よこやまのりえ

中学校で28年間教員をしていました。娘が高校1年生の時に、学校を休み始めてからこれまで…

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中学校で28年間教員をしていました。娘が高校1年生の時に、学校を休み始めてからこれまで経験したこと、その中で感じたことなどを書いています。思春期(特に中高生)のお子さんとの関わり方や、親自身の心の整え方などみなさんの参考になるとうれしいです。

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  • No Border School【不登校共同運営マガジン】

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    【不登校のお子さんと関わるすべての人へ🌱】あなたは決して一人じゃない✨情報共有や交流をバンバンして、自己肯定感爆上げしましょう🥰あなたの人生を楽しむべく子どもとより深く関わるべくみなさんで盛り上げていきましょう‼️独断と偏見で不登校に関する記事を集めています🌱登校のお子さんをもつあなたのための共同運営マガジンです🌈

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【不登校】こどもの話を聴くコツ

相手に寄り添う「傾聴」とは わたしは、子どもが学校へ行かないと決めてから、とにかく情報を集めたり、本を読んだりして知識を増やそうとしてきました。 たぶん、皆さんもそうだと思います。 子どもに対する親の接し方には、その年齢や状態によって異なりますが、よく「傾聴」が大切であると言われます。 わたしが教員をしていた時、生徒との面談が年に数回ありました。 そのほかにも問題が起きた時や、保護者の方とも話す機会は多かったです。 ただ、話を聴くというのは、簡

    • 【不登校】もう学校に行かなくていいと言えた日

      朝 青白い顔をしてうつむきながら トボトボと学校に向かう娘 窓から手を振って見送りながら なんでこんなつらい思い しなきゃだめなんだろう とわたしは思っていた。 子どもが学校に 行かなくなるかもしれない という不安で 崖っぷちに立たされているような 気分になっていた。 でも学校に行かなければ 単位が取れなくなる 単位が取れなければ卒業できなくなる という恐怖から抜けられず 「きっとテストがあるからだね」 「たぶん部活の大会が近いからだよ」 と

      • 【不登校】娘の成長を感じた出来事

        通信制高校へ通う娘から 「スクーリングで一緒になった人たち とちょっとお店に寄ってから帰るね」 とLINEが来ました。 「え?」 もう一回読んで 「知らない子たちと一緒にいるの?」 って、すぐには信じられなくて もう一回読み直して 返信しました。 これまで、何度も スクーリングに行っていますが 他の人の話題が出たことが なかったので驚いてしまいました。 娘は人とすぐに打ち解ける タイプではなくて とくに同年代の子といると 必要以上に気を

        • 【不登校】イライラを解消したい時に私がやっていたこと

          自分の時間を作っていますか? 学校に行かなくなった子どもと 1日中家の中にいるのって けっこう大変。 みなさん、どうしていますか? たとえ別の部屋にいたとしても 気配は感じるから 物音がすると あれっ? 逆に音がしないと どうしたんだろう? と気になってしまいます。 子どもは子どもで 親が何をしているのか 兄弟姉妹の様子はどうなのか 気にしているはずです。 それに不登校の時は 親と子どもで 時間の流れがズレるので タイミングが合わないこと

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          【不登校】むすめとのバトルで気づいたコミュニケーションの極意

          ちょっとしたバトルの勃発 「なんでそんなこと言うの!」 「だってそうでしょ、 そうしないと気が済まないんでしょ!」 とイライラモードで 言い返してしまった。 「なんでそんなふうに言うの・・・」 泣きながら娘は部屋へ あ~やっちゃった~ みなさん 子どもと言い合いになった時 どうしてますか? 謝るのは得意ですか? 苦手ですか? 夕食を作り始めようとしたとき 娘が夏期講習の話をはじめたので 座り直して

