もしかして老婆が1人残された? 90才まで生きれば20年もあるのが気掛かりで『何で子供作っとかねぇかなぁ』

数日後、妹から聞いた番号に電話すると女性が出たので仕事の都合がつかず裁判所に行けなかった謝罪と父親の最後を看取ってくれたお礼を伝えた。

良ければ一度お逢いしたいと伝えると引っ越し先の鎌倉で待ち合わせました。

1-2 たったひとりのお葬式

約束の日、都内の渋滞で4時間掛けて向かう。それでも待ち合わせより少し早めに到着、時間までゆっくりしようと座席を後ろに倒し運転で疲れた身体を伸ばした途端に電話が鳴った。

「えっ?」もしかしてもう来てた? 駅舎は大きく無くそれらしいお婆さんの姿は無かったと思いながら起き上がり、キョロキョロしながらの電話「到着ですね。すぐに行きます」の声に少し慌てて「あ、はい・・・」

椅子を戻して周囲を見回すと助手席の外に笑顔で会釈する女性の顔はありますが70代には見えません。あとで聞くと60才で親父より14才年下の女性で、僕より8才年上だから僕のほうが親父より年は近かった。

俺「〇〇さんですか?」

女性「はい、そうです」

俺「どうぞ乗ってください」

女性「はい、失礼します」

俺「突然押しかけてすみません。ゆっくり話しのできる場所ありますか?」

女性「うーんシティホテルのロビーは?」

俺「はい、結構です案内して頂けますか」

ホテルなら駐車場もあるし軽音楽が掛かり、椅子も柔らかくゆったり話ができそうとコーヒーを頼んで話し始めます。

聞けば父親は天涯孤独の身と言ってたらしく、最初の1時間ほどは息子だと言っても納得して無かったようでした。

家族構成、僕の知る商売の流れと倒産時の様子を遡ってさかのぼ話し母親と姉は他界しており裁判所に行ったのは次女の妹、僕は長男の利之と言いますと伝えた。

女性「あー、その名前は甥御おいごさんだと何度も聞かされてます」

俺「甥ですか?」

女性「はい、自慢の甥御さんなんだなって思ってました」

俺「甥は親族ですけど天涯孤独と言ってたんですよね?」

女性「えっ、あー、ほんとだ変ですよね」

と笑った女性、少し天然かなと思いましたがようやく理解されたようで、途中食事しながら出逢いから逝去するまでと持参した写真説明もしてくれました。

30年以上の長期ですから、そう簡単に話しは終わるはずもなく女性の了解を得てホテルの部屋を取り話しの続きです。

1枚の写真に年老いてますが蒸発した当時の印象そのままで頭にバンダナを巻いたジェリー藤尾さん似の老人と周囲に外人さん達が座って写っています。

俺「お知り合いの外人さんですか?」

女性「いいえ、最後のグァム旅行で知り合った人達です」

俺「最後の旅行ですか?」

女性「はい60才の時、糖尿病で倒れて、よく見ると車椅子でしょ」

俺「あー、言われてみれば確かに」

女性「これが最後の旅行と覚悟して私が押していきました」

俺「なるほどぉ、外人さん達も自然な笑顔ですね」

女性「何処に行っても誰とでもすぐに仲良しになる人でした」

俺「あー、それ分ります。僕も同じそんな感じしませんか?」

そう言うと僕を見て納得したのか笑顔で頷いてました。

俺「ところで父親の葬式と遺骨はどうされたのですか?」

女性「彼は自分の死が近い事を察して全て近所の葬儀屋さんで決めてました」

俺「葬式内容とかですか?」

女性「はい、線香と菊は嫌いだから要らない、花は薔薇バラがいいってね」

俺「はぁ? 我が侭ですねぇ」

女性「ふふっ、そうですね。でも全て決まってたから精神的には楽でした」

俺「写真を見ると火葬だけのお葬式でしょうか?」

女性「そうです。お部屋にご安置して私ひとりだけのお葬式でした」

俺「ところで遺骨はどうされたのですか?」

女性「彼の遺言でハワイに背負って行き全て海に散骨しました」

俺「海に散骨? 海が好きだったんですか?」

女性「はい、全て言われた通りに出来て満足しました」

俺「そうかぁ、父の決めた通りだから迷わず悩むこともないんですね」

女性「はい、今もずっと近くにいて見守ってくれてる気がするんです」

その話しを聞き、火葬だけの葬式は質素で寂しいとかじゃなく、火葬だけで満足する葬式、不思議と聞いた僕の心も温かくなります。

目の前にいる女性は俗に言う不倫相手、妹のように腹が立っても不思議ではないと客観的な自分、でも2人が互いに大切な存在だったのも分ります。

父親は置いて来た家族への想いを顔に出すことはなかったようですが、僕を甥だと言って話しの中に登場させたのを聞いても、心の中では家族への想いと謝罪の心は常にあり続けたでしょう。

