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「行方不明展」感想


注意:フィクション作品として、行方不明を扱うことに嫌な心地がする方は、この記事を読まない方が良いかもしれません。

行方不明展 入口



行方不明展を見てきました。
非常に味わい深かったです。

見せ方の衝撃は予想を超えて。
文脈については良い意味で期待を裏切られた。
そんな個人的な満足度がかなり高い展示でした。

途中までは核心部分に触れずに感想を。

どうして忘れているように振る舞うの?



この展示の核心部分について明言を避けて、行こうか迷っている方へのアドバイスをするなら下記の通りです。

・わかりやすい恐怖体験、明確なホラーを求めていくものではないです。
少なくとも私はこの「行方不明展」の主軸に恐怖を据えていないと感じました。
スパイス的に恐怖を感じるものもありますが、「怖いものを見に行くぜ!」という気持ちで足を運ぶと、少し首を捻るかもしれません。

・没入感ある作品が多いので、精神的に安定している時に、心にゆとりを持って見た方が良いです。
精神的に追い込まれているような描写があるため、「フィクションとして客観的に見ることができる」ほどの心の余裕を持っておいた方が良いと思いました。

・SCP財団のような「一風変わった物語の見せ方」が好きな人はオススメです。
SCP財団が報告書という形で物語を語るように、行方不明展は様々な物品たちで「行方不明」に関する片鱗を見せます。そういった斬新なストーリーテリングに惹かれる方はとてもお勧めしたいです。

個人的な、核心部分に触れない感想。
モキュメンタリーというホラーと親和性の高い手法を使いながらも、その内容には優しさが根底にあるように感じました。
確かに強烈な印象を残す作品が多いけれど、全体を通してみた時に、そこにはあたたかなものがある。
後味として、「これからも私は生きていこう」と思えた、背中を押してもらえたような、そんな展示でした。


【注意】
ここから先は行方不明展の核心部分に触れる内容になります。
これから見に行く方は読むのをおすすめしません。

忘れたくないのに。







作品の核心部分に触れる感想として。


この行方不明展が見せたものがなんだったのか、それは、現代を生きる人なら誰もが考えたことがあるであろう気持ちに寄り添ったものだと感じました。

「何もかも捨てて、新しく別の世界でやり直してしまいたい」

そんな、死までは至れないくせにどうしようもなく襲いかかる絶望。
あるいは、何も変わらない日々への諦念。
もしくは、ちょっとした好奇心からの憧憬。

ありとあらゆる理由からふと思い浮かぶ、この世界から抜け出したいという気持ち。

その夢がもし叶ってしまったら?
元の世界からは自分がいた痕跡を全部拭い去って、別の世界に行くことができてしまったら?

この行方不明展は、その「もしも」を叶えてしまった人たち、そしてその周りの人が遺したものたちを蒐集し、展示したものでした。

価値のある場所。



どうしてこの行方不明展が開くことができたのか?
それは周りの人がいなくなった人を記憶していて行方不明であるという認識だけが残っている、けれど戸籍などの情報は世界から拭い去られている。
だから、もう探しようがない「行方不明」だけを集めた結果、別の世界へ移動しているという現象が起きているのでは?という推測が浮かび上がる、というのが今作の全体的なストーリーラインです。

物品の情報たちからある程度推測は立ちますが、そこに各展示エリアのプロローグ、エピローグの文章が状況をわかりやすく補足してくれます。想定を逸脱した推測に来場者が向かわないように、という配慮が感じられましたね。

この各展示エリアのプロローグ、エピローグの文章だけはSNSへの写真のアップロードを禁じていますが、他の作品についてはSNSへの写真のアップロードを許可している点も大変興味深いです。
作品一点一点をSNSで見るだけでは何が起きているかはわからず、不気味な物品として目に映り、集客に使っても良いだろうという判断をされたということですね。
そして会場内でしか見れないプロローグ、エピローグを見てようやくこの展示たちを通じて語りたいことが見えてくる。
この、どこまで情報を開示するかのコントロールが絶妙で上手いなぁと感じてしまいました。
(SCP財団でいうところのクリアランスレベルによる情報開示の段階化が、SNSで見た人、来場者とで行われているようなイメージ)

