セトラー企画展vol.4『アナザー・札幌』〜北海道開拓の歴史をあなたの日常に。札幌軟石で見つめなおす私の郷土愛とは〜
皆様、はじめまして!アナザー・ジャパン3期生の西村胡桃です。
いつもアナザー・ジャパンを応援いただきありがとうございます!
9月24日から開催されている『アナザー・上越』に引き続き、3期生の持ち込み企画展としては2つ目の 『アナザー・札幌』が10/1(火)〜10/20(日)の3週間開催されます!
企画展のこと、札幌のこと、郷土愛のこと…色んな想いが募り、勢い余って少し長くなってしまいましたが、3期目セトラー西村の等身大の想いを綴りましたので、ぜひ最後までお読みいただけたら幸いです!
①自己紹介
②『アナザー・札幌』について
🪨私の郷土愛
まずはじめに、今回の企画展『アナザー・札幌』がどのように動きだしたのかを少しお話させてください…。はじまりはアナザー・ジャパン3期生の一番初めの研修までさかのぼります。
2024年4月13日、私たち3期生メンバーが緊張した面持ちで初めて顔合わせをしたキックオフ研修。その研修で、2週間後の次の研修までに郷土愛企画展を組み立てることが3期生全員の宿題として課されました。
「エリア設定は必ずしも出身地である必要もないし、特集するものもなんでも良い。とりあえず、ありのままの郷土愛の形をぶつけてきて欲しい」と言われ、私はその時に初めて、本当の意味で自分の郷土愛について真剣に考えはじめました。
私の地元、北海道。他の場所で暮らしたことがなかったため比較しようがなかったものの、札幌に住んでいた時から暮らしやすい場所だなと思っていたし、私の親戚一同も北海道民で、幼いころから道内各地にいる親戚を訪ねたり、ニセコや知床でアウトドアを楽しんだり…。
その時は郷土愛と呼ぶほどの意識は全くなかったけれど、元から北海道愛は持っていたと思います。そして上京してからは、より北海道の魅力に気が付くようになり、やっぱり私の故郷は北海道なんだなと帰省するたびに感じていました。
だからこそ郷土愛とフロンティアスピリットを持つ学生を募集していたアナザー・ジャパンに飛び込んだ。けれど、いざあなたの郷土愛はなんですか?それを小売商売の場で表現するとしたらどうしますか?という問いを投げかけられて、ぱっと答えることが出来ない…。そのもどかしさから課題発表までの2週間、私は自分の”郷土愛”とそれを商売の場で表現する方法について考え続けました。
まずはエリア設定。北海道はご存じの通り、日本で一番大きい面積を有する都道府県であるため、切り取り方は無限大です。だからこそ、やっぱり最初は生まれてから18年間暮らしてきた札幌にフォーカスを当てよう、そう思いました。
しかし、良くも悪くも札幌は元々の知名度が高く、どうしたら札幌の『新しい発見』を届けられるか、私の札幌への郷土愛とは自然、食、ただそれだけなのか…。
考えても中々これだ!というものに出会えず、そこで私は北海道・札幌の歴史を振り返ることにしました。
🪨郷土愛の読み解き”開拓者文化”とは
北海道・札幌の歴史を振り返っていくと、蝦夷地が「北海道」となった(名付けられた)のは1869(明治2)年、今からたった155年前のこと。
明治15年までの十数年間で開拓使は欧米の文化・技術を積極的に取り入れ、それをもとに農業・鉄鋼業などの新しい産業を興し、交通の整備を急ピッチに進めました。そして、明治の半ば頃になりようやく日本各地から北海道への移民が急増し、開拓が著しく進んだそうです。
このように北海道、そして「開拓使」が置かれたためにとりわけ急速に発展した札幌は、他の地域と比べてもいわゆる「伝統」と呼ばれる、長い歴史の中で一貫して引き継がれてきたものが少ないと気が付きました。だからこそ、札幌の独自性を見つけるのがとても難しかったのです。
しかし、この歴史が短いという歴史的背景を逆手にとると、新しい文化の受容や異文化の集結が多く起こっている地なのではないかと仮説を立てることができました。
その仮説をもとに、札幌での暮らしを見直してみると、北海道弁は日本各地の方言が様々混ざりあったものであったり、小学校の時には上履き、体操着、水着などが全て自由だったり(上京してから周囲の友人に幼い頃の話を聞いて、皆との校則の緩さ?の違いに驚きました…)。
