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行方不明展の感想noteを勝手に紹介する記事。

私の書いた行方不明展の記事が、書いた記事の中ではかなり好評を頂いています。

皆様ありがとうございます。私なりの解釈、私なりの言葉が皆様に何か行方不明展への違った見方を提示できていたら光栄です。

ただ、私はひとりで行方不明展に赴いたので誰かと感想を交わすということが出来ず、うずうずしながらnoteで行方不明展と検索しては他の方の感想を読んでいました。

やっぱり同じ場にいても見えるもの感じるものは人それぞれですね…。

そんな中、noteから通知が届きました。

別の記事で、私の記事が紹介された事にも通知が付くんだ!?

なるほど!他の方の記事をご紹介してより多角的に行方不明展を考えてみるのも素敵かもしれない!

そう思い、ハッとさせられた記事を勝手ながらいくつかご紹介させてください。問題がありましたらご連絡くださいませ。

君様

私の記事を取り上げてくださった方です。ありがたいことである。

「上手くいかないケースの方に強くメッセージ性を打ち出していた」という点について。

特にラスト付近の「真偽不明」エリア周辺はそういった物品が多かったですね。

後述もするのですがやはりこの行方不明展は「この世界で生きる」という事を肯定する展示なのではないかなと思っています。

そのためラスト周辺はその反例、「別の世界にいっても上手くいかない可能性」を強めに出して、逆説的にこの世界を肯定している、といった感想に導きやすい展示にしているのではないかと思いました。

けれど、序盤の「身元不明」エリアで探されている人は周りの人の気持ちと裏腹にもしかしたら別世界でうまくやっているのかもしれませんね。

「身元不明」をラストにすると「身元不明」で捜索されている人々は世界を渡ったあとの描写がないので、「行方不明になること」への感想がもっと人によってバラバラになったと思います。幸せに生きている可能性も見出せますからね。

けれど、「真偽不明」のビターな一面で話を締めくくったのは、やはりこの世で生きることへの温かな思いがあったからなのではないかな、と思いました。


松本鹿介様

おわりに、の「自分が行方不明になる感覚」の描写に引き込まれました。

そして、「行方不明展」自体に何か引き込まれる感覚がある、というのにも非常に気持ちが伝わります。

個人的にB1のフロアが特に「引き込まれる」ように思いました。

1Fは展示物ひとつひとつが強い揺さぶりをかけるけれど、給湯室や充電されているゲームなどの日常性を感じさせる面もあってそのちぐはぐさの違和感が際立っていたように思います。まだ日常の地続きの感覚が残っていた。

けれどもB1へ向かう階段から少しずつ仄暗くなり、展示の趣きも静かに見つめるような方向性のものが多くなっていき、物語が読めてくると…

じんわりと、「この展示会場こそが別世界へ繋がる場なのでは…」と時折ぞくりと感じてしまいました。

ラストでは物品が「散逸」してますからね。

進行形で、この場で何かが起きている、という感覚があった。その事を思い返せた記事でした。


かにまるかにたろう様

前評判として挙がっていた「行方不明を取り扱うのは不謹慎ではないか」という言葉に考えを深めていった点が興味深い記事でした。

たしかに行方不明という言葉は強い感情を引き起こすワードです。

内包する意味が多数に渡りすぎている上に、事件性、さらに言えば被災して見つからない方もその言葉で表されることもある日本ではかなり難しい言葉をタイトルに選んだなと改めて思いました。

行方不明展に限らず自分が不快に感じる表現に出会った時、ということに個人的な意見を述べるなら、「自分に合わなければ、自分がその場から離れる」という自衛を各々していくことが今多くの人に求められているのではないかと思いました。

私も怒りを覚えるような創作に出会ったことはあります。ですが、それを否定することはできない。なぜなら、「何かを否定することは自分が否定される可能性を作り出すことになりうるから」です。

どんな創作であれ、存在は許される。もちろんそこに批判をつけるのも許される。けれども、どの表現も、存在を否定してはいけないのではないかと。

互いの意見の相違を認識した上で、さらに表現を重ねて影響し合うのが良い形であり、どうしても自分の中で納得がいかないのであればnot for meという形でそこから離れるのも策として自分の中に用意しておく…というのが理想なんだろうな、と思いました。本当に理想論ですね。

どこまで意図を伝えるか?

