#私の仕事 × アイデンティティ
2023年4月、まさか40代になって自分のアイデンティティを見失うとは思ってもみませんでした。「今の『いま』」で自己紹介をするとしたら、
4月1日から無職です。
同居する家族はいません。
これがいまの自分。ある意味では、人生の折り返し地点で何の縛りもないオールフリーな状態。改めて作り直す『アイデンティティ≒自分らしさ』が、noteでのテーマです。
アイデンティティを作り直すにしても、これまでの自分の中にある素材は何なのか? その素材をこれからも使うかの判断は別にして、棚卸しが必要なのでnoteの募集テーマ「#私の仕事」をまとめてみました。
1.自分の職務経歴書
大学では障害児教育を専攻していました。教員・教師といっても、学校の種別やいろいろな教科が数ある中で「障害児教育」を専攻した動機はなにか。受験の志願書にはこう書いたと思い出されます。
一つは、小学校の時に後ろの席の同級生が先天性疾患で勉強についていけず、よく自分が休み時間に教えたり遊んだりしていたこと。もう一つは、7歳上の兄が交通事故により身体障害をおったこと。
けれど人生の選択をするとき、きっかけや動機はいくつかあるのだろうけど、そのほかにも直接は関係していないような出来事、言葉、思い、人との関係などが折り重なっていき、人は「決断」をするのだと思う。人生の選択の理由は、削ぎ落して単純にして誰かに説明するときに必要なのだとも思う。
大学では講義よりも、障がいをもった子どもから大人まで関わるボランティア活動ばかりに行っていました。その経験を通して自分は教員になるのではなく、障がい福祉を仕事として選びました。当時の自分には、障害児への教育実習で学校で教えられることに生活のリアルさを理解することがあまりできなかったのです。
2.障がい福祉分野の20年
中学生にも分かりやすいように説明するとしたら、
戦後の日本は「措置制度」といって、行政が障害児者の生活する場所、使える支援を決めていた。自分が就職したときもまだこの制度が続いていた。
西暦2000年に入ってから、障害があっても自分で生活する場所や使いたい支援を選択して契約する権利がある、と逆転した考え方に変わり制度も改革されました。
制度が改革されて、仕組みやお金の出どころなどでとても混乱した時期を経て、福祉サービスとしてある程度は整いました(何事も完成形はないけれど)。
最近、どこでも聞くようになった「SDGs」に合わせて障がい福祉分野も「地域共生社会」を目標にし始めています。
3.はみ出した自分が俯瞰する福祉サービス
さて日常でもよく使う「サービス(service;英)」ということば。お金の支払いの有無にかかわらず、第三者から受けた行いに対して評価をするときに「サービスが良い」とか「悪い」と言ったりします。
では、そもそも「サービス」とは何ぞや? 常套手段ではあるけれど、語源を調べてみた。
福祉分野に限らず語源からあてはめて考えると、サービスの提供者は「奴隷」、消費者は「主人」となり、暗黙の主従関係が生じているのでしょうか。そう考えると、悪質なクレームなどの心理的な背景の一端が見えるかもしれませんね。
先ほども話した、西暦2000年に入ってからの制度改革が進むのに合わせて「福祉サービス」ということばがだんだんと浸透して使われるようになってきました。
当時、自分の雇用主だったボス(戦後の障害福祉分野を開拓して作り上げてきた草分け的存在)は、「サービス」ということばが福祉分野で使われるようになってきたことに非常に懸念を示していました。
ことばの持つ意味や背景はさておき、自分は先人たちの取り組みを引き継ぎながら障がい福祉は確実に発展してきたと考えています。もちろん、福祉先進国と比較すれば劣っているところ、制度のはざま、当事者が抱える個々の課題などはあるのは当然です。ただ、現在の福祉サービスにつながってさえいれば、食いはぐれたり、どこかに収容されたり、他者から身体的な危険に脅かされたりすることは戦前戦後と比較すれば激減してきたはずです。
しかし「生活の必要最低限度をサービスとして提供していればいい」ではなく、「一人一人がよりよい人生を送るために何ができるのか」を考えて行動してきたのが福祉のしごとの根幹を成すものだと考えています。
「サービス」ではない、「ホスピタリティ」という姿勢があったはず。
ことばにしていなくても、姿勢を持ち続けている人たちが多くいることも知っています。
4.やりたいことのみつけかたは?
2023年4月1日、自分が無職となった背景にはハラスメントを受け抑うつ状態となり休職したことがあります。
「コロナに感染するなら独身者で家族のいない人がなればいい」と上司・同僚から揶揄するように言われ、さすがに不快に感じた自分は関係改善のための話し合いを提案したところ無視などが始まり、困って相談した上司からは「無視されるような状況を作り出しているあなたに原因がある」との指導があり、精神的に参ってしまったのです。
SDGs、地域共生社会を実現するためにと声高く言うのはよいが、後世につなぐためにも最前線で行動する自分も含めた大人たちが「ホスピタリティ≒思いやり」を失い始めていないか。長く仕事をし続けてきた障がい福祉分野に疲れてしまっている自分がいます。さりとて、やりたいことが見つからない自分もここにいます。
「職業人」という仮面が取れて、今なら漏らせる自分の「ふー」と息も一緒にもれる「私の仕事」のことでした。
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