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水木しげるの妖怪百鬼夜行展〜お化けたちはこうして生まれた〜

こんにちは!
まりあんぬです。

突然ですが・・・妖怪って、いると思いますか?

妖怪ってフィクションの中だけじゃない?
現実にはいないでしょう〜?と思っていた私は、この美術展に行って、妖怪はいるかもしれない・・・むしろ、いて欲しいかも!と思い直しましたよ!

その美術展が、そごう横浜店で開催中の「水木しげるの妖怪百鬼夜行展」です。

では、思い直すほどの美術展とはどんなものだったのか?!
今日は、その様子をお伝えします。



会場の流れに沿って紹介します。
(目次は独断と偏見で、分類しております。)


①水木しげると妖怪の出会い



水木少年の、近所に住んでいたのんのんばあ。
いつも仏壇で手を合わせて、のんのんしているから、のんのんばあ。
のんのんばあの話の中に、ある妖怪が登場したことが、水木さんと妖怪の初めての出会いでした。

その後、太平洋戦争で水木さんは徴兵され、ラバウルへ。
なんとその戦地で、妖怪と出会ったというのです。
戦地の森で、突然行手を阻んだ見えない壁。
そう、塗壁(ぬりかべ)です。


よーく見てると・・・

当時は塗壁なんて知らず、復員してからあれは塗壁と言う妖怪だったんだ!とわかったそう。

・・・と言うように、水木さんの妖怪話は実話が元なのです。


②妖怪を調べた人たち・描いた人たち

続くと、水木さんが妖怪を調べるために、参考にした人たちの紹介があります。

江戸時代の妖怪画家・鳥山石燕
妖怪含む日本民俗学の父・柳田國男
妖怪学の創始者で哲学者・井上円了
など・・・

水木さんが実際に集めた鳥山石燕の画や、柳田國男の資料が展示されています。
水木さんは、漫画家でもあり、妖怪研究家でもあったわけです。
井上円了は、妖怪を否定するために研究して、ついには妖怪博士と呼ばれるようにまでなってしまった哲学者です。



(読みたい本を貼り付けました)



③比較して見よう妖怪画

水木さんが描いた妖怪の原画と、水木さんが元にした鳥山石燕や葛飾北斎の描いた妖怪画を比較して展示しています。
その比較を見ていると、いろいろな違いに気がつきます。
まず、妖怪の見た目や表情は、元にした妖怪の姿と変わりません。
ですが、水木さんの絵は背景の描き込みと、
妖怪に出会って驚く人の姿と、表情が描かれています。

これがまさに、水木しげるさんのこだわり。

過去に描かれた妖怪の姿は、伝承通りに描くこと。
背景の森や家や道は、緻密に描くこと。
そして何より、妖怪に出会った人の表情を描くこと
そうすることで、妖怪と出会う状況をリアルに想像することが出来ます。
描き込まれ、作り込まれた絵を見ていくうちに、妖怪が現実にいるようにしか思えなくなってくるのです。


④百鬼夜行

比較のブースが終わると、今度は森のような薄暗い壁に妖怪画がズラリ。

妖怪が現れる場所を、森・里・水・家に分けて展示しています。
一つ前のブースは、妖怪の説明が詳しく書かれていましたが、ここでは説明は最低限。
見た目も、状況もわかるのに、何をする妖怪なのか、何が由来なのか、全くわからない。
まさに、見たことのない「何か」が突然現れて、そして正体がわからないまま消える、という遭遇体験をしているかのよう・・・。
特に、家に現れる妖怪は、場面が想像できてさらにゾクゾク。

背景は緻密だけど、妖怪自体はコミカルに描かれているのも、アンバランスに感じてさらに不気味・・・。
そのような様子で、妖怪画がずらっと並ぶ様子はまさに百鬼夜行のよう!
百鬼夜行展の由来は、この展示にあったのです。

⑤最後に


水木さんの描く妖怪を見ながら思ったことがひとつ。
妖怪は、怖さも、気味悪さも、不気味さもある。
悪さをすることもあるし、困らせることもある。
けれど、コミカルな表情だったり、カラフルな色合いだったりする。
人々に疫病封じを予言したり、家を守ってくれていたりもする。

妖怪って、不思議で憎めない。

妖怪は、居るような気がするし、なんなら少し好きかも知れない。

そう思わせてくれるのは、誰よりも水木さん自身が、妖怪のことが大好きだったからかも知れません。

水木さんの妖怪への熱い想いが、ひしひしと伝わってくる美術展でした。



・・・あ、そうだ、まだ背筋がゾクゾクしてませんか?
誰もいないのに、足音するときありませんか?

そんな時は
「べとべとさん、お先へお越し」
と言っておけば大丈夫。



のんのんばあの教えです。









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