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キモヲタ、65日で10キロのダイエットに成功 〜前日譚〜


キッズエイジから肥満だった父と無限に夜食を食べ続ける標準体型の母から生まれたアタクシ。中・高時代は運動部に所属し、激烈な基礎代謝を維持したおかげもあり、大学生まではJ(ラーメン二郎)やポテチ、蒙古タンメン中本のカップ麺(安藤百福を超えた平成の最高傑作)を連打しても全く太らず、痩せ型のままだった。

潜り抜けてきた幾千の経験の蓄積から、


「オデは食べても太らない体質なんだ^^」


そう確信していた。





______大学生までは。




確信を遥かに超えて現実はかなりタフなものだった。

社会人になってすぐ、宮崎県の山に8ヶ月の幽閉を命じられ、協力会社の名も無きおいたん2人と一緒に3LDKのマンション暮らしが始まった。
世間的な見え方だとアタクシの方が立場は上だったのかもしれないが、ここは日本。途中から不意に現れた魚顔のガリ(しかも歳下)には当然の如くHUMAN RIGHTSは与えられず、不文律でキッチンを使わせてもらえなかった。
今思えば、鈍感に図々しく使えばよかっただけだが、当時はまだまだ魚顔をした22歳のキッズ。8ヶ月間、夜飯は同僚と外食orテイクアウトした飯を部屋で食べるしかなかった。体重56キロ。


2年目。無事に任期を終え、久方ぶりに築50年の福岡寮に戻っても、隣部屋の同期はアラームを爆音でGLAYのMore than loveにセットし、更にもうひとつ隣の同期はスケボーで廊下を移動していた。それぞれがそれぞれに闇を抱えながらエクストリーム級の進化を遂げていた。嗚呼、四面楚歌…
※スケボーの同期は程なくして辞めた。
アタクシは散歩部の皆のおかげで人見知りの弁が決壊し、環境適応能力の高さを就職活動時も高らかにアピールし続けていた。しかし、この魑魅魍魎とした寮の環境に全く適応できず、2年目辺りから徐々に同期と距離を置き始める。この頃から近くの薬局でさやえんどうと三ツ矢サイダーゼロストロングを爆買いし、部屋で暴食し始める。体重64キロ。

アタクシにとって自衛隊の起床ラッパみたいな曲


3年目。晴れて東京へ異動し、営業部に配属される。
仕事柄、毎日1.5万歩くらい歩いていたが、永続トラップカード「飲会輪廻(ノミカイリンネ)」がフィールド上に鎮座し続け、日中の消費カロリーが全て無効になる。
タクシー帰りもルーティンになり、体重に比例して支出も一次関数的に増加していく。かつて赤点を取った数学も初めて知の肥やしとしてエッセイの役に立ったワ。
この頃から、アタクシのアイデンティティだったスキニーを履いても、「ピタピタしててキメェ…」と言われ、苦肉の策でインチ数を上げ始める。体重67キロ。

4年目〜。引き続きそんな生活を送りながら体調を崩し、同時にコロナ禍が始まる。自粛と不調のダブルパンチで74キロまで肥える。この辺りは本当に腐り切ってた暗黒期として生涯ノミネートされ続けると思う。

ここで初めて本格的な減量を始める。
以下のダイエット記事を参考にし、2ヶ月半で74.1キロ→68.5キロまで減量した。同時に禁煙や資格勉強を始め、結果的に転職することもできて段々と人生が好転してくる。
(りょう@wellbeingさんのダイエット記事には本当に助けられました。ありがとうございました!!)


7年目。転職してデスクワークメインになる。飲み会も格段に減って自分の時間ができ、生活の息遣いがようやく整った。
ただこれも哀しい哉、人間とは単純なもので、ゆとりができると楽な方に流れ続け、これまでの努力(ダイエット)や継続(CFPの資格勉強)を即捨てし、空虚だけを充電するもぬけの殻と化した。
こうして、今回は2年目の時とは違い、自らの意思で食生活を破壊し始める…




体重77.9キロ(新卒時比+21.9キロ)




続く

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