全部が全部札幌だからという理由に当てはまるわけではないかもしれませんが、短い時間の中で日本各地の人々の文化・欧米の文化が混ざりあいながら急速に発展してきた背景があるからこそ、あらゆることに寛容で、それらを活かしてより良いものを求めていくという「開拓者文化」(勝手ながら私が名付けたものです)が私の郷土愛の根本にあるのだと結論付けました。
🪨偏愛対象の”札幌軟石”とは
前置きが長くなりましたが、次に今回の企画展『アナザー・札幌』のメインでもある札幌軟石とは何なのかについてお話します。
私の郷土愛の根源にある「開拓時代」。それをさらに深掘りしていくと、札幌開拓には「札幌軟石」というものが建築物などに多く使われ、当時の人々の暮らしを支えていたことを知りました。
今から約150年前、極寒の北の大地での開拓。この頃の建物は木材などでつくられ粗末だったため、人々が生活するにも、食べ物の保管にも困りました。それに対処しようにも、当然今のような暖房設備はないので、焚火をして寒さをしのぐことしかできず、火を使うことが増えると火事が多発するようになりました。
これを問題視した開拓使は、海外の進んだ技術を取り入れるために雇っていた外国人技術師らの助言をもとに、札幌軟石の切り出しと建築材としてそれを使うことをすすめ、明治の後半、札幌には沢山の札幌軟石の建物が立ち並び西洋のような風景が見られたそうです。
しかし、昭和の中頃から、建築の法律が厳しくなったこと、安いコンクリートが普及したこと、軟石を切り出すときの粉塵の問題などから、札幌軟石の建物はどんどん減少していきました。それにともない、札幌の住民であっても「札幌軟石」の認知度は下降傾向にありました。
しかし現在、その札幌軟石が再び注目を浴び始めているのです!!2018年には北海道遺産に登録され、新幹線沿線に伴う札幌駅周辺の再開発では建物の装飾品として札幌軟石が用いられていたり、今回お取り扱いさせていただく商品のように札幌軟石でアクセサリーやインテリア小物など、開拓時代とはまた異なった形で現代の人々の生活に寄り添ってくれているのです。
今回お取り扱いさせていただく札幌軟石の商品はどれも吸水性・揮発性に優れているという、一般的に「石」ときいてイメージするキラキラした石とはまた違った特徴を活かした商品ばかりです。ピアスやネックレス、指輪だけどそこにアロマオイルを垂らすとアクセサリーからいい匂いが香るもの。
ただの軟石でつくった熊の置物にみえて実は水につけると水分を吸い上げていってグラデーションが楽しめるもの。もとは庭石的な使われ方もしてたから長期間水につけていると苔が生えてくるなど…本当に面白い商品をお取り扱いさせていただきます!
🪨商品紹介
・ユポ
・Liaison
・月と太陽BREWING
他にも、札幌軟石のキャンドルやお家の形をした可愛らしいアロマストーン、北海道の風景を模したお香、地元民だったら知らない人はいない北海道の鮭の会社といえばでおなじみの佐藤水産のおつまみ商品など、北海道・札幌の「新しい発見と懐かしさ」をお届けできるような商品が揃っております。
③最後に
私たちアナザー・ジャパン3期生は、8月の3期目店舗リニューアルオープンから店舗に立つようになり、実際にお客様から応援のお声をいただくたび、まだまだ未熟な私たちを信頼して商品をお預けしていただいている日本各地の素敵な事業者さんの商品をお買い求めいただくたび、アナザー・ジャパンセトラーとしての感謝と責任が日増しに大きくなる、そんな日々を過ごしています。
何もかもが初めてで、自分一人の限界を、小ささを実感し、悔し涙を流すこともありました…。それでも志をともにし、いつも支えてくれる最高の仲間たち、アナザー・ジャパンの活動にご賛同いただいている多くのメーカー様、いつも応援してくださる方々のおかげで今回の企画展や店舗を走らせ続けることができています。
この場をお借りして、改めて感謝を伝えさせてください。
いつも本当にありがとうございます。
3期生持ち込み企画の2番バッターとして勢いをつけ、3週間全力で駆け抜けます!
最後までお読みいただきありがとうございました。
皆様のご来店、心よりお待ちしております!!!
ライター:Kurumi Nishimura
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