さがして。



大切なものは失ってから大切だったと知る、なんて言葉がありますが、
行方不明者のポスターはまさにその結果の一つとも言えます。
大切な存在が消えて、不在になることで浮かび上がる強烈な感情たち。
愛情、執着、憎悪。
裏を返せば、消えた人はそこまでの感情を人に持たせるほどに大きな存在だった…それが本人にとって幸福かどうかはさておき。

そういった不在になることで浮き彫りになる、強烈な感情たちが、作品一点一点に鋭く込められています。
これが文章作品なら、〜〜と書かれた手記、という説明で終わるところが、今作では実物が展示されている。
筆跡や経年劣化などの文章のみでは伝わらない情報がそこに込められている。
そのリアリティあるストーリーの見せ方に私はとても心惹かれました。
このリアリティの強さが人によっては、不気味であったり恐怖として映るのでしょう。
(私はSIRENシリーズのアーカイブで似た衝撃を先に体験していたので少し落ち着いて見ることができたように思います)

この行方不明展で起きた世界の移動による行方不明の現象については、ただただ現象にすぎず、これについて深く考察するのがこの行方不明展のメインコンテンツではなさそうです。(ここをメインにするとSCP財団になりますね)

この特殊な行方不明に陥った人、その周りの人の様々な心情を、作品一つ一つから汲み取る。
それが、「この世から消えて別の世界でやり直したい」と思ったことがある過去の自分と通ずるものが出てくる。
そして、私はこの行方不明展を通じて、もしも本当に、「行方不明」になれた自分がいたら、という想像の追体験をした、というように感じました。

そして、その行方不明になってみたい欲求を擬似的に満たしていくことが出来る一方で、残された人々の切実な苦しみや、新しい世界でも結局上手くいかなかった人などの痕跡を目にします。

ひとつの結末。


この世から消えてみたい。
その様子の甘苦どちらも追体験しながら、ぼんやりと私は考えていました。

今の世界から私が消えていいのか?
別の世界なら本当にうまくやりなおせるか?


この行方不明展は、その「消えてしまいたい」という感情に強く寄り添いながらも、最後には解釈を委ねてエピローグを迎えます。


昔の自分だったら、もしこんな現象があったとしたら、それは救いだと感じるんじゃないかと思いました。
何をやってもうまくいかなかった時に、何もかもを投げ出してしまいたかった。
そんな過去の自分がもしこの行方不明展に来ていたら、別の世界でやり直せるという魅力だけに惹かれて、そしてフィクションであることに乾いた笑いを浮かべていたような。そんな気がしました。

けれどあれから時を経た、今の私だからこそ、別の答えが出ていて。
生きるのに不器用で、上手に人生を送れている自信なんて全く無いけれど。
けれど、別の世界でやり直すことになったって、結局私は私のままなのだから、きっと同じような道を辿ることになるんじゃないかな、と思ったのです。
そういう運命なんだ、ということですね。
後ろ向きな解釈に聞こえるでしょう。
けれど、私にはこちらの方こそ希望なんじゃないかってそう思うのです。
だってそれは、行方不明になる必要なんてないってことですから。

この行方不明展を通じて私は、
「ああ、私は私として、この世界でこれからも生きていくんだ」
という現実をより柔らかく受け入れることができるようになった気がします。
現実に、消えてしまいたくなる瞬間なんていくらでもあるけれど、それでもこの世界で生きていく。
そのための勇気を得られたような。
そっと背中を押してくれたような。
そんな、優しい後味を感じながら、私は行方不明展を後にしました。

薄暗い地下の会場から外へ出て。
燦々と輝く太陽の光に目が眩んで。
その光の中には美しい三越前の街並みと、今を生きるためにどこかへと歩く人々がいました。
その光景が美しいと思えることは、幸福なことなんじゃないか。
この世界捨てたもんじゃないな、って思えてきたりして。

たまに私でなくなってしまいたい時もあったって、
10分程、秘密の倉庫でお菓子を食べて休んだり。
大都会に出かけて、雑踏の中の1人に紛れてみたり。
そのくらいの「行方不明」が私には合ってるのかも、なんて思えた。
そんな夏の日の「行方不明展」でした。

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