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親密不全と向き合って


この後の人生において、自分が今後一生を掛けてでも尽くしたいと思えるパートナーと出会える可能性は低いのではないだろうか?

だから恋愛に一生懸命になるのは止めよう。


上記の文は、おそらく自分の中では最もパーソナルな部分に関わる内容の一つである。

と言うか、これまで心の中で面と向かって向き合うことを割と避けてきた可能性がある話題だ。



テーマ

人を愛すること/己以外の他者を全幅で信頼することについて



恋愛の話である。

私は、「愛する」ということを相手の幸せを考え身返りを求めず尽くすことだと思っている。

当然一人による自己犠牲などではなく、相手を幸せにするためには自身もまた幸せであるという共存関係を目指す行為である。

そこでいつも感じるのが、見返りを考えなくてもいいくらい他者を心の底から信じられるかどうかという前提が必要だということだ。


自分はこれまで誰かと付き合った経験がかなり少ないので、恋愛の話で主役になれることはまずない。

理由は深く付き合うのが面倒だからと言っているが、むしろ臆病な部分がバレるのがいやだからという面の方が大きいw。

いつもはその場の雰囲気に適当に話を合わせるようにしているのだが、最近色々と本音を気付かせてくれる場に居合わせることができたので、改めて向き合ってみることにした。


人間関係において、特に恋愛面における自分のコミュニケーション能力の低さは著しく顕著である(と本人は思っている)

だから恋愛において自分が語れる内容は少ない(そもそもそんな多寡を気にする必要はないのだが 苦笑)

ただ少なくとも、この経験の少なさが、本人の自己肯定感を更に低くしている要因であることは間違いないだろう。



1,

結婚は恋愛の完成であるというのが、私がこれまで学習してきた価値観であり、それは概ね一般的な家庭で育ったものにとっても普遍的な価値観であろう。

しかし自分は失敗を間近で見ていた結果か、その価値観は必ずしも成就しないということが心に縛り付けられていた。

関係はいつか破綻するかもしれない

他のどれよりも強いその証拠が、心を人間関係において「依存しない/依存してほしくない」という頑なな自意識に育てていった。


とりあえず、初対面の人に期待するのは止めよう

期待しても裏切られる経験が多すぎたから、今回も希望を持つのは止めよう

今後信頼に値すると思える他者と出会える機会なんてないだろうから、期待するのは止めよう


現在・過去・未来にの全てに対して、この思考は縛りを掛ける。

おそらく「常にそう思うようにしていた心の癖(防衛本能)」のようなものであろう。



2,

なぜこうなったのか?

はっきり言えば、これまで沢山傷つき過ぎたのだ

家族からも、会社からも、社会からも散々色々影響を受け過ぎて、その全てを一人で抱えきれなくなってしまった。

人一人の心の総量なんてホントたかが知れているのだが・・・


困難な状況において、どうにか頼りたい、助けて欲しい、期待してもいいかなと思っていた現実に、あまりにも手を切られることが多すぎた。(自分から手を切っていた可能性もある)

こうした結果、どこまでいけば人を信じていいかの基準がかなり曖昧なものとなっていったのだろう。


ここで一つ思い出したのが、これまで虐待を受けた子が、里親に引き取られた際どこまで好き勝手にやって許されるかを試す「試し行動」というものを取るという事例がある。

愛情の存在を確かめるために色々な行動を試して、相手の反応を伺うのだ。

これを成長した大人が行える機会などそうは無いだろう…(仮に恋人にできるとしたら、相当広い心の器を持ったパートナーだと言える^^;)

だから自分には基準を学ぶ機会など無く、どこまで行っても他者を信じぬくことはできなかった。

信頼と失望に至る行動の限界点が消失してしまったのである。

(もちろん本人の気持ちとは裏腹に、手を差し伸べている人もいたかもしれないが、それに気が付けないくらい視界のガラスはぼやけていた。)



3,

実のところ、私はこれまでの経験で多くの心の痛みを受けてきたが、それは人間関係において正常でニュートラルな価値判断を歪ませるものとなっていた。

環境によって学習した、ある種の呪いとも言える。

だから人に期待しなくなった。

頼ってまた裏切られたとがっかりするのが億劫になったのだ。

なので、自分にとって「恋愛=他者と最大限親密になること」は、人生の優先順位の上で低く設定していた。

向き合わないことで小さな尊厳を守っていた

向き合ってしまえば、みみっちい話でしかないのだが(苦笑)


だがここまで来て(34年掛かってw)ようやく理解できたように、結局のところそれが認識さえできればあとは改善していくだけの話である。

方法として、自分は人当たりのいい平均的な人間が常に表に出るようにしていたが、そういう部分以外の面も表に出していけばいいのだ。

エゴを出して他者から嫌われるのと、自分が我慢するのなら嫌われる方がまだマシである。(ちなみに本音の私はかなり強烈な毒を吐く^^; 長年の熟された感情が強い感情を思い起こさせるのかもしれない)


実のところ、こんな悩みを抱えている人は他にも割といるのではないだろうか?

少し大げさな話になるが、この辺もまた少子化に繋がる一因だと感じているので。

自身の心との向き合い方や、他者との関係構築の仕方は学校の勉強だけで十分学べるとは思えない。

大人になっても学び続ける必要性はあると感じている。



おわりに

というわけで私は、これからは”多少”前向きに(笑)自身の光も闇も全てありのままで受け入れてくれる人を探す旅に出ようと思う。

いつか相手を全幅で信じるように、再び自分を信じることも可能となるだろうからね。( ^ω^)b グッ!!

何らかのアクションをいただけると、一人で記事を書いてるわけではないのだと感じられ、嬉しくて小躍りしちゃいます。