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平和の話

明日になる前に急いで書いてます

10の災いの話の途中の投稿になりますが、急遽。


災いと平和って結構真逆な内容ではあるけれど
今日は一旦モーセとアロン、パロ王のことは置いといて
平和について話します。


今日、8月15日

今日8月15日は日本の終戦記念日ですね。
ニュースで戦争で亡くなられた方を追悼する式典の様子を見ました。


1945年の8月15日にポツダム宣言の受諾を通告し
玉音放送が流れて、75年が経ったそうです。
当時の事を語ることのできる人は年々減っていて、
私たちみたいな若い世代が次の世代に語り継がなきゃいけない
ということも言われるようになっています。


戦争

私は平成生まれで、当然75年前には生まれていないです。私の母もまだ。

自分の身近に戦争が起こることなんてこれまで生きててなかったし
ニュースで流れる違う国の戦争の様子を「怖いな」って
なんとなく思いながら見てきました。


テレビで戦争についての番組を見たりするぐらいで
知識も浅いし、知らないことだらけです。

でも、確かなことは
人間が人間を殺しあって傷つけ合う”戦争”はすごく嫌だってことです。

小学校の修学旅行で

小学生の頃、修学旅行の1日目の夜に
戦争を経験された方から話を聞く機会がありました。

その当時の事を今思い返してみると、
もちろん話はちゃんと聞いていて子供ながらに
「悲しいな。戦争怖いな。嫌だな」
って思っていたけれど、すごく他人事だったように感じます。
(年齢的に仕方のないことかもしれないけれど)


話してくださった女性の方がどんな思いで
苦しくて悲しい経験を話してくださったのか分からなかったんです。


だから、すごく衝撃的で、貴重な話を聞いたはずなのに
覚えていません。残念なことに。


聖書を学んで

その時から5.6年後に私は聖書を学ぶようになりました。

今まで考えもしなかった”神様”について考えるようになったし
今まで考えもしなかった”平和”について考えるようになりました。

幼い小学6年の私の立場ではなく、
神様の立場で平和を、戦争を、考えるようになりました。


自分が愛情を持って育てた子供が2人いるとして
本当に本当に愛して、どちらにも同じく愛を注いで育てました。
苦労もしたし、もどかしく思いながらも愛して育てた2人の子供。
その2人が成長して、些細なことから喧嘩になって
互いに憎み合って、傷つけあって、どちらかが兄弟を殺してしまったら…


悔しくて悲しくて腹が立って仕方ないと思います。
これまでの苦労が無駄だったと感じると思います。
産まなければよかったのかと責めてしまうかもしれません。


神様がこのような立場なのではないかと思います。


聖書が”神様から人間へのラブレター”であると言われるように
神様は人間を間違いなく愛してくださっているけれど、
その愛する人間たちが互いに憎しみ合い殺し合うのです。


胸が締め付けられるような、苦しい気持ち。
神様ほどには感じられないかもしれないけど、その何百分の1くらいの
苦しい気持ちは感じられるようになりました。(どうですか?神様。)


平和について

平和。
これはすごく難しいですよね。人によって。何が平和なのか
センシティブでデリケート。でも絶対に避けては通れないもの。


現代のネット社会ならではの悲しい事件も起きてます。


どこかの国との争いや、日本の中での紛争とか
そういういわゆる”戦争”は起きていないように見えるけれど、
互いに傷つけ合うような、もしくは一方的に傷つけられるような
そういう事件は起きてしまっています。


叫び伝える想い

<マタイによる福音書 12章25節>
イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。


リンカーンが信念として持っていたことでも有名なこの聖句。


この福音書を書いたマタイも
小学生の私たちに戦争の体験を語ってくれた女性の方と同じく
悲痛な、切実な想いを持って
自分がイエスキリストと共にした経験を叫び伝えた1人です。


(マタイの福音書をこのような認識で読むと
普通に読むのとは全く違う感覚で読むことができます。)


私たちに戦争の経験を語ってくれた方の
思い出すのも憚られるようなその体験を話してくださった
叫び伝えてくださった想いを今になって少し分かった気がします。


内容は記憶から薄れていたとしても
こうしてあの修学旅行の日のことを思い返すことで
また戦争と平和について考えることができるように


また同じく苦しい気持ちで
叫び伝えなければならない人たちがもう増えないように


私たちはいつも思い出して
よくよく考えて、自分に一体何ができるのか
私たちはこれからどうして行ったらいいのか
もっと広い視点で、地球規模で考えていく必要があるように思います。


最後に

聖句を一つだけ。

<ペテロによる第一の手紙 3章10~12節>
いのちを愛し、
さいわいな日々を過ごそうと願う人は、
舌を制して悪を言わず、
くちびるを閉じて偽りを語らず、
悪を避けて善を行い、
平和を求めて、これを追え。
主の目は義人たちに注がれ、
主の耳は彼らの祈にかたむく。
しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう




思ったままに書いてしまったので
文章の読みやすさは全く自信がないですが
今日この日に投稿することに意味があるかなって


すごく長くてすみません
読んでくださった方本当にありがとうございます。

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