親父なりの不安と幸せを感じながらの30数年、不倫の一言で片づけられるものでなく、幸せだったとすれば僕の中で後悔することもありません。

父親の立場で考えると自分が死んだ後の彼女の事が一番の心配でしょうから、俺なら――、と考えるとハワイの海に全て散骨させた真意が分ったような気がして『なるほどなぁ』と思わず声に出しました。

女性「なにが、なるほど、なのですか?」

俺「父親がなぜハワイの海に全て散骨するよう遺言したか分りますか?」

女性「ハワイの海が好きだからでしょ」

俺「ハワイが好きなのは確かでしょうが全散骨させた理由は違います。貴女は大切な人、自分の死後の貴女が心配だったんですよ。自分の遺骨を見て泣きながら暮らす貴女を見るのは辛い、だから遠いハワイの海に全て散骨させたんでしょう。貴女が笑顔で過ごせる人生があれば俺を忘れなさい、それが彼の精一杯の愛情表現だったのでしょう。泣いて暮らすあなたより笑顔で暮らせる人生を見つけて欲しい、あなたを身近で守ってくれる人がいたら迷わず飛び込め、それが父の想い、息子だからか父親の想いは何となく分るんです」

女性は目を真っ赤にして静かに深く頷いてくれました。気付けば到着してから若干の睡眠は取りましたが丸一日話し込んでた事になります。

連絡すべきか戸惑いましたが逢いに来て長時間話せたのは、僕にとっても多分彼女にとっても価値ある2日間だったと思う。

「もし何かあったり不安で堪らない時は遠慮なく電話してください」との言葉を残して互いに笑顔でお別れできました。

たった一人で火葬だけの葬式、それでも心から満足してる様子に葬式ってなんだろうと改めて思わせられた偶然の出逢い。

まだ明確なイメージもなく『葬式とはなんぞや』との思いだけですが、僕自身も温かい気持ちになれた2日間、西に沈む太陽に向かって前橋に戻りました。

1-3 葬式とはなんぞや

前橋に戻ると『葬式とはなんぞや』の想いから早速ネットで色々調べますが、葬式=宗教儀式で「直葬」ちょくそうは葬式にあらずとさえ書いてある。

「嫌」そうじゃない、火葬と散骨でも葬式後も温かい気持ちで過ごしてる人を見てきたのだから、この決めつけは間違ってる。

自分の葬式ならと考ると無信仰者の俺にお経は意味ねぇし、お祈りも意味はねぇ、やっぱ無信仰者に宗教儀式は違和感しかないと気付きます。

素人の俺には違和感でも業界人なら俺を納得させる説明があるかもしれないと経営してた美容室の店長達にお客様の中で葬儀社勤務の人いたら連れて来て欲しいとお願いした。

但し葬儀社勤務なら誰でも良い訳でなく、面倒くせぇ小父さんと小母さんは勘弁、面倒臭くない人がいたらの条件で頼んでおきました。

暫くして社長室に現れたのが後々一緒に葬儀支援をする千明ちぎらで大手葬儀社で8年間営業してる小母さんですが性格は癖がなく聞き上手な人でした。

『死は自然の摂理なのに高額な費用を掛ける必要があるのか?』

『無信仰者が宗教儀式の葬式をするのは何か理由があるのか?』

『どこの葬儀社でも無信仰者用の葬式プランは何故なぜ無いのか?』

最初はこの程度の質問でしたが的確な回答は無く、自分は信仰心があるか聞くと無信仰者だと言うのでなぜ宗教儀式の営業をするのか聞くと、

葬式には決まりがあり、そのひとつが宗教者、とにかく多額の費用が掛かるから自分や親の葬式費用を蓄えておかなければと思ってたと言う。

葬儀社営業8年にしてこの程度なのは驚きでしたが、葬儀社の勧誘営業は何処も大差なく教えられた事をそのまましゃべってるに過ぎない。

営業員の友人、知人、親戚など誰でも構わず会員にすれば自分の収入になる――、ただそれだけで嘘を嘘と知らないレベルです。

日本人6割以上は無信仰者だから無理して高額な葬式をする必要は無いのでは? など言いたい放題でも反論する事なく納得したように頷いてました。

何度か話しをしてたある日、事務所の椅子に座ると突然言われる。

