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90年代フィールが心地よい『AI: ソムニウム ファイル』

しばらく前に買って積んでいたゲームをようやくクリアしたので、レビューというか、紹介文を書いておきます。

ゲーム内容の紹介については、この記事が入っているマガジン「game game」の編集メンバーであるhahaha氏が詳細なレビューをIGN JAPANの記事(以下のリンク参照)に書いているので、そちらを読んでもらえば済んでしまうが、私の見立てとは少し違う部分もあるので、手短に紹介をば。

90年代の香りが漂うサスペンス(?)

ゲームは廃業した遊園地跡地で起きた殺人事件の現場検証から始まる。
雨の降る中、メリーゴーランドに固定された死体、しかも左目がくり抜かれているという儀式めいた猟奇殺人は、デヴィッド・フィンチャー監督『セブン』(1996)やジョナサン・デミ監督『羊たちの沈黙』(1991)等の1990年代のシリアスなサスペンス映画の雰囲気だ。主人公「伊達 鍵」が現場を探っていると、一人の少女を発見する。その少女はある理由から預かっている親友の娘「沖浦 みずき」だった。伊達は自身が所属する警視庁特殊捜査班「ABIS」の技術、Psyncによってみずきと同調し、みずきの深層心理から事件の手がかりを探ろうとする。

といった具合で、物語の導入は非常にシリアスなサスペンス&SF風味で展開されるのだが、シリアスを期待したプレイヤーはゲームを進めるほどに困惑するだろう。このゲーム、とにかくギャグの要素が多いのだ。

この感覚、90年代エロゲー?

基本的にシリアスなムードを持った本作だが、登場する人物は見た目が派手かつ、極端な性格の方ばかり。主人公はどんなにシリアスな状況であってもエロ本があれば見逃さず、捜査しに行った先に巨乳の受付嬢がいれば声をかけずにはいられず、スキあらば面白ネタを突っ込んでいくナイスガイ。

相棒「こんなサイズのが入るか?」
伊達「入れてみなければ相性はわからんだろう?」

これ、鍵穴の話ですからね?

劇中で伊達の相棒として活躍する存在、「AI-Ball」(アイボゥ)は伊達の左目に入った義眼であり、スーパーテクノロジーで制作された自律型AIである。義眼なので、当然常に行動をともにするわけで、日常生活から現場での捜査、Psync中のサポートなど文字通り伊達の目となり腕となる。プログラム通りに行動するだけのロボットとは違い、そこは自律型AIの彼女(人格は女性です)、高度のツッコミスキルも備えております!伊達のアホな発言をすればすかさずツッコミ、アイボゥのX線透視スキルを悪用してウェイトレスの骨盤をスケスケにしてしまう伊達を憐れみとともに蔑んでくれ、時には渾身のボケもかますハイテクっぷり。未来ずら~~

ちなみにアイボゥ役は『鬼滅の刃』の禰豆子や『まちカドまぞく』の千代田桃、『虚構推理』の岩永琴子など近年活躍目覚ましい鬼頭明里さん。鬼頭さんにツッコまれたい諸兄は必ずプレイするように!

猟奇的な殺人現場がいくつも出てくる作品だが、伊達のアホっぷりとアイボゥとの夫婦漫才的な会話シーンの多さで非常に軽快な感覚があるのが本作の特徴だ。とは言え、ピンチを切り抜けるシーンであってもエロ本が活躍してしまうアホさはもはやバカゲーの域。そこについていけない人も多いかもしれない。だが、私はこの下ネタ連発主人公によるドタバタ感覚は全く違和感が無かった。というのも、前回の投稿で書いたように最近は90年代のエロゲーを集中的に遊んでいたことが影響している。

90年代のエロゲー(特に蛭田昌人がシナリオを手掛けた作品)は主人公がエゲツない下ネタを女性に平気で言うが、陰湿な雰囲気はまったくなく、カラッとした明るいエロが多い(無論、例外も多い)。この傾向は『野々村病院の人々』(1994)や『ELLE』(1991)あたりが顕著だが、これらの作品の雰囲気と『AI:ソムニウム ファイル』は非常に似通っていることが前述の作品をプレイしているとよく分かる。どれも推理・捜査もののアドベンチャーであり、軽口の多い主人公というのも同じ。もしかして、ディレクターの打越鋼太郎氏は意識していたりして?

