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西日暮里駅 古書ほうろうと高校と。 | 飯島雄太郎

西日暮里

今でこそ谷根千と言えばちょっとしたおしゃれスポットになっているが、2000年代初頭の谷根千はどちらかというと地味な街だったと記憶している。有名なものがあるとすれば日本一まずいという評判のラーメン屋で、ガス代がもったいないからとろくに煮込んでもいないドブのような色のスープにお情けほどのチャーシュー。スープに浮かぶ半分に切られたゆで卵を指さしながら、おっぱいみたいやろ、と言って笑う店主。

私はこの街にある中高一貫校に7年在籍した。7年というのは、途中留年を経験しているからだ。といっても何か特別な事情があるわけではない。ただめんどうくさいという理由でひたすら学校をさぼり続けた私は、ある日赴任してきた改革派の校長の指揮のもと2回目の高校1年生の春を迎えることになった。ペンギンか詩人になりたいと小学生の時の作文で書いていた私はペンギンにも詩人にもなれないまま留年生になった。

おかげで私は校内でちょっとした有名人になった。留年生が出るのが10年ぶりだった、というのもある。1歳年下の同級生たちからは雄さんと呼ばれ、昼休みにはほかのクラスから人がやって来ては写真を撮っていった。動物園のパンダにでもなったような気分だった。

高校に上がってからは以前よりもさぼることもなくなっていたが、かといって学業に精を出す、ということにはならない。出席日数のためだけに通い、授業中はひたすら眠り続けた。

そんなこんなで私は西日暮里という街にあまり高校生らしい思い出がない。それでも当時千駄木にあった「ほうろう」という古書店に通ったことは覚えている。軒先に古雑誌を入れた段ボールが並ぶこの古書店に、私はある日迷い込むようにして入店し、それからは放課後のたびに自然と流れ着くようになった。そして文学書からレシピ本までなんでもござれの広い店内を、パトロールでもするかのようにチェックして回った。私はきわめて厳格な税務調査官だった。

やがて私は大学入学とともに関西へと拠点を移し、今では西日暮里に行くこともほとんどない。ほうろうも移転し、日本一のラーメン屋も残っていない。だから西日暮里の駅にはもう降り立たない。それでも時々学校を早退してはせっせとほうろうに通った日々を思い出す。戻りたいとは思わないのだが。

■飯島雄太郎
ドイツ語圏文学翻訳者。1987年東京生まれ。出版社勤務を経て京都大学文学研究科博士後期課程在籍。専門は20世紀オーストリア文学、特にトーマス・ベルンハルト。訳書にトーマス・ベルンハルト『アムラス』(河出書房新社、初見基と共訳)
https://note.com/yutaroiijima


*このエッセイは、住んで暮らす東京の街についてのエッセイ集『あの街』第1号の収録作品です。
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