千明「オーナーちょっと良いですか」

俺「なんでしょう?」

千明「オーナー葬儀屋しませんか?」

俺「はぁ? 嫌だよ死体見たくねぇし急にどうしたの?」

千明「実はオーナーの話しを聞いてると全てその通りと納得なんです」

俺「あは、そうですか」

千明「でも最近お客様の所に行けない自分がいるんですよ」

俺「えっ、営業に行けないってこと?」

千明「はい、それとオーナーみたいな人が葬儀屋になれば良いなって――、」

『余計なこと言っちゃったなぁ、どうしようかなぁ』と少し考えてから、

俺「とりあえず葬儀屋と寺で話しを聞いてみましょう。たら、ればで考えても意味ないですからね」

1-4 葬儀屋紹介業の設立に向けて

翌日から周辺地域内の個人や小規模の葬儀屋と寺を見つけたら飛び込むパターンで周ると数件に1軒は話しを聞かせて貰えました。

すると葬儀屋さんは口を揃えて「うちは喜ばれてますよ」と言い、お寺の住職は「布施はお気持ちですから」と言われ感心と尊敬の念すら湧いてくる。

実態も知らずに胡散臭いと思い込んでた自分が恥ずかしくなり、人の死を扱う仕事をする人達は俺と違って根本的な部分で奉仕の精神がある人達のようだと認識を改めた自分がいました。

同時に進めたのが葬式経験者からの本音と実際に葬式をして思った希望、要望、疑問、不満などの実態調査を兼ねたものでした。

千明の知り合いも40代~60代と親の葬式を考える年代、良く利用したのが個室で話せるカラオケBOX、最終的には100名以上の葬式経験者から話しを聞かせて貰う事ができました。

しかし結論から言うとほぼ全員が『葬式代が高過ぎる』『布施が高過ぎる』で本気で感謝してる人はいません。

おいおい、待てよ「高過ぎる」は喜んでねぇだろ!? それと家族の気持ちで渡した布施なら「高い」とは言わねぇだろ!? 

俺達が聞いたのは建前で葬儀屋も寺も嘘つきか? 言われた通りの言葉を鵜呑みにし尊敬さえしたのに「やっぱ胡散臭ぇ!」と無性に腹が立ち怒りが込み上げた。

我々が話した葬儀屋と寺は胡散臭いけど、きっと家族目線の葬儀屋を経営してる人はいるはずです。

俺「家族目線の葬儀社を探し出して千明さんが紹介する仕事をしよう」

千明「私がするのですか?」

俺「うん、家族目線の葬儀屋なら必然的に利益は少ないから紹介料も少額にするしかないけど一人なら食える程度にはなると思う」

俺「NPOが良いんじゃないかな僕も理事で関われるしね」

千明「それって来年でも良いですか?」

俺「来年? そりゃ構わないけど、その程度の感覚なら僕は降りるよ」

当時の千明は自分の都合で退職したり、出勤すれば給料は貰える程度の感覚なのが分ったからの宣言でした。新たな事を始める覚悟と迅速さと自分を追い込まなければ何をしても成功などできません。

結局、翌月には退社、NPO法人設立に必要な諸条件を整えたり書類作りに入り、2008年4月申請、縦覧期間じゅうらんもあり7月設立予定です。

紹介できる葬儀社探しに動き回りましたが、残念ながら自信を持って紹介できる葬儀社には出逢えませんでした。

1-5 最悪な葬儀社への依頼

NPO法人設立間近に迫った6月、うちの嫁さんの部下だという女性のお爺さんが亡くなり、少しでも費用を抑えてあげられたらとの事で依頼の可否を聞かれる。

『葬儀社紹介業』+『葬式サポート』を事業化しようと思っており、設立前のトレーニングには最適な依頼でした。

初めての葬式実践である旨の了解が得られたら無償で支援させて貰う条件で引受けますが、肝心の自信を持って紹介できる葬儀社がありません。

当時は何処の葬儀屋も大差ないと思い込んでたのもあり近所の葬儀屋に紹介料3万円で引受けて貰うことになった。

故人のお迎え先病院を伝えると我々は自宅前に路駐して待機、搬送された故人をストレッチャーで布団まで運ぶのを初めて手伝いましたが予想以上に重い、しかし遺体を見ても想像してた嫌悪感は無かった。

