見出し画像

モノには思い出|『こんとあき』を読んで

〜サブスク時代に作品を好きになること〜

思い入れの“入れ物”が無くなった

 先日、デザイナーの信藤三雄さんが亡くなりました。信藤さんはデザイナー、アートディレクターで、90年代に渋谷系と言われる、都会的な音楽のCDジャケットを数多く手掛けました。
 90年代当時は私は中学、高校生だったのでまさにこの渋谷系の音楽に憧れてCDをたくさん買っていました。一時期は1000枚近くありました。信藤三雄さんが亡くなって、家にあったCDを引っ張り出してきたら当時の思い出や時代の雰囲気が一気に溢れてきました。

信藤三雄さんが手掛けたCDジャケット


 あれだけ買い集めていたCDですが、ふと昨年1年を思い出してみると買ったCDは1枚だけだったことに驚きました。今は音楽はサブスクを利用していて、ほとんどCDを買う習慣が無くなっていたのです。しかし、サブスクでたくさん聴いているにも関わらず、アーティスト名も曲名も何も思い出せないのでした。
 「思い入れ」という言葉があります。音楽に限らず何か作品を好きになるには「思い」を「入れる」入れ物が必要なんですよね。サブスクが中心になってモノが無くなり、その思いを入れる対象もないので好きになる情熱が下がってきたような気がするのです。

好きなモノが人を動かす力

 そこで絵本『こんとあき』を思い出したのです。あきが大事にしていたキツネのぬいぐるみのこんは腕がほころびてしまいました。不思議なことにこのぬいぐるみのこんは動き始めて、腕を直してもらうために、あきと一緒におばあちゃんの家まで旅に出ることになりました、、、という物語。
 絵本を見ていると、あきがいかにキツネのぬいぐるみを大事にしていたのかが伝わります。大事にして好きすぎるから、こんは動きだすのですね。「ぬいぐるみと一緒に過ごしたい!」という強い思いが、そうさせたんだと思います。モノがあるからこそ、そこに思いが詰め込まれているのです。ぬいぐるみに限らず、モノにはそれぞれの個人の記憶が結び付けられていますよね。
 あきがこんを大切にするのは、小さい頃から一緒に遊んだ思い出を大切にするということでもあります。つまりモノを大切にするということは、そのモノにまつわる人や経験も含めたことなのです。モノには個人の歴史や記憶を詰め込む機能がある。こんには、そんなあきとの思い出がたくさん詰まっているから、こんなに遠いおばあちゃんの家まで直してもらいに行く行動力が生まれるのです。あきの素直な気持ちに心が洗われます


 そして絵本というモノ自体にも、まさにそういう思い出が詰まっている人も多いのではないでしょうか。お母さんや、お父さんに読んでもらったり、寝る前のベッドだったり、その時の光景が浮かんできますよね。読んでない時でも、本棚の絵本が家の風景と一体化したり。特に、本は、触る、めくる、読んでもらって音で聴いて、五感で感じているから記憶に残りやすいのだと思います。
 CDにしてもそうでした。音を聞いているだけではなく、まさに信藤さんのデザインはジャケットが特殊パッケージだったりして、工夫を凝らしたものが多かった。そのデザインのカッコよさを見たり、ブックレットをめくって写真やイラストを見たり、音を耳で聴くだけでなく、目で見て触って、五感を使っていたから思い出に残ったのでしょう。
 そうやって、五感で感じながら実在するモノに触れていたから、ぬいぐるみを大事にするように、本やCDを大事にして作品やアーティストも好きになったと思います。
 

モノにドラマが生まれる

 また、不思議なのは、卵とニワトリの関係のように、モノがあるから愛着が湧き好きになることもあるということです。
こんは腕がほころびてしまいますが、だからおばあちゃんに直してもらおうと旅に出るのです。モノには形があるから壊れますがそこにドラマが生まれるのです。ほころびや汚れもまた、自分だけのものという愛着をもつために必要だったのです。
 絵本にもページが折れていたり、落書きがあったりしますが、それがあるからかえってその本が愛おしくなったりするものです。
 本やCDもそうでした。友達と何度も貸し借りをしていました。その中から、同じ趣味の友達と話し盛り上がることもありました。モノを介したからこそ生まれた会話やその当時の教室の友達の笑い声などが、本やCDにパッケージされているような気がするのです。それが愛着なのです。
 また、昔は情報もなかったので、人から勧められてよくわからない小説や、よく分からない洋楽のCDを買っていました。ちょっと思ってたのと違う、、いまいち好きになれない、、と最初は思っていても、元をとるつもりで繰り返し読んだり聴いたりしていると、だんだんと好きになったものです。
 逆にサブスクでどんなに面白い本なり、これ好き!という音楽に出会ってもモノが手元になければ、実在しないのでそんなに思い入れを持てずに忘れてしまう、というのが人の心のような気もします。だって、昔より映画も音楽も格段に品質は上がってすごい数の作品ができているのに、人々の心をどんどんん通り抜けて、思い出に残る作品は減っている気がするのです。 単に私が歳をとって記憶力が鈍り、サブスクでアーティスト名やタイトルが頭に入らなくなってきただけなのかもしれませんが、、、

 私は結局サブスク便利なので今後も使っちゃうと思います。そして大量に消費して、思い入れがそこまで無いまま自分の中を作品が通り過ぎていくんだろうなと思うと、ちょっと寂しい気もするのです。だから、あきがこんをを好きになり大切にする純粋な気持ちとまっすぐなパワーが感じられるこの絵本に現代だからこそ感動するのかなと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?