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君たちはどう店を選ぶのか

右を見ても左を見ても値上がり値上がりで、消費者にとっては頭が痛い。
そんな消費者の大半も何かのお商売にかかわっている訳で、立場が変われば致し方無いと感じざるを得ない。
そんな今だからこそ、今一度「価格」というものを考えてみたい。

世の中にこれだけのモノが売られていて、これだけ多様化する販売手段があると、一見同じようにみえるモノでも値段に大きな差が生まれてくるのも当然のこと。
それは、原材料にはじまり、生産工程、生産されている国など、そこに販売方法や企業規模、その他の取り組みとさまざまな要素や付加価値が絡み合うと単純に安かろう悪かろうとも言い切れない。

モノを見る目はもちろん必要になるのですが、単に物質的な甲乙だけではなく、その裏に見え隠れする物まで見抜く目を持たなくてはいけない。
コーヒー1杯でも300円から1000円以上まで、普通に生活しているだけでもそんな振り幅を感じる。
だれもが想像するに容易い原料や立地の差はもちろんのこと、それに加えて淹れ方の質や店舗空間、話題性なんかも付加価値ですから、価格にも大きく影響してくるでしょう。

何をどう選ぶかに正解はない。
味の好みはもとより、毎朝飲むコーヒーと、たまの休みに飲むコーヒーも違っていい。
それでも選択肢はまだまだ多い…。
そんな時代、「君たちはどう店を選ぶのか」。

わたしは常に自分自身に問うことにしている。
「そこに値段だけでは計れない何かを意識しているか」。
それはほんの少しで良いし、結果的に安さを選んだって良い。
時より意識しているかがとても大切だと考えています。

ある小さな個人コーヒーショップがある。
店主は今の生産者らがこのままでは共存共栄できないと、出来る限りの対価を支払う。一方、隣の大手コーヒーチェーン店は多く仕入れるかわりに仕入価をたたく。大手コーヒーチェーン店は生き残り競争のため、半額キャンペーンをうつ。
価格差は更に大きく・・。

これはあくまでも例えではありますが、こんなことは往々にしてある。

気分によってどちらのお店にも行くとうい人が多いのが現実かと思うし、わたしも正直同じだと思う。
ただ、そんな裏側を少しだけ想像すると、大手コーヒーチェーンのキャンペーンの時こそ個人コーヒーショップを想うことってとても大切な意識だと感じるのです。
そして、そんな些細な行動の繰り返しこそが意識を高めていくことに繋がるのです。
情報やポイントなどに振り回され過ぎるとそんな意識は遥か遠くにいってしまう。

あとがき
「君たちはどう生きるか」が話題になっていましたが、わたしは原案となった書籍も映画もどちらも観ていません。
決して否定的なのではなく、タイトルのインパクトだけで十分の満足を得たからです。
その書籍のタイトルを見たとき、映画のタイトルを見たとき、その文言だけでどんな内容なんだろうと誰もが考えたに違いない。
それが中身をみるより遥かに価値があると感じるのです。
それはちょっとだけ頭に残る書籍の挿絵や映画のポスターの力があったからに違いない。

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