自宅の布団に安置、ドライアイスを当てると食事や返礼品のパンフレットを置いて葬儀屋さんは帰ってしまった。

『えっ、後は俺達がするの?』慌てましたが、頼れる人は誰もおらず、家族には関係ありませんから、ど素人ながら腹をくくって話しを進めます。

とにかくお金が無い事だけは分かり無理をさせない為にも火葬だけの葬式を勧め、紹介料は数千円だろうけど家族の生活最優先でした。

家族も火葬だけの葬式で承諾した所で故人の兄弟である叔父さん登場、葬式内容を聞くと、費用は自分が出すから葬式の形だけでもしようという事になった。

宗教者が入る葬式だと菩提寺の布施50万円との事、支払い者となる叔父さんと布施の値引き交渉に行き50万円を35万円まで値引きして貰った(値引交渉もサポートのひとつでした)

自宅に戻ると親戚が大勢いて打合せは一旦中止、事務所に戻り夜になって再開、全て終わったのは日付が替わる頃でした。

葬家を出ると雨模様、夜中だけど首を長くして待ってるだろう葬儀屋さんに電話すると「飲み会で伊香保温泉にいるから明日聞きますよ」の軽い言葉、何の事前説明も聞いておらずムカつく。

気を取り直し事務所に戻って打合せ内容をまとめ、葬儀屋の郵便受けに投函、自宅に戻れたのは明け方でした。

葬式前日午後、葬儀屋さんに言われた時間に合わせ家族親族が集まると湯かん納棺、葬儀屋さん2人で故人の布団の横に棺が置かれます。

『あれ、湯かんて棺に入れてするの?』と思ってると葬儀屋さんから「只今から湯かんを始めます」と宣言、集まった人達の手でご遺体は棺の中へ入れる。

突然「合掌!」の号令に全員慌てて合掌、続いて「なおれ!」『えっ?お直りくださいじゃねぇんだ』それにしても『おめえは軍隊長か!』と心の中で叫びます。

次は自分で切ったのか? と思うほど安っぽい布切れを取り出し、家族に手渡すと「手の辺りに置いてください」「足の辺りに置いてください」と言う。

旅支度って置くのか!?手足に縛り付けるんじゃねぇの? 周囲の親戚も怪訝な顔をしてます。

社長「以上湯かん納棺の儀を終了します。お近い方から線香を供えてください」

えっ、湯かんって手足拭く事じゃねぇの? 家族や親族は相変わらず怪訝そうな顔で言われたように線香を供え始めました。

6月とはいえ真夏のような日差し、冷房の無い部屋で汗をかき、外の風で少し涼もうと出ると葬儀屋さんの息子さんらしき人が立ってました。

先程から見てると葬儀屋の社長は、素人の僕が見ても駄目駄目だけど、息子さんらしき人は社長の指示に従いテキパキと仕事が出来そうな印象でした。

俺「暑いですねぇ、息子さんですか?」

男性「いいえ違います。自分は葬式スタッフの派遣会社をしてる者です」

俺「失礼しました。お手伝いですか?」

男性「今日はスタッフ全員出払ってるので僕が手伝いに来たんですよ」

俺「あーそういう事ですか、親子でも随分印象が違うなとは思ったんですよ」

男性は苦笑いしながら自己紹介と名刺を渡してくれ、何かの時は連絡して貰えれば力になれると思うと言ってました。

翌日も暑い中での葬式でしたが、黒服を着るのが礼儀と言われくそ暑いのに無理して礼服を着て斎場に向かいました。

式場は派遣の男性がテキパキと動き回っていますが社長の姿はありません。

葬儀屋社長の姿を探すと『居ました居ました』式場外の喫煙所で知り合いの葬儀屋と煙草を吸いながら談笑してるようです。

社長を横目に火葬中の休憩所を確認に行くと隣保班の人達が開式を待っておられ我々の姿を見ると「市役所の方は休んでください」と言われた。

葬儀屋に見えず役所の人間に見えるほど馴染んで無かったようで、我々が誰か説明するとお茶を入れる習慣の無い隣保だけど大丈夫かと聞かれます。

すぐに社長を探すと相変わらず喫煙所で煙草を吹かしながら雑談中、到着してから30分以上経ってますが見てる限り全く仕事をしてません。

俺「社長この隣保班はお茶入れしないそうですけど大丈夫ですか?」

葬儀屋「お茶入れですか、それ我々の仕事じゃないですよ」

この瞬間、今まで溜った怒りでプチンと切れた僕が怒鳴ります。

俺「我々の仕事じゃねぇ? 引受けた以上滞りなく進行させる葬式代行業が葬儀屋の仕事だろ、まともな仕事ができねぇなら受けるんじゃねぇ!」
 
結構な剣幕だったのでしょう。話してた葬儀屋はすごすご居なくなりました。

