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仕事と私|愛するという技術

愛すること,それは技術だ。
人は愛されていると思えると,ちょっぴり頑張ろうと思える。
失敗しても大丈夫って,だからやってみようって思える。

私は人を育てる仕事をしている。
もちろんそこに愛がないわけではない。

しかし,その愛は無償の愛と呼ばれるような甘美なものではない。
愛すること,それは技術だ。理論に裏付けされた知識と計算に基づいた愛。
そして,その技術を力として,仕事にしている。

育てられている側に対価は求めていない。
だからって,無償の愛って言える?

育てられている側が無償の愛と感じるのは,それでいい。
それが私の仕事だ。

しかし,上司に無償の愛だと賛美されるには,違和感がある。


愛する技術について。



人は悩む生き物である。
ほっておくとすぐに悩み始める。
自分にないもの,足りないものを探すのが得意だ。ついでに比べることも得意だから,ついつい人と比べては落ち込んだりもする。
落ち込むだけならまだしも,自分の方が優位だってマウントを取ろうとする人もいる。(優位ってなんだろうね。)

悩まないで済めば楽なのに,って思うだろうか。
私は思う。だけど,悩まない人生は嫌だ。

悩むことで新しい発見がある。
今まで見えていなかった世界に気づいたり,考え方に気づいたり。そうやって悩みながらも,昨日とは違う自分になることはおもしろい。これは,たぶん理屈じゃない。

悩んだ末に成長していく姿は美しい。
アニメや漫画だって,悩みながらも目標に向かって成長していくことが多いんじゃないかな。どんなジャンルにでも,悩みは出てくる。

だから,私たちの人生から悩みを消すことはできないし,なんか嫌だ。


でも,一人で悩むのって苦しかったり,辛かったりする。

闇の中にうずくまっている感じ。あるいは,閉じ込められている感じ。どうやって出たらいいのかわからないような,一人ぼっちの部屋。それでも,自分でどうにかするしかないって思うけど,どうすればいいのかわからない,そんな感じ。

そんなときに救いとなるのは,誰かに愛されているという感覚だと思う。
自分がどれだけ不甲斐なくても,みっともなくても,愛してくれているという感覚。失敗しても自分の居場所がなくならない,自分は自分であっていいと思える感覚。


それらの感覚は,愛されているという感覚に収束する。

ゆえに,人が成長するうえで愛されているという感覚は欠かせないと思う。


だから私には,愛する技術が必要である。
愛だなんて本能的に内から湧き上がってくるもんだって思うだろうか。
だったらこの世は,愛であふれているはずである。だって本能なんだから。

恋をするのは,理屈じゃないのかもしれない。
少なくとも私は,恋する技術は持っていない。

だけど,愛する技術は持っている。
それは,自分が自分を愛せていなかったから,自分が愛されたいと思ったから,みんなが私のような思いをしないでほしいと思ったから,みんなが健やかであってほしいと思ったから。
だから,私は人を学んだのだ。知識を得たのだ。それは,先天的なものではなく,私の学習に裏付けされる技術である。


それを上司が無償の愛だのと表現するのは,あまりにも悔しい。
職業人として愛することは,本能ではない。技術だ。
だから,無償の愛などと,優しさなどと,安易に表現されるのは,悔しい。それに甘んじて,愛することから逃げる同僚がいることは,かなしい。


それでもきっと,私は明日からも,誰かを愛する。
自分を愛するように。



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