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本郷三丁目駅 カルボナーラうどんの思い出 | プリン

大学を卒業し、学問の場とあまりかかわりのない職業についてから、あれほど親しんだ本郷の街を訪れる機会がめっきり減った。用事ができて久しぶりに訪れてみると、店が入れ替わったり、中には建物自体がなくなったりしていることに気づく。本郷を離れたからしばらく経ち、新歓で必ず使ったレストランも、明治創業のレトロな洋菓子店も、徹夜で試験勉強するときに世話になったマクドナルドも、別の店に変わってしまった。

本郷で暮らしていた間にも、なじみの店がいくつかなくなった。ルノアールがパチンコ屋になり、とにかく安いことが売りの居酒屋チェーンが中国料理店になった。中でも大打撃だったのは、「だん」という居酒屋が閉店したことだ。

本郷三丁目駅を出て、大きな交差点から少し北に進むとスターバックスがある。その地下にあったのが「だん」だ。所属していたオーケストラサークルでは当時、指導者の先生を囲んだ宴会を開くときは決まってこの「だん」が選ばれた。それだけでなく学生だけの飲み会でもよく利用しており、練習後は飲み会好きな先輩が「『だん』行く人~?」といろいろな人に声をかけるのが恒例となっていた。飲み会好きな僕は「だん」での宴会への参加率は高く、特に先生方との連絡係を担当していた時期は、二週に一度はこの店で酒を飲み、食事をしていたように思う。

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本郷三丁目の交差点。左奥の道を少し行くと、「だん」が入居していた雑居ビルにたどり着く

出されるものは何でもおいしかった記憶がある。中でも印象に残っているのは、当時の飲み会で〆のメニューの定番となっていた「カルボナーラうどん」だ。名前の通り、カルボナーラのパスタをうどんに変えたものだが、チーズと卵の濃厚なソースがうどんにしっかりと絡み、しこたま酒を飲んで鈍感になった舌でもおいしく味わえる。普通にパスタとして食べても美味しかったかもしれないが、それだと20歳そこそこのハラペコ学生の胃袋は満足しなかったんだろうなと思う。うどんだったからこそ、今でも僕の記憶に刻み込まれているのかもしれない。

オーケストラサークルなので、演奏について先生方や先生からフィードバックをもらうような機会もあったが、ほとんどは、団員の誰と誰が付き合い始めたとか別れたとか、音楽業界のゴシップとか、そういうしょうもない話ばかりだった。先生方がいてもいなくても同様である。むしろ、団員同士の人間関係には先生方も非常に興味を持っていた。ある先生曰く「別れたばかりの二人の音程やリズムが合っていないときに、『君たち仲良くして!』などと言ってしまうと困るじゃない?」とのことけれども、単に若者の恋愛模様を面白おかしく眺めていただけだと思う。

そんな「だん」の閉店は、サークルにとっても僕にとってもちょっとした事件だった。サークルにとっては、先生との宴会の場所がなくなってしまったわけである。これまでは、先生が飲みたいとおっしゃれば「だん」だったが、これからはそうはいかない。毎回店を探さなければならず、とはいえ先生とご一緒するのでチープな店を選ぶわけにもいかず、店選びは皆たいへん苦労していたと記憶している。

僕自身は、なんだか居場所が一つ減ってしまったような気持ちになってしまった。サークル活動が大学生活の中心になっていた僕にとって「だん」は、昼間の部室同様に、気のおけない仲間たちと下らない話に花を咲かせられる空間だった。そんな心地よい空間を一つ失ったことで、本郷が少しだけ知らない街になってしまったように感じられた。

幸い本郷には、まだまだ「だん」のような心落ち着ける店が残っている。だが、こうした店がすべてなくなったとき、果たして本郷の街を、これまで同様に親しみを持って歩けるだろうか。「だん」の跡地に入ったサイゼリヤの看板を見るたびに、そんなことを考えるのである。

■プリン (@sharp_rtk)
九州の離島生まれのサラリーマン。そばとうどんならうどん派。

*このエッセイは、住んで暮らす東京の街についてのエッセイ集『あの街』第2号の収録作品です。
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