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おまえの罪を自白しろ

SNSにだらだら書いてパブサされるのは微妙だったのでnoteにまとめます。というか、これを機に映画・舞台鑑賞、読書などの記録をまとめる人間になりたい。

前半で中島健人を褒めて、後半は作品の批評です。後半はかなり辛口な物言いになる(気がする)ので、ネガティブ感想を避けたい人は前半だけ読んでください。

これまでの中島健人史上最高の芝居でした。それはつまり、彼がすべてのステージで常に最高の芝居を更新し続けているということで、それっていったいどんな努力の先にあるものなんだろうとおもわず想像してしまう。正直私の個人的な好みとしては、中島健人の表現で最も心を揺さぶるのは歌なのですが、今回はほんとうに、彼という人がこの作品に命を与えているといっても過言ではないと断言できます。

晄司って、家族思いで、まっすぐに善の部分を持ちながらも、野心があって、長年政治家をやってきた清治郎が、長男を差し置いてさらには会社を倒産させてまで政界入りさせたいと思うほどの人間なんですが、こういう矛盾する面を表出させるキャラクターってどっちに振ってもストーリーの途中で「豹変」しがちなところを、中島健人によってそれらを一つの人格に閉じ込めることに成功していて、それが本当にすごかった。上荒川大橋の件で食って掛かった時にみせた正しさを持ちながら、けれど内在する野心が彼を突き動かす瞬間があり、しかもそれらの心情の変化パートがかなり手短にまとめられていたにもかかわらず晄司という人間に違和感をおぼえなかった。それどころか、ものすごく物語の余白として楽しむことのできるキャラクターだった……すごい。そのすごさって、中島健人のファンである私の視点からみるのであれば「中島健人そのものの気質」ととてもよく親和した部分があったんだろうなという想像につながるんだけど、それくらいすごかったんだよ。目のひかりの入り方まで計算してるんじゃないかってくらい。どの場面でも観客をスクリーンに引き込む力のある人だな、と改めて感じられたのも主演として輝いていて、すごくすごくすてきだった。かっこよかった。ちなみに、蛇足だけれど、中島健人そのものの気質と晄司の親和性の高さは感じたけれど、中島健人節のような台詞回しはなく、台詞も所作も晄司そのものだったことを付記しておきます。

中島健人の演技について感じていることを少し書いておく。彼はこれからどんな俳優になっていくんだろう。どんなふうにもなれる気がする、彼は目指した方向にまっすぐ走ることのできるひとだから。そのうえで、私が中島健人という俳優の「彼でなければならなさ」のようなものを考えるのであれば、私は、彼の持つ生来の品の良さや正しさ、溌剌さみたいなものが、スクリーンをぱっと華やかにするし、キャラクターを生かしていると感じる。そういう役割が唯一無二で、彼の芝居が、彼でなければならない理由のような気がします。中島健人だったからこそ受け得たキャラクター解釈があるってものすごいことだとおもう。ここからは完全に余談だけど、だから私はケンティーにいつかどうしようもない人間の役をやってほしいんだなあ。そういう人間がこっそりと仕舞い込んでいる、どうしたって汚すことも捨てることもできないたったひとすじの光みたいなものを、ケンティーの演技から啜ってみたい。

かなり映画の話から脱線してしまったけれど、ここから先は映画全体の雑感。あまりポジティブな感想ではないのでそういうのみるとむむっとなってしまう人は読まないほうがいいかもしれないです(が、私の個人の主張としては、これは誰かの楽しいを侵害したり攻撃したりする意図のある文章ではありませんし、映画の正しさについて論ずるものでもありません)

映画全体としては、なんというか中途半端だな……という感じで個人的にはもっと見ごたえのあるものを(PRの宣伝文句から)想像していたので、ちょっと肩透かしでした。タイムリミットサスペンスにしては緊張感がないし、政治ミステリにしては政治部分がもやっとしていてオチが弱く、いちばんしっくりきたのは家族愛なんだけどそれならもう少しキャラクターの心情の変化や立ち位置を掘り下げてくれ、というのが初見のなんの忖度もない正直な感想です。あ、そうか、テイストはいわゆる日曜劇場のノリなんだけどそっちに振り切るにはストーリーの起伏がゆるやかな印象があるのかもしれない。社会派というワードもよく出てくるけど、それにしては社会に訴えたいことが何だったのか……は初回ではうまくつかめなかった。そういう明確なメッセージを持たないことがメッセージであるという可能性も捨てきれないけど、どうなんだろう。

私がこの映画に感じたのは、どちらかといえば「親と子の物語」であり「家族」のはなしだった気がします。そして、これはもう、完全に私個人の好みの話だけれど、いまこの時代に、若者をターゲットに家族の話を書くのであれば、もう一歩どこかに踏み込んでほしかった。息子の父殺しで終わらず、家父長制という仕組み、家族というもののありかたについて、もっと踏み込んでいたらまた違った印象だった気がします。これは、晄司が何かひとつを正義とするような単純さを持たず、一見相反する価値観を内包した、ものすごく奥行きのあるキャラクターとして生きていて、彼ならそういうメッセージを体現できただろうと想像してしまうからこそもったいないな…とおもってしまった。以上、映画の初回鑑賞後の雑感。

そういえば堤真一が正義のために汚れ役をやる政治家ってなんか既視感あるな…とおもったらSPの映画版だった。久しぶりに観返そうかなあ。今みたらみんなびっくりするくらい若いんだろうな。

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