2022年に読んだ、面白かった本10選

常日頃よく本を読む方ではあるのですが、2022年は特に沢山の面白い本に出会えたので、備忘録の意味を込めて、記録を残しておきたいと思います。


1,佐藤究『テスカトリポカ』

ここ20年で読んだ小説の中で一番好き。設定の癖というかアクがすごい反面、文章に癖が無くすっと入ってくる。読んでいて辛くなるようなベタベタした距離感を詰めてくる感じが一切無いのに、いつの間にか本の中に入り込んで気がつくと目の前でとんでもないことが行われている。この人ならこう行動するだろうな…という動機や展開に全く矛盾がなく、驚異的な筆力を感じた。

オチについて、これが正解だろ!と思いふせったーで投稿したのだが反響がなく寂しい…友人に宣伝しまくって、読んだ人には「オチの〇〇ってさ…じゃない?」と言っても「そんな人居た?」といわれ悲しい…。でもこれにめげずこれからも自説を推していく所存。


2,永井玲衣『水中の哲学者たち』

常備薬のような1冊。ソファーに置きっぱなしにして気がついたらめくっている。好きなのは、小学生にゆっくりと自転車で轢かれる話。そこばかり何回も読み返してるので、私に中で永井さんは30回ぐらい小学生に轢かれてる。

この本を読むと、今まで気に留めなかった小さいことを観察したり、細かいことを思考するスイッチが入って、生活のスピードがゆっくりになる感覚がある。

幼稚園児時代の永井さんが砂場の底を見つけるために毎日延々と砂場を掘り進めた話、もはや仕事と化してお友達に遊びに誘われても「こっちは遊びじゃないんだ、ごめんな」と思っていた話もすごく好き。


3,シーラ・ジェフリーズ『美とミソジニー』

読むと世の中の解像度がぐっと上がる1冊。こんな問題があります。に留まらず、なぜこんな状況にあるのか?誰がそれを望んでいるのか?という解説が秀逸。読み終わると「これってやる必要なくない?」「これ〇〇な理由で女性に強制されてるやつ!」とリアル進研ゼミ体験が味わえる。

個人的には、私はアレクサンダー・マックイーンが大好きで、彼が在命中のかなり初期に買った、サヴィル・ロウ仕込の尖ったショルダーラインのジャケットは今でもクローゼットに鎮座ましている。その一方、ジェフリーズのマックイーン批評は凄く納得してしまい、どうして彼は母親の死後自殺してしまったのか?彼の作る服が美しい、だが美しく魅せることができる人の幅が酷く狭いのはなぜだろう?(デザイナーがサラバートンに変わっていなかったら、果たして彼はキャサリン妃のウエディングドレスを作っていたのだろうか?)の答えとして「ミソジニー(彼の場合は好きすぎて憎む…といったようなかなり複雑な感情と予想)」はありえない話ではないと感じた。


4,オルナ・ドーナト『母になって後悔してる』

個人的に待ち望んでいた1冊。こんなに早く日本語訳が出ると思っていなかったので歓喜した思い出。私の理想は出産&育児のデメリットもきちんと可視化されて、その上で自由に選べる世界なのでその第一歩としてこの本が出版されたのがとても嬉しい。子育てのグチではなく、キチンと研究論文として手順を踏んでいるので安心して読める。表立って「子どもを持ったことを後悔している」ということは反響やバッシングなどもあり、かなり難しい。しかし、しっかりとプライバシーが確保された安心な空間があると、言いづらい本音を語ってくれる人がいるというのは希望だし、それが書籍にまとまって、これから子どもを持つことを選択する人が自由にみることができるというのもまた希望だと思う。


5,ジェニファー・ラール(編)、メリンダ・タンカード・リースト(編)、レナーテ・クライン(編)、柳原良江(監訳)『こわれた絆』

今個人的に一番興味がある分野の一つである「代理出産」の代理母側(&卵子ドナー)の体験談まとめた1冊。ほとんどの読書体験は予想を超えてこないことが多いが、この本は予想を大分越えてきた。特に、無償の代理出産をすることで、それまで良好だった依頼者と代理母の関係が一気に悪化する下りは、読み進めるのが怖くなるほどだった。当たり前のことだけど、人間には感情があって機械ではない、ということが可視化される究極の体験なのではないか。代理出産や子宮移植に関して議論する前にとりあえず全員一旦読んでみてほしい。


