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スキップ・ビート!を読んで考えたこと

最近「スキップ・ビート!」(白泉社、中村佳樹)を毎日読んでいる。

きっかけは、同じ作者の「東京クレイジーパラダイス」を読んだこと。ちょっと前、白泉社のマンガアプリ「マンガPark」で全巻読むことができた。これがめちゃめちゃおもしろかった。なので、今度は違う作品、「スキップ・ビート!」(以下、スキビ)も読んでみようかな、と思った。

これがまためちゃめちゃにおもしろい。作者の柱コメントから察するに、恐らく20巻ぐらいまで読んだと思われる。(巻数で区切られていないため、正確には自分のいる場所がわからない)5月に出たばかりの新刊が45巻なので、半分くらいは読んだことになるだろうか。今読んでるところまででも、既にメインの二人は相思相愛みたいな雰囲気なのに、こっからまだ20巻以上も続くなんて、どんな話が展開されるのか気になって仕方がない。

そんな感じでスキビ生活を楽しんでいるのだが、読んでいる途中、ある疑問をもつことになった。愛が憎しみに変わるのならば、憎しみも愛に変わるのだろうか、ということ。

以下、ネタバレを含みます。

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まず、スキビがどういうお話なのかについて。公式のあらすじを引用。

お洒落ひとつせず、日々バイトに精出す少女・キョーコの秘密。それは、幼なじみで最近人気の歌手・不破尚と暮らしていること☆ だが、彼に逢いたい一心で潜り込んだTV局で耳にした衝撃の事実は…!? 華麗なるShow-Bizチャレンジ!!(https://manga-park.com/title/2)

主人公・最上キョーコが、人気芸能人である幼馴染・不破尚に捨てられるところから物語は始まっていく。裏切られたキョーコは、同じ芸能界に入って、不破に復讐すること誓う。逆転ストーリーとでも言おうか。キョーコが持っていたショータロー(不破尚のこと)に対する愛が憎しみに変わったことで話は進んでいく。

キョーコは少しずつ芸能界でお仕事をしていく。不破尚のPV出演の仕事が決まる。キョーコとショータローの2人は再会する。ショータローは、今まで見たことのないキョーコを見ることになり、家政婦のように思っていた(なんてヒドイ奴だ)キョーコへの思いに変化が生じる。とまあ、そんな感じになっていく。説明がめんどうになった。

そのあともなんやかんやあって、キョーコが、ショータローのせいで危ない目にあったりする。あのショータローがキョーコに思いを伝えようとするようになる。(恐らく「好き」だと。これは敦賀蓮という長身のイケメンに阻止されてしまうので本当に「好き」と言おうとしたかは不明)

いろんな出来事を経て、ショータローはキョーコを好きだと思うようになる。気持ちが変わった。じゃあキョーコの気持ちもまた変化するだろうか。愛であったものが憎しみになったのなら、憎しみもまた愛になるのだろうか。こんな感じで疑問が生まれた。

なんとなく否定したいと思った。憎しみも愛に変わってしまうなんて単純すぎやしないかと。なら、愛が憎しみに変わるのも単純すぎるだろう、と反論がくる。うーーーーーーーーーん。愛が憎しみに変わってしまう物語は多く見られる。だから、これは受け入れられるし、理解できる。しかしその逆は馴染みがない。わからないし、知らない。

うんうん唸るしかできない私は後輩に聞いてみることにした。

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単純に心配された。が、彼女は考えてくれて、ひとつの答えを出してくれた。

「憎しみにも愛がある」

なるほど、と思った。スキビにおいて、キョーコが危ない目にあったとき、助けを求めるのに思い浮かべた顔は、なんとショータローだった!キョーコ自身も戸惑っていたが、そういうことか、と。好きの反対は無関心と言われているし。

個人的な話を挟む。

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何年か前に思ったことがある。遠距離恋愛をしていた頃のことだ。彼氏がいることがとてつもなく面倒になった経験がある。そもそも誰かと付き合うのはそれだけで面倒だ。相手の気持ちを思いやり、言葉を選ぶことをしなくちゃならない。(普段もそうだが、それ以上に)それだけで面倒なのに、それを面倒と思わないことだ。思うかもしれないがそういう関係を結んでいるには、その面倒な努力が欠かせない。私は、それを面倒としか思えなくなった。好きでも嫌いでもなく、どうでもよくなった

今まで好きの反対が無関心というのがわからなかったのだけど、理解できたような気がした。

キョーコのショータローへの思いには、確かに憎しみがある。でも、それは愛があったからこそ。愛がなければ憎いと思うこともないのだろう。復讐しようなんて、見返そうなんて。ショータローのことがどうでもよくない証拠だ。全然単純ではないじゃないかー。

愛が憎しみに変わるのならば、憎しみも愛に変わるのだろうか。

これが最初に立てた疑問だった。だけどこの疑問はそもそも成り立たなかったのだろう。愛は憎しみだし、憎しみも愛だから。これがとりあえず、今の私の考えだ。恐らく、愛と憎しみは、全くの別物ではない。重なっているところがある。算数で習ったベン図みたいに。(ショータローも別にキョーコへの思いが全く変わったわけではないのだろう。もともと持っていた色々な気持ちの中にある“好き”というひとつの感情に気づいただけなのかもしれない)

じゃあ嫌いってなんだ?とも思ったりするのだけど。これはまた、いつか。



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