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聞き手に優しい話し手になるために

私たちはどのように知るのか。

もっと言えば、
私たちはどのように知を構成するのか。

これを意識すると、伝えることが楽になる。

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相手に理解を求めるとき、何かを説明するとき。

例えば、手順やシステムなどの決められた方法、あるいは、新しい企画や提案は、自分の伝えたいことを確実に伝える必要がある。

ぬけがないように小さなことも丁寧に。

さて、どのように伝えるのがいいだろうか?


情報をしまう箱を示す

私は情報を入れる箱を最初に示すことにしている。
今から話すことは、こんな流れで、大体こんなことを話すよ、だから、こんなふうに箱に入れていくといいよ、って。

この箱がとても大事。なぜか?


食品はキッチンに、服はクローゼットに

食品はキッチンに持っていくし、服はクローゼットにしまう。服を服だってわかっているから、適切な場所にしまえる。
もしわからなかったら、そうだな、とりあえずリビングに置いておこう。あとから服だったんだって気づいても、しまうのは後回しにしちゃったりして。
なーんて、気づいたときにはリビングはぐちゃぐちゃ。


話を聞いて理解するときも同じ

どこにしまえばいいかわからない情報は頭の中で散乱する。
話が進んできて、あるいは話し終えて初めて、その収納場所に気づく。
だから、聞き手は話の内容を再構築しなければならない。

再構築、できそう?


散らかっているほど片付けは億劫に

散らかっているほど、片付けは億劫になる。
話を理解するときも同じである。
短い話なら、再構築だってすぐにできる。
しかし、高校なら授業はおよそ50分、大学なら90分、講演なんかは60分が何回かとパネルディスカッションがあったりして。
うーん、そんな長い話、ちょっと再構築は面倒かも。そもそも最初の頃は何を話してたっけ?なんて、それすらも危うい。


だから、箱が必要

クローゼットがないと、どうだろう、服は出しっぱなしになるかもしれない。だけど、クローゼットがあれば、すぐに収納できる。
情報も同じように、収納すべき場所がある。
しかし聞き手は話の全体像を知っているわけではない。だったら、話し手が話の全体像、つまり、箱を示せばいい。


聞き手に優しい話し手に

誰かに何かを伝えるとき、人はときとして自分のことを語りたがる、語りすぎる。
自分がいかに知っているかを話したり、自分がいかに貢献したかを話したり。
聞き手が聞かざるを得ない状況にあぐらをかいて、自己顕示欲が顔を出す。

だからこそ、聞き手がどのように知を構成するのかを意識して、伝えたい。

聞いてくれる人がいないと、話し手は存在しない。

話し手は常に、聞き手に寄り添っていたい。

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