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本作についてインタビュー等をチェックしたわけではないのだが、90年代のアドベンチャーゲームを意識しているような痕跡がシステム周りにも見られる。例えば、本作は今どきのアドベンチャーゲームでは少数派なポイントアンドクリック方式。しかも、基本的に選択肢総当たりで進むことになるという、これまたちょっと古い90年代のアドベンチャーゲームに多く見られたシステム。捜査パートではキャラクターを自由に動かすことも不可能だ。『十三騎兵防衛圏』のようなグラフィカルなインターフェースを体験してしまうと、『AI』のシステムはとてつもなく古臭く思えてしまう。しかし、90年代のアドベンチャーゲームを遊んだ後ならば、この古臭さのあるシステムも割と好意的に受け取れるようになる。会話が進まなくなるポイントになると文字が赤くなるし、会話の選択肢も方向キーで設定されていてスムーズ。調べられるポイントもわかりやすくて、それほどストレスを溜めることもないと思う。これが90年代のゲームの場合は画面の隅々までクリックしたり、同じ会話を何度もカチカチしてなかなか進行ポイントがわからずイライラすることがある・・・。分岐ポイントも後でやり直しが簡単なため、複数のセーブデータを管理する必要もない。基本的に古さはあるものの、後発ならではの洗練もあるというわけだ。古き良きアドベンチャーゲームの系譜を受け継いだ新作ゲームとして遊んで欲しい。

エンディングのハッピー感覚はサイコー!

本作にはいくつかの分岐ポイントが有り、それぞれのルートにエンディングが用意されている。とは言え、恋愛ゲームにありがちな特定のキャラクターとの仲を深めるエンディングとは少し趣が異なる。確かにキャラクターにフォーカスした内容になっているものの、謎が残ったままで終わってしまうため、消化不良感があるはずだ。事件の真相は他の全てのルートをプレイした後に開放される解明編で明らかにされる仕組みなので、一つのルートをクリアしただけでプレイを中断することは絶対におすすめしない。ルートによってはバカゲーっぽい展開でクライマックスを迎えるので、脱落してしまうプレイヤーも多そうだが、どうか終盤の真犯人登場まで見てから判断して欲しい。

終盤の展開はちょっと(人によってはかなり?)驚きの展開になるし、それまで提示されてきた謎が一気に解明されていく捜査ものアドベンチャーならではの爽快感はかなりのもの。Psyncの設定を聞いて思い出したのが清水玲子の漫画『秘密』だったが、終盤の展開は『秘密』に近い部分も少しある。

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そして、真のエンディングにたどり着く頃には、鬱陶しかったアイボゥも、生意気なガキのみずきも、食わせ者のボス(42歳ってマジ!?)も、二丁目感のあるバーのママも、劇中アイドルのネット界の揮発性溶媒あせとんこと、A-setも皆好きになるはずだ!思わずあせとんちゃんの合いの手覚えちゃったプレイヤーは私だけではない!!(断言)
皆が好きになったタイミングで迎えるエンディングシーンは近年のゲームで稀に見る幸福感に満ちた素晴らしいものだったとも付け加えておく。

古臭いとか、アホくさいとかディスりに近い書き方をしてしまったが、プレイして損のないゲームなことは間違いない。今ならダウンロード版が大幅セールになったり、新品でもかーなりお安くなっていたりするのでお値段異常じゃなくて以上に楽しめること請け合いだ。売れていないとか言うなよ!これから売れるんだよ!!

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