見出し画像

時計を見ずに走れ

ぼくは信号待ちをしていた。この横断歩道を渡って交差点を曲がれば会社のビルが見える。時計を見た。6:27だ。この調子なら6:30に出社できるな、と思った。入館履歴は15分刻みで記録されるから、このまま行くと6:30出社扱いとなるのだ。そろそろ入館証を手に準備しておこう。ぼくは、かばんのポケットに手を伸ばす。ない!

あぁ今日は、最近暖かくなってきたし、そろそろ分厚いダウンジャケット着るのをやめるかぁ、そう思った最初の日。そして昨日帰宅したときにダウンジャケットのポケットに入館証を入れたままだった。いつもは入館証をかばんのポケットに入れ替えているのに、よりによって今日、ダウンジャケットをやめた日に忘れるとは。会社はもう目の前なのに。

通常家から会社までは片道15分かかる。つまり、入館証を取りに家に帰って普通に往復すると2倍の30分かかり、出社時刻は7:00になる計算だ。でも「せっかく早起きしたのに無駄に同じ道を30分で往復するのは癪」と3秒ほど考え、ぼくは家に向かって走り始めていた。そう、6:45に出社できる可能性に賭けて。

15分の道のりを歩いて会社のすぐそばまで来たのに、逆走してスタート地点まで戻らなければならないことの無念よ。通勤で片道15分くらい歩くのは健康のためにまあよい。でもさらに追加で30分歩けばもっと健康的ですばらしいなどという気持ちには、もちろんならない。短縮したい。あわよくば6:45に間に合いたい。

走った。かばんが揺れないように抑えながら。赤信号にイライラしながら、朝っぱらから肩で息をして走った。さすがに汗をかき、家について玄関の扉を開けるやいなや上半身の服を全部脱いでかばんに入れ、ダウンジャケットのポケットから入館証をかばんに移し、今度はランニング用のTシャツ1枚に着替えて家を飛び出した。もはや通勤というよりはランニングしている。

その間時計は一切見ていない。途中で時計を見て間に合わないと感じれば、とたんに走る気力が萎えてしまうだろう。逆にギリギリ間に合いそうだと感じれば、焦って全力疾走するだろう。そのどちらも嫌だったからだ。時計を見るという行為によって精神を乱され、それが行動に影響するのは嫌だった。間に合うか間に合わないかギリギリの状況ということは、時計を見て確認するまでもなくわかりきっている。自分が20分程度止まらずに走り続けられる最適なペースでただ走り続ける。その結果として間に合ったかどうか?それだけがすべてなのだ。

.