結局その様子を見てた隣保の人達が気を利かせて、お茶入れや洗い物や雑用をしてくれて無事葬式ができました。

数日後紹介料3万円持ってきた葬儀屋に、

俺「ふざけるな、まともな仕事もできねぇのに紹介なんて受けるんじゃねぇ」

葬儀屋「やる気はありますよ・・・」

引受けた時とは別人のようにボソボソ話す爺さん、それ以上話しをする気もなくその後の付き合いは一切ありません。

この話には続きがあり1年近く経った頃、自宅で葬式の話しが出たので、家族はその後どうしてるか聞くと「実はね――、」と驚きの話し始めました。

嫁「黙っててって言われてたけど私も納得できないから聞いて良い?」

俺「ん、何かあったの?」

嫁「葬式後に葬儀屋さんが来て紹介料3万円くれって払わされたらしい」

俺「は? 自分の利益からじゃなくて葬家に請求したのか!?」

嫁「らしいよ、紹介料を葬家に請求なんて普通に考えて変でしょ。あの時、葬儀屋から紹介料は貰うけど家族へのサポートは無料で良いって言ってたでしょ。家族から紹介料を取れって言う人じゃないから聞いてあげるって言うとご主人に迷惑掛かるから止めてくださいって――、」

満足な仕事も出来ず商道の常識も無くあきれるし人間として腐ってます。

3万円は返すと言いましたが、それだと黙っててと言われた私の信用も無くしちゃうとの事で止めました。

最悪な葬儀屋に依頼したのは僕のミス、法人設立前でしたが初めての葬式は最悪な葬式の記憶しか残らない経験となりました。

この経験が葬式に関わる人は無条件に信頼してはいけないと肝に命ずる事になったのは先々大きな意味がありました。

無責任な紹介業なら簡単に出来るけど責任持っての紹介は難しいと言うか、ほぼできないと分り法人設立定款には『葬祭業』の一文を付け加えました。

その結果、自分で葬式施行ができる訓練が必要の意識を持てた事で施行依頼する葬儀社を見る目が最初から家族目線に成れたのも大きな成果です。

これだけ歩いても自信を持って紹介できる葬儀社に巡り逢わないのは依頼したいと思うレベルの葬儀社は無いと思ったほうが良いと覚悟しました。

話しのついでに『あんしんサポート葬儀支援センター』という名称の由来は社名について話してる時、タイヤで有名な『ブリジストン』の由来を話しました。

石橋さんが創った会社だから『石=ストーン』『橋=ブリッジ』を併せたのが『ブリジストン』という社名の由来、文字だけ見れば変な名前です。

でも実績や知名度が上がれば『良い名前』と感じるもの、例えば『安心』を『支援』なら『あんしんサポート』でも良く社名など何でも構わないと伝える。

すると千明いわく「それ良いですね」良く見ればサポートと支援と重複した変な名前ですけど社名が決まった瞬間でした。

1-6 信頼に足る葬儀社探し

それでも家族目線の葬儀社探しは続けますが、予想通り家族目線で信頼に足る葬儀社探しは難航を極めた。

隣接市の寺で聞いた事のある葬儀社名が出て記憶を辿ると、最悪な葬式で息子と間違えたスタッフ派遣会社だと分りました。

行くと小さな葬儀屋さん、先日頂いた名刺を渡し社長の予定を聞くと、もう帰ってくるからと色々な話しをしてくれました。

事務「うちの社長葬式が趣味ですからね」

俺「葬式が趣味ですか?」

事務「はい先日も斎場で家族から頼まれもしない白幕張りしてるから何してるんですか?って聞くと、俺が動くぶんには費用は掛からないし、綺麗に幕が張ってあれば家族は喜んでくれるだろって、ニコニコしながら言う人ですから儲かりません。それが良い所でもあるんですけどね」

そう言って笑う事務員さんを見て『此処ここだ!』と思いました。

戻ってきた社長に挨拶するとすぐに分ってくれましたが、葬儀屋は全面信頼してはいけないと学んだばかりです。

『紹介』の言葉は使わず、うちが受けた葬式施行の代行をして欲しい旨と、丸投げではなく打合せや相談は我々が行うことが条件です。

それ以外は全てお任せの施行代行見積りを送信してくれる事になりました。

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参考資料(お時間のある時にでも読んでみてください)
あんしんサポート葬儀支援センター  
代表ブログ 葬儀支援ブログ「我想う」

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