発達障害の一例②

〜私の場合〜

頭の声がやまず、自分へ、ひっきりなしに話しかけてくる。こちらが何をしているかはおかまいなしだ。だから、心休まる時がない。
誰かと話してようが、眠りたいときだろうが、疲れ切って何も考えたくないだろうが、ショックがあって悲しくて仕方ないときさえも。
スポーツ中も。
シャワー中も。
出かける準備で泣きたいくらいバタバタしていても……。

幼少期からである。

だから、以前の記事にもかいたが、私の頭の声が止んだときは、数えて2回程度だ。
以前の記事の小学校時代の昼間の月に気がついて、ほんの数分バスケットボールに座り、真昼の月を眺めていたときと、数年前の皆既月食のときだ。

眠れたときのその間もそうかもしれない。

しかし、疲れる。
ガスは消したか?
鍵は空いてるんじゃないのか?
ガスはやはり消してないんじゃないのか?!ストーブが消えているか、本当は見てないんじゃないか?
おつりはもらったか?
話していて払いそこねてないか?
水は出しっぱなしじゃないか?
洗濯機のスタートボタン押し忘れてんじゃないか?

忘れ物してるんじゃないか?
これであってるの?

この食べ物好きだから買っていってあげたら?
でも、今これを食べる気分じゃなかったりしたらどうする?
座る?
走る?
泣く?
何もしたくない。
逃げたい。
消えたい。
消えても誰も何も変わらないよ。
今、みんなあなたを嫌がっているんじゃないか?
ほら、コップをガタンって置いたから怒ってる。
ドアも強く閉めた!
やっぱり私に怒ってる。
目が合わなかった。
さっきの言い方が悪かったかな??……


など、
きりがない。


疲れてしまうのだ。
だから、頭が常にフル回転してる割には、目の前のやるべきことや提出物に頭が行きにくい。頭の声の対応にほぼ全エネルギーをつかうのだ。
否定したり、いや、私は今これをやらなければいけないんだと、逆らうがそのことにも意見してくる。

これが当たり前だと信じて疑わなかった40年弱。
疲れ果てました。
皆にはないと知ったとき、

あの真昼の月を見たときのような頭の静かさが常にある人もいると知ったとき、


泣きたかったが

私は苦しかったのは

理由があったのだ



と、

すこしホットもした。

もちろんうらやましいが、
頭が静かならもっとパフォーマンスができるし、時間や体力の使い方(出かける前のガスの点検に毎回1時間かかり、汗だくに疲れる)がうまくなるんだろうなと考えた。

でも


理由がわかる



とは、
それだけでもう8割は対策がうてるから
私には救いだった。


あと、不思議だが、
シャワーでなく入浴しているときは、私が主導権をにぎり、頭の声に話しかけることが多い。2時間くらい。

また、
食器を洗うのは洗うまでは苦手だが、はじめると洗ってる最中にミョーにやる気がわいてくる。水を触っていることが関係しているのかもと、最近気がついた。

もう一つ。
マラソン時も、わたしが主導権を握れる。
もしくは対話ができるからいくらか頭が楽だ。以前から不思議と走ると頭がクリアにリセットされる感覚があった。

歩くのも多少対話型になる。


私は
40歳を前にしたとき、
色々原因がわかり、さらにそのつらさを少し減らせる術をつかんだ。
だから、これからは似たような症状で
暗いトンネルのかなで苦しむ人々の光となる経験や、感覚過敏による苦しみのやり過ごし方、物忘れからくるまわりからの叱責を少しでも減らし、自己肯定感がほぼない私達の心からの自己肯定感を上げるための「書く」スキルを、広めることをしたい。
それは、格好つけて、ものを作って売りたいと言うより

「自分が苦しみの原因を知り、周りの近しい人が理解をしてくれ、過ごしやすい環境が整うこと」これが最善だからだ。

知ること

救いに、なる。

知ってもらうことが

救いになるのだ。と分かったからだ。








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