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好きなことを続けたいから、晩ごはんを朝作る

なぜ今まで気が付かなかったんだろう。
晩ごはんは、朝作ってもいいということに。

それは、とある作家のインタビュー記事か何かだったと思う。
執筆の時間を確保するために、朝、夕食まで作ってしまうのだという。
衝撃が走った。

な、な、なにぃいぃ??
朝、晩ごはん作っているだとぉぉ!
(5秒後)
そっか、朝に作ればいいのか!

なんか、めちゃくちゃ腑に落ちた。


細々と文章を書いているのだが、細々のわりにとにかく時間がかかる。

書くのは主にパートの仕事が休みの日なのだが、午前は掃除とジムと買い物、午後からやっと書けるかと思えばあっという間に夕方である。で、ああ、もうご飯の準備かよーとなる。
普段は給食のおばちゃんをやっているのだけど、それは私の場合、家での料理も苦もなくできるということではなく、日々の食事作りはしっかりと憂鬱なのである。できれば休日くらいずっと好きなことしていたいけれど、家族はお腹を空かせて帰ってくる。


例えばnoteに文章を書いていて、16時ごろには娘が帰ってくるからなんとなく中断して洗濯ものを取り込む。そのあとに再開したとして、夕食作りにとりかかるタイムリミットはだいたい17時30分あたり。それは、私の一人の自由な休日が終わりを告げる時間である。

書くことに夢中になればなるほど、それを自分で終わらせて、さらにそのあと気が重い家事をしなきゃいけないというのは、なかなか辛い。

そして残念ながら、私が動かないことには家庭内で様々な支障が出るが、文章は書かなくても誰も困らない。だから、休みの貴重な時間をほとんど使って書く意味って何だろう?とか考え始める。それで、文章を書くこと自体から遠ざかってしまうのだ。

それに、書かなければごっそりと時間ができて、韓ドラにどっぷりと浸れる。書かないなら書かないなりに、楽しく過ごせるのである。


でも、だからといって、なのだ。
韓ドラサイコー!書かなくてもいーや!と簡単に割り切れるものでもないから、難しいのである(韓ドラはサイコーだけど)。
「別に書かなくても困らないわけだし、潔くやめてしまった方がいっそ楽かもしれない」と、「いーや、書きたいんだ!」との間を行ったり来たり。ずっとモヤモヤしていた。

そこへ、朝、晩ごはんを作るという、この発想である。
書きたいけど時間がない、忙しいなどという私の軟弱な言い訳に風穴をぶっ通し、凝り固まった固定観念を吹っ飛ばしてくれるようだった。

それは食事作りを一回パスできる切り札ではない。
時間が増える魔法でもない。
ただ、順番を変えるというだけのことだ。
が、しかしである。

できるだけ午前中に、それが無理ならせめて昼ご飯を食べたあとに晩ごはんを8割くらいまで作ってしまう。すると、あら不思議。夕方、ゼロからの食事作りが待っているというのとは、気持ちのゆとりがぜっんぜん違うのだ。

時間がスライドした分はじめる時間は遅くなるけど、タイムリミットは伸びて、ぎりぎりまで書いていられる。だって、あとはもう味は付けてある肉焼いて味噌汁温めるだけだから。ああ、なんて気が楽なんだ!っていうか、なぜ今まで気が付かなったのだろう??

そしてもう一つ思いがけず気がついたことがあった。

憂鬱だったのは、いつもぎりぎりに始めて時間に追われながら作っていたからで、時間に余裕があってする料理は楽しいかもしれない、ということだ。それが分かったことも、大きな収穫だった。



やりたいことがあるけれど上手くいかない。でも、どうにかしたい。
それでどうしても、頑張るとか、気合とか、とにかく努力とか、そんなマッチョな思考でどうにかしようとしてしまう。そして、くじける。
でも、ちょっとした工夫とか、発想の転換とかがスイッチになって、スムーズに運ぶこともある。
それに、諦められずにどうしたら続けられるものかと考えていたから、いつもなら気にも留めない情報すら脳はキャッチしてヒントに変換してくれたのだ。
それが今回は、画期的に時短なレシピのアイデアとかでもなく、プロの作家であり主婦でもある女性のライフスタイルという、思いもしない方角からのヒントであった。面白い。そして、ありがたい。


敏感に情報を収集するアンテナになったのは、変わりたいという私の気持ちなのかもしれない。




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