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体力ゼロの私が始めたジム通いの効能

ジムに入会して4ヶ月が経った。

通っているのは、自宅から歩いて10分足らずの場所にある、24時間営業、無人というタイプのジムである。

無人ということは、もちろんスタッフはいないわけだ(監視カメラはいろんな角度から見ている)。
なので誰もマシンの使い方を教えてくれず、動画を見るとか、とりあえずやってみるとかして自分で使い方をマスターする必要がある。

私は全くのジム初心者で、筋トレが趣味の夫にマシンの使い方を教えてもらったのだが、そうじゃなければはじめるのにもっとハードルが高かったかもしれない。でも実際に通い始めてみたら、必要以上に人の目が気になる私にとって、スタッフがいないのはむしろメリットでしかなかった。他の利用者が少ない時間帯に行けば、さらに私好みに快適な環境である。

そもそも、私に筋トレを勧めていたのは夫だ。

仕事と家事でヘトヘトになる体力の無さ、肩も首も常に凝っているという私に「そんなあなにこそ、筋トレ!」とことあるごとに勧めてきた夫。
いやいや、こちとら日常生活だけで必死なんだよ。筋トレなんてハードなことできるわけないでしょ。と筋トレの押し売りをずっとあしらっていた。
ちなみに夫はずっと、自転車で30分近くかけて公共のスポーツ施設のジムへ通っていた。私にはそんなことを真似できるモンスター級の体力はない。鍛える前にバテる。

ただ、筋トレは問題外だとしても、この体力の無さと常に凝りに凝っている身体はどうにかしたいとずっと思っていた。

それで始めたのがウォーキングだ。
きっかけは、5年前に突発性難聴を患った時である。
ウォーキングが難聴の回復に良いらしいと聞いたからなのだが、歩くのは療養中は家にこもりがちだった私のいい気分転換にもなったし、体力的にも無理なくできた。
ただ一つ問題があって、6月を過ぎてから10月くらいまでは外へ出る気さえしなくなる。このか弱き身体はとにかく暑さに弱いのである。

ヨガを習ったこともある。
はじめてヨガを体験した日はあまりにも気持ちよくて「これがまさに私のやりたかったことだ!」と感動したし、深く眠れるようになったり良いこともたくさんあった。でも、決められた日に決められた場所に行くというのがプレッシャーに感じるようになってしまい、結局1年も続かなかったのである。精神的なタフさも私には足りなかった。

近所にジムがオープンしたのは、そんなタイミングだった。もちろん、何の迷いもなくオープン前に入会手続きを済ませた夫である。

私はといえば相変わらず、マシンを使う体力さえあるのかとか、ジムで疲れて家事もできないのではとか、不安材料ばかり浮かんだ。でも、家から近いというのはものすごく魅力的である。
そうだ。この身体のまま年を重ねることの方が怖い。ええい、ダメだったらやめればいいし!と、意を決して入会することにしたのである。

というわけで今のところ、週に2・3日通うというのがとりあえず4ヶ月続いている。そんないま実感しているのは、どんなことが自分に合うかなんて、実際にやってみないと分からないものだということである。

ジム通いが私に合っているところ。
それは、家から近くて、いつ行ってもよくて、室内で温度が一定、人の目を気にせず一人でできる、というところ。だから、このポイントさえ押さえていればジムじゃなくていいのではとも思う。

ところが、である。
不安だった筋トレだが、もうね、楽しいの一言なのだ、これが。筋力が無さ過ぎて、マシンの負荷(どれだけの重さを持ち上げるかとかそういうやつ)を最小(5キロとか10キロ)にしてようやく動かせるのだが、それでも回数を重ねると、動かしている場所、例えば肩とか背中の周辺がぽかぽかになるのである。

ああ、ほぐれている!
血が通ってる!!

この体感がまず、気持ちいいのである。
まさかムキムキになりたいとかなんて目指していないので、とりあえずこんな感じでスタートは上々。
それでも徐々に負荷も増やせていける(といっても15キロとか)。3ヶ月経過したころから二の腕とか胸筋とかの張りを感じるようになり、肩こり首こりも以前より和らいでいった。

筋トレに行った次の日、鍛えた部分に筋肉痛を感じる喜び。
以前まではそんな夫の光景に変態的なものを感じていたが、今では私も二の腕をなでては、胸筋をさすってはニヤリとしてしまうのである。ポテンシャルが低そうな私の身体さえこんなにも応えてくれるのが、筋トレの楽しさなのかもしれない。

何かをはじめては続けられずやめてきた私の人生。でも筋トレは無理なく続けられるんじゃないかという予感がしている。

はじめは体力づくりという目的だったのに、いつしか「目指せ!中村アン」とか高望みしちゃったり、ウォーキングができればいいと思っていたのに、ランニングマシンでちょっとずつ走れるようになってきたり。人とは昨日より今日と、勝手に成長していこうとする生物なのかもしれない。そしてほんの少しの変化も喜びになる。少しずつでも成長を感じられて、次の目標のようなものが見つかること。それは、続けていくということにとって不可欠なのではないかと思うのだ。

さんざん夫の筋トレへの勧めを無視してきた、この口で言おう。体力に自信がない人にこそ、私は筋トレをお勧めしたい。筋トレは、自分の筋力に合わせてマイペースにすることができる。

そして、誰かと一緒にいることが苦手で、一人で過ごすことが好きという私のようなキャラクターに、ジム通いは向いていると思う。無人ならなおさら良し。マシンの使い方は、動画の中のマッチョたちが教えてくれる。スタッフはいなかったとしても他の利用者はいるが、周りはどう見ても私のような初心者っぽい人ばかりだと気が楽なのである。無人のジムというものが出現した、この現代に生きている恩恵だ。

身体を鍛えて、筋力がついてくるということ。
驚いたことにそれは、私にとって確かな自信につながっている。
自信とは、自分の内側のどこからか湧き出てくるものだと思っていた。でももしかしたら、自信とは外側から一枚一枚、薄っすらとだけど後付けすることだってできるのかもしれないと思うのだ。なにかあればぺちゃんこにされてしまうようなものではなく、まぶしいほどの強固なものでもなく、ささやかだけど、確かにここにあると身体が感じている、そんな自信だ。

なにかと自信がなく、それで悩むことも多いこの人生。思ってもみなかった筋トレの副産物なのである。

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