顔が大きいと言うこと

「コンプレックスは魅力である」
このような言論が幅を効かせるようになって随分になる。
アシュリーグラハムや渡辺直美の登場により、太っていることは欠点ではなく魅力になった。
バネッサバラディやジェシカハートのようにすきっ歯でも、逆にオシャレと言われるようになった。
足が大きいと言う呪いは、かなり前になるが、深田恭子の出現により、かなりの人が解放されたように思う。

でも「顔がでかい」と言うことは?

以前美術系の番組で、「ヴィーナスの誕生」について研究すると言う特集があった、結果的に言うと、あのヴィーナスは9頭身であり、人間の骨格からするとありえない首と腕の長さを持っている。と言うことだった。
ルネサンスの時代から、この世のものとは思えない美しさの表現=顔の小ささ、と言う研究結果に私は愕然とした記憶がある。

思い返せば小学校の頃から「顔デカ」とよく隣の席の男子に罵られていた。
その時は顔が大きいことが一体どんな不具合を生じるのか、よくわからず、まあ身体的な特徴を指摘されているのだなあ。程度で時に気にすることもなかったのだが、
その後、就職先のエステでフェイシャルの研修中に「〇〇ちゃんの顔(大きいから)やりやすい〜」と言われたり、男性と食事に行った時「〇〇って顔小さくはないよね。」と突然言われたり、顔が大きいと指摘されることが人生のうちに何回もあった。

よく芸能人にあった人が言う言葉が「顔が小さくて...」という褒め言葉がある。なんの感情も入れずに聞けば、生で会った芸能人の見た目を記述しているようだが
、この言葉の裏には「顔は小さければ小さいほどいい」という世間の刷り込みが隠れていると思う。
「公開処刑」と言う言葉があるが、この表現は大体の場合顔の小さな人の横に並んだ、普通の顔の大きさの人(もしくは大きめな顔の大きさの人)を揶揄する意図で発せられるものである。

動物は生殖に適した時期の異性を魅力的だと感じると言うが、逆に言うと、生殖可能な時期を過ぎた動物には魅力を感じないと言うこと。顔の大きさは筋肉のコリやたるみにより、年々大きくなっていくと言うことなので、「顔が大きい」=「若々しくない」というプログラムが人間には搭載されているのかな?とも思う。(平安時代はお金がかかる方がいい=白粉をいっぱい使う方がいい。という理由で、大きめの顔の人が好まれたと言う話もあるが、この場合の美醜は経済的な影響力があると思う。)

「ぽっちゃりが好きなんだよね」といういわゆるデブ専と言われる人たちや、「八重歯が可愛い」と言う人たちは市民権を得ているが「顔が大きい人が好きだ」と公言している人には未だかつて会ったことがない。
「顔が大きい」と言うことが今後ポジティブに捉えられる日は来るのだろうか?
周りを変えるより、自分を変えろ!と言わんばかりに、自分の顔が大きいと言うことを気にしないで見ようと努力してこともあるが、深層意識の奥底に押し込めたところで、ふとした瞬間に浮上してきて苦しめる。

ちなみにうちの旦那さんは「顔が小さいこと」がコンプレックスな人生だったらしい。
小学生の時は、顔の横幅が首の横幅内に収まることをいじられて、顔の大きい人は帽子が似合うけど、自分は小さ過ぎて似合わない。と、顔が小さいことをマイナスなこととして捉え生きてきた。
彼によれば、顔が小さいことがカッコいい!という風潮になってきたのはここ数年であり、それからはだいぶ生きやすくなった。とのこと。
そんな彼に聞いてみた
「これから顔の大きな人は美しいと言う流行はやってくるのか?」と
彼は「絶対くる」と言い切った。

現在、お金持ちがいい、偉い地位がいい、高い車がいい、美人がいい...
今までの価値観がことごとく見直されつつ、まだ残ったりして、価値観のシャッフル期にあると感じることが多くなった。

自分の人生の時間の中で、大きな価値観の転換を身をもって体験した彼は、また価値観の転換が起こり得る。と断言した。

私から言わせれば、ルネサンスから変わらなかった価値観が、本当に変わるのだろうか?と懐疑的だが、彼の自信は揺らがない。

私は活動家ではない。
私が声を上げることによって、顔の大きな人は美しい!という新しい基準を広めよう!
と声高に語るような勇気はとても無い。
非常に弱虫で小さな人間だ。

しかし、今後そんな価値観の転換が起こるなら、それを自分の目で見届けてみたいとも思う。
現に、現在の美しさの基準は生殖適正とイコールではなくなってきている。

ブームに少し前乗りして、顔の大きい人は美しい。と早速思いこんで見ようかとも思う。

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