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家族と普通と

「家族」と「普通」という言葉には、どちらも「常識」と似たようなものが含まれていると思う。これはこう、みたいな。当たり前、みたいな。私はこのふたつの言葉が息苦しい。

『家族、捨ててもいいですか? 一緒に生きていく人は自分で決める』(大和書房、小林エリコ)

傍から見て、どうみたって不幸な家族だって、徹頭徹尾不幸だったわけじゃないよな、と思った。そこには楽しかったことも嬉しかったこともあって、それでもそれ以上に無理な何かがあって、だからこそ複雑で面倒なんだと。そんなことに気づかされた。私は特に貧乏とかじゃなかったから、傍から見たら恵まれた家庭だったと思うし、自分でもそう思う。でもだからって、すごく幸せだったわけではないな、とも。親からされたことや言われたことに、結構ちゃんと傷ついていたのだと、この本を読んで気づいてしまった。

『彼氏彼女の事情』(白泉社、津田雅美)

ほとんど彼氏の事情じゃねーか!と途中で突っ込んでしまったが、違うのだろう。有馬と雪野だけでなく、有馬の両親やまほさんといった、いろいろな彼氏と彼女の事情が詰まったマンガなのだと思う。

実の母親に苦しめられた有馬が「親を捨てるよ」と言ったとき、さっぱりした気持ちになった。よかったな、と。どうして家族は大切にしなきゃいけないんだろうか。そりゃ大切にできた方がいい。でもできないからと言って、それはそんなに悪いことなんだろうか。血の繋がりがあるとはいえ、自分と違う人間という意味で親も他人だ。クラスの全員と友達にはなれないように、合う合わないはあるはず。ちょうどよい距離感がそれぞれあるはずなのにね。もっといろんな家族や生き方を選んでいいんだと思う。

『水を縫う』(集英社、寺地はるな)

「普通」という言葉で思い出す歌がある。Perfumeの「Dream Fighter」だ。

ねぇ みんなが言う「普通」ってさ なんだかんだっで実際はたぶん 真ん中じゃなく理想にちかい

普通には、これが当たり前みたいなニュアンスとそうあってほしいという理想が込められてると個人的に思う。だからたぶん、普通という言葉に私たちは苦しめられる。

「普通に就職して普通に結婚して普通の家庭をつくっていく」というルートを歩むのは、母が考えているほど簡単なことじゃない。p.30

親のいう「普通の幸せ」ってたぶんこんな形をしているんだろう。でも清澄が言うようにそれは簡単なように見えて全然簡単じゃない。身をもって知っている。みんな普通に働いてるけど、就活したり採用の試験を受けたりした結果、その会社なりなんなりで働いてる。そう思うとまじすごい。話が逸れた。子どもが、いわゆる普通と言われるこのルートを歩むことは、親としてすごく安心するんだろうな。それは「わかる」から。

『春風のエトランゼ』(祥伝社、紀伊カンナ)で「自分が理解できないことって怖くならん?」という駿のセリフがある。(ここでの「理解できないこと」とは、マジョリティにとってのマイノリティを指す。)他者は自分を映す鏡でもある。他者がいるから自分の輪郭がはっきりする。その他者が、自分の持っている「普通」を共有できない相手だとしたら。自分の世界が揺らいでしまう。壊れてしまうかもしれない。だから、わからないことや理解できないことは怖い。それを最初からなかったものとするか、無理矢理自分の枠に押し込めるか、または排除してしまうかになってしまうのだろう。

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普通さ、とか気軽に口にしてしまう。なんて便利な言葉だろうと思う。けど、その中身は結構曖昧だ。清澄は男なのに刺繍が好きだ。普通を望む、母のさつ子からしたらだいぶ普通じゃないし、理解できないと思っているのだろう。そして安心できない。でも、そもそも他人なんて何を考えているのか、底の底はわからない。だったら「普通」なんて言葉で呪いをかけたくないなあ。幸せを望むことを呪いにしたくない。この本は、みんなそれぞれ「普通」という言葉に苦しんでいて、少しずつ解きほぐそうとしてた。ちょっとずつ会話を重ねながら。私も、できたら分かり合いたい相手とは頑張ってわかるよう言葉を重ねたい、と思った。苦手だから。

『わたしの美しい庭』(ポプラ社、凪良ゆう)

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「普通」じゃない人たちの繋がりが描かれている、とも言えるおはなし。凪良ゆうを読むと、善悪とかそういう枠だけで収まるものばかりじゃないし、それぞれちゃんと背景をもっている、ということに気づかされるのでとても好きだ。

わたしの『普通』と、路有くんの『普通』は違う。p.53

そう、たぶん、「普通」はある程度重なるところはあっても、まるまるかぶる、なんてことはないんじゃないだろうか。(ベン図のイメージ)よくあるけど、シチューの盛り方、ご飯かパンかでさえ、私たちはそれぞれの「普通」を持ってる。色々なところにそれが転がっているだけなのだ。

少なくとも私は、いろんな「普通」や「家族」がある。人それぞれだから私の枠だけで考えないようにしよう。と思っている。そうしないとまず私が苦しい。それに、似たような苦しみ、息苦しさを持っている人に、それがわかる私が同じ気持ちをさせるは単純に嫌だ。

「次の次では、『それでも認められないときは黙って通りすぎよう』だな。『無駄に殴り合って傷つけ合うよりは、他人同士でいた方がまだ平和』ってあたりまで」p.271

同じ人間だし、同じ言語も話すけど、同じ考えができるかは別だ。わかり合える、というのは幻想かもしれない。わかり合えない人もいる、ということを認めてもいいだろう。それぞれがそれぞれでいられる距離感で付き合っていくことを考えてもいいんだろう。できればそれで頼みたい。

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