他者との関わりで見えてくるかなり歪な自分

書きたくなったら、書く。どうやらアウトプットして言語化したい欲が強い周期らしい。自己分析が好きで、分析されるのも好きなので、いわゆる占いも割とチェックしがちなのですが、そこにはわたしの「理解されたい」という欲求があるのかなーとおもいます。安心したいんだね。「あなたはこんな感じのひとだよね」「こういうとき、こういうふうになっちゃうよね」「大丈夫だよ、それがあなただから」「あなたにはこういう才能があるよ」みたいな言葉をもらって、自分の価値を確認してるんだろうな。

「自分の価値を確認したい」とおもってるってことは、「自分の価値を感じられていない」ってことで、自信がないという状態。自信満々で生きている人はいるだろうけど、少ない気がするから、だから占い好きなひと多いんだろうね。わたしもそのうちの一人。

昨夜は、しいたけ.さんのインスタライブのアーカイブを聴きながら、いつの間にか眠りについていました。早朝目が覚めて、また聴き直して、また眠りについて。ただの睡眠導入剤になっとるやないかい。ちゃんと起き上がったあと、昨日取り込んだままになっていた洗濯物をたたみながら、改めてしっかり聴きました。

話を聴きながら、占いって自分のことを知るいいきっかけだなーとおもいました。最近特にね、「他者との関わりの中で見えてくる自分」みたいなのに興味があるというか、自分って、自分一人じゃなかなか見えてこないよなー、と強く感じているんです。そしてそれは、自分が想像してない形で顔を出すというか、出ちゃうものなんだなー、って。

恥ずかしいものですよ。かっこいい理想の自分とかけ離れたものが出ちゃうんです。でもそれが自分なんですよね。なかなか認めるのつらいけど。つらいというか、拒絶したがるというか。まあでもこんなもんなんです。

理想があるからつらくなるなら、理想をつくらなければまだ楽かもしれないですよね。いいものをつくろう、こんなふうにつくろう、でもやってみたらこんなものしかできなかった。じゃあ次はどうしよう。あ、書きながら気づきました。つらいのは、「こんなものしかできなかった」で凹むからですよね。異常なほどに。できたものは単なる事象なので、そこに深い意味付けはしなくていいかな。意味付けね、意味付けしたがりなんですよね。意味なんてないものたっくさんあるのに。

最近は少しずつ、「なにがでるか、たのしもう」という気になってきたんです。ずっとつらかったから、開放してあげようとおもって。そうは言っても、なんかすごいものでるといいな、とはおもっちゃうんで、「こんなもんか」とおもうこともありますけど、それは、つぎにつなげてもいいし、つなげなくてもいいし。

すみません。支離滅裂かもしれませんが、ふわふわと思考の記録を残しています笑。こんなことばっかり考えながらふだん散歩してます。たぶんふわふわ考えている時間が一番正直になれているときだとおもうので、それをこうして記録として残して、またあとで分析してあそびます。さあ、タイトル何にしよう。ちょっと考えます。

あ、決まりました。「歪な自分」というフレーズが出てきたので、「歪な自分」というフレーズが含まれるお気に入りの曲を載せて終わりにします。

歪な自分に優しくできない
そんな日もあるし
真っ直ぐには伸びないのが life


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