          【不登校】むすめとのバトルで気づいたコミュニケーションの極意

          回復期には任せてみよう

          回復期のころ 娘が学校を休み始め 昼夜逆転 1日中誰とも顔を合わせない 時期が終わり・・・ 不登校の4つの段階でいうと 回復期の試行期に入ったころでしょうか http://www.blog.dlive.jp/wp-content/uploads/2021/08/dankai.pdf 制作 : NPO 法人 D.Live. 不登校 4つの段階. 心にエネルギーが満たされ始めたと 感じたとき 2人で何度か旅行に行きました。 近場だと 「知っている

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          【不登校】わたしを救った言葉

          「不登校は不幸じゃない」 学校に行けたり 行けなかったり そんな時期が終わり 本格的に 娘が学校を休むようになって 毎朝 行くのか 行かないのか 葛藤する時間から解放されたけれど まだ わたし自身の気持ちが ぐらついていた頃 ネットや本からの情報も 参考にはなったけれど わたしが一番聞きたかったのは 経験者の話 子どもが不登校になった人の体験 が聞きたかった。 コロナ禍で 人と会うことが制限されていたので 見つけたのは オン

          【不登校】わたしを救った言葉

          不登校になったら終わる

          娘のひとこと 「学校に行けなくなったとき・・・ 終わったと思ったんだよね・・・」 高1の夏から本格的に学校を休み始めて 2年以上過ぎたころ 娘が言いました。 「そうだったんだ・・・」 と、言うことしかできなかったわたし。 長かったね こうやって話せるようになるまで そして 心の中の 悲しみ 苦しみ 焦り 不安 で固まっていた感情が やっと溶け出してきた。 そう感じた瞬間でした。

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          【不登校】子育って本当よくわからない

          はじめに 先日、 親戚がもうすぐ1歳になる子どもをつれて遊びにきました。 久しぶりに赤ちゃんに会って、ついうれしくなったわたしは、抱っこしたり、遊んだりして少し興奮ぎみでした。 そして「こんな時もあったなあ」 と、十数年前のわが子たちを思い出して懐かしくなりました。 それと同時に、わたしがいなければ、子どもが何もできなかった頃の記憶が、ずっと自分の心の底にあることにも気づきました。 もう上の子は社会人、下の子は高校生なのに、いまだに「やってあげなくち

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          娘の不登校が気づかせてくれたこと

          完全に学校に行かなくなる前の、5月から6月までの時期が一番つらかったなあ・・・。 思い出すのもしんどいです。 親のわたしでさえ、これほどの思いをしたのだから、娘はこの何十倍も苦しかったはずです。 「不登校」は「負(ふ)登校」なのかっていうぐらい、悪いイメージしかないですよね。 たしかに、10年前よりは不登校に対する世の中の風当たりも、少しはやわらいでいるように見えますが、 それでも、「ウチの子不登校だったんだよね~」なんて軽く言ったつもりでも、相手は「え

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          GWはすこし苦手です

          みなさん、ゴールデンウィークはどう過ごしましたか? 教員時代、連休中は部活動の大会が組まれていることが多く、ほぼ休みはありませんでした。 それでも、子どもたちが幼いころは、なんとか時間を作って、遊園地や水族館に行った思い出もありますが、家族との時間が十分にとれないことは悩みのひとつでした。 そして、学校に来られない生徒が増えるのもこの時期です。 担任は、休み明けが心配な生徒に、「待ってるからね」と電話をします。 でも、それも「登校が正解」という前提の上でする指導

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          元先生のわたしが不登校の親になった

          わたしは、28年間中学校に勤務していた、元教員です。 先生になった平成の当時も、学校に来られない生徒はいました。 でも、まだ人数もそれほど多くなくて 「登校拒否」と呼ばれていました。 家に迎えに行って、生徒を連れてくることが当たり前でした。 自分の学級に休みの多い生徒がいることは 担任として後ろめたく、 なかなか同僚にも相談できなかったことを覚えています。 それから時代は令和になり、 学校に行けないことを全面的に否定する言動は 減ってきたように感じます。 個々にあった

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