記憶との決別|忘れることは、恥ずべきことではない。
忘れることは,大切な能力である。
そして人間は,忘れる生き物である(by.エビングハウス)。
忘れることができるなんて,すばらしい能力だ。
こんなにも忘れることを前向きに捉えたことは,今までにない。
ーーー
抜歯をした。
下の親知らずで,生えてきていない埋伏歯。
さらには,神経にもガッツリかかっている。
ついでに雪だるま型(上より下の方が大きい)だ。
先々のことを考えて,年始早々に抜歯をした。
しかも,神経にかかる雪だるま型ということで,静脈内鎮静法のために一泊の入院だ。
新年早々,幸先がいい。
新年早々,幸先がいい。
と,言い聞かせる。
今までに別の手術のために全身麻酔をしたことがある。
全身麻酔をしたときは「やばい,くしゃみが出る!」と思ったら,手術が終わっていた。もちろん,手術中の記憶は一切ない。そりゃそうだ,全身麻酔だもの。
今回は静脈内鎮静法といって,どうやら以前に経験した全身麻酔とは違うらしい。受けた説明によると,
ということらしい。
ふむ,応答できるのか。
つまり,抜歯中の歯を砕く音とか,聞こえちゃうの?
え,それって怖い。
ということで,手術までドキがムネムネ。
手術中の歯を砕く音から逃げることはできない。音楽を流してくれるわけでもあるまいし,自分で耳を塞ぐこともできない。
(以前MRIを撮ったときは,ヘッドホンをしてくれた。いきものがかりが流れていた。感謝。)
抜歯後の歯の痛みは,避けようがないし,痛み止めがあるし,受け入れる心の準備はできていた。
だけど,音は無理じゃん!避けられないじゃん!!
と,心の準備ができぬまま抜歯が始まった。
静脈内鎮静法とやらが始まった。
目が覚めたら抜歯が終わっていた。
抜歯中の記憶?
全然ない。何も覚えていない。
そうだよね,「その内容は術後には覚えていない」って説明を受けている。
つまり,
手術中に話した内容だけではなく,何を感じたか,何を思ったか,その全てを覚えていない
ということである。
医師によると,神経に関係ないときのほうが痛がっていたらしい。
ん?私は痛がっていたのか?
まったく記憶にない。
思い出せと言われても無理。
歯を砕いて抜く,神経はむき出し,そして縫合だなんて,きっと痛い。実際に「痛がっていた」と医者が言ってるから多分事実だ。
しかし,
どれだけ痛かろうと私の記憶にはない。
それは,私にとって経験していないことに等しい。
ところで,私には,ある数ヶ月間の記憶がない。
麻酔をしていたわけでも,意識不明だったわけでもない。その後に記憶喪失になったわけでもない。間違いなく,生活をしていたはずなのに,思い出せない。
当時を知る人たちは「大変だったね」「あのときは本当に心配だった」というから,きっと大変だったんだと思う。思い出せないけれど。
(心配してくれた人ありがとう。そして,ごめん。)
記憶に残らなければ,経験していないことに等しい。
嫌なことを忘れる,あるいは記憶に残さないことは,生きていくために必要な能力なのだ。
自分の歯が砕かれる音なんて,聞きたくない。
医療の力によって,記憶に残さずに済んだ。
記憶がないあの数ヶ月間は,自らの生きる力によって,記憶からなくなったのだと思う。
だからきっと,思い出す必要はない。
記憶がない数ヶ月間があることを,私は後ろ向きに捉えていた。
思い出して向き合うべきでないかと。
忘れた自分を,思い出せない自分を恥じていた。
しかーし!
忘れたままでいいのだ!!
記憶がなくてもいいのだ!!!
それが私の生きる力なのだ!!!!
(ただし,あの時そばに入れくれた人への感謝は忘れない。)
歯とともに,私と過去をつなぐ楔も抜けた。
新年早々,幸先がいい。
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