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つま先に映る先は

昨年までのおうち時間の流れから、モノとの向き合い方にも少しずつ変化があると聞きます。
部屋の片付けをしながら過去の自分を見つめ直し、必要なものは何かとまた問い直す、そんな人も多かったのではないでしょうか。

わたしが唯一やっていたのは靴磨き、愛着のある革靴たちを撫でるようにケアしていました。
20年〜25年程前のモノもあり、どれもソールがすり減り、履くのは厳しいものも何足かある。仕事柄備品や衣装としても使用する私物の靴ですが、流石にソールが薄くなり過ぎたものは使えないし、そもそも履かなければどんどん傷んでしまう。
近頃欲しい革靴もないのが正直なところで、自分の靴箱の方がずっと履きたいモノが眠っている・・。
それならばと、靴の修理に出してみることにしました。

どこか良いところはないかと探してみると意外と近くに良いリペアショップがあり、ホームページを覗くと持ち込まれている靴も自分のものに近い。
まずは試しにとスエードのプレーントゥを持ち込みました。
上がりまで1ヶ月程とのことでしたが、なぜか新品が届く時よりワクワクする自分がいる。

そして出来上がりの日。
お店のカウンターに出てきたものは申し分ない仕上がり。
あまりの嬉しさと感動につい笑みがこぼれてしまう、すぐさまお礼と次の修理の約束をして帰路に着きました。

帰ってからも新しい靴を買った時のようにいつから下ろそうかなんて少し考えてしまうほどで、予想だにしない感覚を味わいました。

この感情はモノを大事に使うとかそんなものからくるのではない、ただ単純にすばらしいモノを手にした高揚感に他ならない。
こんな高揚感こそが洋服を着るということなんだと再認識させられた。
楽で安価なモノを選ぶ志向が強くなっていくのは否めない、それでもこんな感情を持っている人はまだたくさんいると確信した瞬間でもありました。

まだまだ先は明るいなと思いたいけど、リペアショップの方が最後に言っておられた一言が頭をよぎる。
「靴の修理が増えるのはありがたい。だけど今新しい革靴を買ってくれないと何年か先の仕事がなくなったしまう」。
目から鱗。
今の時代にあった仕事の方でも悩みは尽きない・・。

この靴のソールが駄目になったらまた直しにいく。
わたしの役割はアッパーを長く保つことと少し新しい革靴も買うこと。

これが社会が唱える理想の社会とその裏に映る理想とは程遠い未来。

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