おじさん

腰が痛い。
どのタイミングか忘れたけど、仕事で重い荷物を運んだ時からだと思う。腰にデカめのボムを仕込まれた気がする。
29歳目前。背伸びして自分の身長ほどの塀の先を覗くと、30歳のネオンサインが煌々と輝きながら、俺をいざなおうとしている。
今まで冗談めいて言ってたが、遂におじさんの自我が芽生え、青年の季節が終わった(気がする。)



———​おじさん。
このところ、世にいるおじさんの顔つきが気になっている。周りにいるおじさんは、容姿の整いように関わらず、とある瞬間に得体の知れない色気を放つ。世相に関わらず、どの時代のおじさんの顔にも、味や粋が確かに存在する。
色気、味、粋。それらを形成してるのは何か、つまり、今の自分の顔つきとは何が違うのか色々考えて辿り着いたのは、"役割を畳んできた数の違い"ではないかということ。

感受性の問題かもしれないが、今まで仕事やプライベートにおいて、なにかを0から始め、やり遂げたあとは自らでそれを畳む、という一連の流れを経験していないように思う。特に仕事で。
年齢を重ねると責任が重くのしかかり、否応にも、更には自分が望まない結果でも畳む行為を求められるのではないだろうか。
どうしたって綺麗に畳めない時もある。そんな時に織ってできた皺が、顔や身体に刻まれ続けて、晴れておじさんになるんじゃないだろうか。

色気、味、粋。どれも表現される時には、その内側にある影もセットになる気がする。
俺は、桑田佳祐が大好きだ。お茶の間を賑やかにしてくれる曲を40年以上にわたってつくり続ける傍ら、その過程で何回も絶望したり諦めながら世の中と折り合いをつけてきたんだろうなと感じている。その痕跡らしきものが歌っている時の表情にふと出ている気がして、あぁ、この人には全幅の信頼をよせていいんだなァ…と思う。

20〜30代は可能な限り仕事に負荷をかけた方が良いかどうかの議論がたまに同世代間で繰り広げられる。俺個人としては、休みが絶対に必要なタイプなので、心の摩耗を約束されるくらいならそこまでしない方がいいとここ数年は思っていた。が、"畳む"ことで得られる人としての深みや懐の深みがその先で待っているのであれば、少し考え方もかわる。

おじさんって、難しいなァ…

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