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1月11日アスパラガスビスケットの日

 何回目だろう。

 俺はまた、仕事を辞めた。

「まあ、焦らずに探せばいいんじゃないの」

 母がお盆に茶を乗せて持ってきた。つまみにするのか、いつものお菓子もある。俺は妙に気まずいと思いながらも、その身を、その重たい身を起こして座ることにした。

「仕事に対する自分のこだわりみたいなものが変えられないんだよね。嫌いなものを好きになれない」

 俺はぽつりとそんなことを言う。母は湯飲みに入ったお茶を目の前に置いてくれた。湯気がもわもわと視界に広がり、このまま一緒に蒸発でもしたいものだとちょっと思う。

「仕方ないわよ、お父さんの子供だもん」

 母がテレビのリモコンを片手にそんなことを言う。俺がどういう意味かと尋ねると、視線はテレビに向けたまま答える。

「お父さん、ずーっと仕事が嫌いなままよ」

「え、そ、そうなの?」

 聞けば、母の言葉そのまま、父はずっと仕事が嫌いなままらしい。言われてみれば確かに、である。父から仕事が楽しくて仕方ないと言うようなキラキラとした雰囲気は感じたことがない。もし本人にそんな気があったならば大変失礼なところだが、俺の記憶ではほとんど感じたことがない。

「でもお父さんは『仕事は生活するためのツールである』って割り切ってるらしいわよ」

「ツール?」

 俺が問いかけると、母は湯飲みをテーブルに置き、一緒に持ってきていたアスパラガスビスケットの袋を開けた。

「うん、お金を稼ぐための手段だって。相変わらず仕事にいきたくないなぁって言いながら出勤している日もあるよ。そこは昔から変わらない」

 袋からそれを取り出し、母は早速口にした。カリッ聞こえたかと思うと、ボリボリ、ザクザクと音が続き、彼女はおいしそうに食べている。

「でも、お母さん知っているんだ」

「?」

 何かを含みながら笑い、母はまたアスパラガスビスケットを手に取った。僕もそれを見て数本もらう。

「あれで結構仕事楽しくなってきているんだよね、お父さん」

「そうなの?」

 母は少しだけ笑う。

「行きたくないなぁって、相変わらず言うくせにお父さん、ここ数年は行くときに笑っているのよ。笑って、行ってきますって言うのよね」

 そうなのかと俺がぼんやりと返事をすると母はまた笑う。久々に食べたアスパラガスビスケットは昔と変わらず、香ばしくて美味しい。

「『ツール』も、慣れてくると『武器』になってくるのかも知れないね。仕事に慣れたら、また見えるものや感じるものが変わるのかも知れない。でも慣れるまでは時間もかかる」

 母はそう言って、もう何本目かのビスケットを手に取る。

「私もさ、このアスパラガスビスケットのゴマが苦手だったのよね。でもこのビスケットったら、50年以上経っても変わらずこの姿のままなのよね。だから私も慣れちゃって。むしろゴマが入っていることで好きになっちゃったわ」

 言いながら自分で笑っている。

 我が家には小さなころからこのビスケットが必ず家にあった。

「こだわりは変えなくてもいいと思う。でも形になったり好きになったりするのに時間が掛かるものがあるってことも覚えおいてもいいかもね」

 母はそう言ってもう一袋開けた。

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【今日の記念日】
1月11日 アスパラガスビスケットの日

ビスケット、クッキー、チョコレート菓子などの製造販売を行う株式会社ギンビスが制定。1968年10月に発売され、2018年に発売50周年を迎えた同社のロングセラー商品「アスパラガスビスケット」。世代を超えて愛され続けてきた「アスパラガスビスケット」を、さまざまな年代の家族が集まる年始に食べてもらいたいとの願いが込められている。日付は「アスパラガスビスケット」の棒状の形を思い起こす1月11日に。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。



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