6,佐藤究『爆発物処理班の観測したスピン』

佐藤究氏の小説は思考実験みたいなのが好きな人にはたまらないと思う。表題作は読んでいて面白すぎて全然笑える話じゃないのに気がついたら満面の笑みで本を握りしめているという不思議な体験をした。今でも寝る前になにか方法はなかったのか?と考え込んでしまうことがある。(物理の知識なんて皆無なのに)後、戦争の話に興味がないというかむしろ嫌いな部類なのだが「九三式」は凄く良かった。途中はテスカトリポカ的、終わらない悪夢を当事者のすぐ後ろで傍観している感覚。読み終わった後に「うわあ…あー」と言葉にならない声が出た。


7,横道誠『イスタンブールの青に溺れて』

私は一時村上春樹しか読めない時期があり、未だに得意な文体より苦手な文体の方が多いんだけど横道誠さんの文章がすっと入ってくるのは、村上春樹の研究者&外国語を学ぶことでご自分の会話を磨いたと読んで納得。終始目の前の絵画や音楽、建物や出来事からそれに付随する情報や過去の記憶や読書体験がスーパーコンピューターのようにずるずると出てくる描写が興味深かった。

読んでいる最中に葛飾北斎の浮世絵を見る機会があったのだが、私は読んでいる本に強く影響を受けるタイプなので、北斎の筋肉や動物の緻密さと顔面のシンプルさ、構図の独特さなどから北斎もまごうことなきASD(ADHDも?)!と仮定した上で非常に細かいところまで楽しんで観察できたという体験をした。私は発達障害の診断を受けた訳では無いが、この本を読むことで「発達障害メガネ」をかけて世の中を見ることを短時間だけでも体験したり、視野が広がったり新鮮な経験ができてとても良かった。


8,ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右に分かれるのか』

私はリベラル左派自認なので、読んでいて「うう…痛い」ということの連続だった。しかし、最初はvs右、最後はvsリバタリアン対策として、そして絶対に全員が同じ考えになることがない世界を生きている者として読むことは必要だと感じた。

本を読んでいる間は「そうだよねー(がっくり)」という感じなのだが、本を横において現実世界を見てみると、保守=感情=象、リベラル=理性=乗り手理論で、ニュースだったり、政治家の発言だったり、原告と被告双方の言い分だったりが説明できるようになるのは実に便利!と感じた。(だからといって、私が応援している原告らに対して世間が好意的になるわけでも、政治家が心を入れ替えるわけではないんだけど…)


9,斎藤環『世界が土曜の夜の夢なら』

頭と品が良い友人と小難しい話をするのが大好きだが、それではいけない、ヤンキーを理解しなくては前に進めない!と思い立ち読んだ本。結果的に、世界はヤンキー的なものに溢れているし、世の中の道理はインテリではなくヤンキーが先行だと実感。「社会はなぜ左と右に分かれるか」で学んだことが強化されたし、今までできるだけ距離をおいていたヤンキー的なもの&人に興味津々な昨今。


10,劉慈欣『三体』

ⅠとⅡが特に好き。(Ⅲは主人公が苦手…)特にⅠの主人公の葉さんが素早く「ある重大な行動」をする場面は、人間に深く絶望した経験がある者として「よくやった!」と。Ⅱの主人公のルオ・ジーが変な人なのも良かった。(お金や名誉に執着がない変な人好きな私的ツボ、天文学界の山岡士郎みがある)クライマックスでルオ・ジーが重大な仮説に気づく下りはまたしても「うわー」と声が出た。(面白い本を読むとうるさくなる私)



個人的に私は小説を読むのに勇気がいる方で、文体が合わなかったり、キャラクターに共感できなかったりすると読むことがとても苦痛になるので、必要な情報を得るためなどの特定の目的無く小説を読む機会がかなり少ないです。(実際今年読んだものの中でも合わない作品が好きな作品の何倍もあります。)そんな中、遅ればせながら佐藤究氏の小説と出会えたことは私の幸福度を爆上がりさせたし、今でも「佐藤究」「テスカトリポカ」「ank」「麻薬戦争」「臓器売買」「類人猿」「爆発物処理班」「シリアルキラーアート」…などのキーワードを聞くだけで胸が踊ります。これが「ファン」ということか…と。

今年はツイッターという、著名人とも気軽にコミュニケーションを取ることができるツールを使うことで、本の感想をつぶやくだけで著者から「いいね」がつくという、今までの読書体験からは想像もつかない経験も。(本人の目に入る可能性があるので、自然と面白くなかった本の感想をつぶやくことはなくなり、これは!という少数精鋭の感想しか表に出さなくなるという利点も。)

難解な本を読むと文の上を目が滑るという奇病を患っているので、自分が楽しい!興味深い!知りたい!と思える本しか読めないという残念な体質ですが、2023年も、読んでいて声が出た!友達に勧めて語り合いたい!もう一度頭から読み直そう!と思える程素敵な本達と出会えるといいなあと思っております。

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