どこからが「攻めた表現」になるのか?

私も表現者の端くれとして考えさせられた記事でした。


なおやん様

この記事は私になかった視点が密やかに含まれていて、「あっ!!」と驚いた記事です。

筆者は「多くの人は行方不明になりたいと感じる」ようになるであろうと予測を立てています。

筆者本人は行方不明にはなりたくないと感じたご様子ですが、上の予測を言い換えれば、この展示は「行方不明への好奇心を掻き立てる」方向性にある、と感じたということではないでしょうか。

勝手な想像ですが、もしかするとこのお方はとても現実をしっかりと生きてらっしゃる方なのではないか…と感じました。

つまり、「今の自分の身分を捨てて、生き直したい」という自己逃避を考えたことはあっても強くは浸っていない方なのかな…と勝手な推測で感じました。

私は行方不明展の感想を書く際に前提として「誰もが消えてやり直したいと思ったことがある」という先入観がありました。

けれど、そういう夢想に浸ってこなかった人もいるのでは…?という前提を覆す視座を得られたのがこの記事です。(筆者の方を詳しく存じ上げないので意図を汲み違えていたら申し訳ありません。)

もしこの行方不明展が指す「行方不明」への欲求を明確に意識したことがない人がこの展示を見たとしたら。

この展示を見ることで「行方不明になりたい」という気持ちがあることをはじめて知るわけです。

はじめてその感情が形になるわけです、しかもあの展示物たちの怒涛の衝撃によって…。

そういう意味で、この行方不明への欲求をここで植え付けられてしまった人ももしかしたらいるのかもしれないな…とぞわりとした気付きを得た記事でした。

名前の知らなかった感情に名前がついてしまった瞬間がここだったとしたら確かにその欲求が増してしまう可能性はあるだろうな。

だからこそ、やはり「真偽不明」での行方不明の苦い一面を強く押し出したのはストッパーという意味でもラストに相応しかったんじゃないでしょうか…。

みゆきさん様

個人的に一番読み物として大好きな記事です。

私は記事にする際に、言語化できたと思える部分だけを書いたなという感覚があって、考えがまとまらなかった部分については他の人の感想を見て落とし込んでいこうと思っていたのです。

ですがこの記事は、もう文章を書いている最中でも感情の奔流が渦巻いていて、言葉にしようという力に満ち溢れている。行方不明展から得た衝撃を形にしたいという意志に満ち溢れている。様々な経験とここで得た衝撃が打つかり合う瞬間が文章化されている。

行方不明展に関する感想の中で、熱量が非常に高くて、読み応えがありました。

こういう物事に対して、全力な姿勢で向き合って文章にしようとする人がいる、というのは創作者の端くれとして見習いたいと思いましたし、そういう人と出会えるからnoteって素敵だと改めて思った次第です。

私は小綺麗にまとめようとしちゃうくせがあるから、こんな風に力強く物を表現するスタンスを見習っていきたいものです。


chosu様

わたしは行方不明展を、ある種の人間讃歌だと思う。

上記記事より。

最後に、最も私の印象に近しいと感じた記事を。

人間賛歌。美しく鋭い言葉選びですね。

深く頷いてしまいました。

私はこの世界で生きるのだと、私も改めて気持ちを新たにした者のひとりです。

同じく行方不明展からほのかに今を生きる希望を見出した者だけれども、このお方の言葉ひとつひとつが柔らかくて綺麗な言葉選びで。

行方不明展へ希望以外を抱いた方には、こんな感情の流れも見出すことが出来たんですよ、とオススメしたい記事でした。

まとめ。

以上、様々な気持ち渦巻く行方不明展の感想の、感想記事、という変な試みでした。

個人的には、行方不明展に対してまだ言葉にできていなかった部分があったことを改めて発見した時間でした。
勝手ながら沢山の気付きをくださったnote筆者の皆様、ありがとうございます。

現在のチケット販売状況はわかりかねますが、
多くの方に様々な思いを抱かせた行方不明展。
ぜひまだ機会があれば行ってみてくださいね!

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