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【不登校】子育って本当よくわからない



はじめに


先日、
親戚がもうすぐ1歳になる子どもをつれて遊びにきました。
 
久しぶりに赤ちゃんに会って、ついうれしくなったわたしは、抱っこしたり、遊んだりして少し興奮ぎみでした。
 
そして「こんな時もあったなあ」
 
と、十数年前のわが子たちを思い出して懐かしくなりました。
 
それと同時に、わたしがいなければ、子どもが何もできなかった頃の記憶が、ずっと自分の心の底にあることにも気づきました。
 
もう上の子は社会人、下の子は高校生なのに、いまだに「やってあげなくちゃ」と親心が発動してしまいます。
 


こどもは大きくなっているのに親の心の中にはずっと幼い姿のまま


永六輔さんのことば


永六輔さんは
「人間は3歳までに一生分の親孝行をしている」と言いました。
 
ヨチヨチ歩きで、「マンマ」「ワンワン」と片言をしゃべるわが子のかわいらしさを思い出せば、このことばが実感できますね。
 
ですから、そのあと大人になるまではたとえ、親に反抗しても、学校に行かなくなっても、親不孝だと考える必要はないのかもしれません。
 
  
 

叱らない子育て


10年くらい前でしょうか、「叱らない子育て」が注目をあびたことがありました。
 
「怒る」のは、感情的に相手に怒りをぶつけるのでよくないのはわかりますが、「叱る」のもよくないのかと、当時は自分の子育てに自信をなくしたものです。
 
実際、小学生、中学生を目の前にして、叱らずに子育てできた人はどのくらいいたのかはわかりませんが、少なくともわたしにはかなり難しいことでした。
 
そして、叱らないだけではなく「ほめる」ことが大事だとも言われました。
 
教員だったわたしは、保護者の方に、
「うちの子どもはほめて伸びるタイプなので、もっとほめてください」と言われたのを覚えています。
 
もちろん、生徒の努力を認めて言葉をかけるのは大切ですが、「ほめる」「叱る」どちらか一方ではなく、バランスよくどちらも取り入れるのがよいのではないかと考えていました。
 
 

叱らない、ほめない


そしてさらに、10年後、
娘の不登校をきっかけに、本を読みあさり、ネットを検索し続けていた時に出会ったのが、
「叱らない」し「ほめない」という考え方。
 
『嫌われる勇気』で日本でも有名になった
心理学者・精神科医のアドラーは、
 
叱られて育つと、子どもは人の顔色をうかがって生きるようになる。またほめられてばかりいると、誰かが見ている時にしか適切な行動をしなくなると言いました。
 
彼は、子どもを大人と対等な存在として扱うことを前提に、ほめても叱っても、そこには上下関係が存在すると言っています。
 
さらに、子どもが失敗してしまったら、同じ失敗をしないためにはどうしたらいいのか話し合い、そこから学ぶことが必要であり、わざわざ失敗を叱る必要はないそうです。
 
目からウロコが落ちるとはこのこと。
「ほめない」し「叱らない」なんて。
 
ただ、これは理想に近く、明日からすぐに実践できる、お手軽な方法ではないと思います。
 
ただ、最近自分と子どもたちの関係を考えると、対等か、もしかすると子どもの方が勝っているところが多いと感じるようになりました。人生経験では負けませんが、SNSにしてもそのほかの知識や考え方など、およそ自分たち世代にはない感覚に驚きます。
 
そして、子どもを1人の人間として尊重する姿勢は、すぐにでも自分の中に取り入れることのできるものだと感じました。








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