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冬は灰色やうやう⑤【連続短編小説】

※前回の「冬は灰色やうやう④」はこちらから

    冷えも冷めれば、むしろ温かい。
 私はカッと上った血を落ち着かせるべく、ベランダでたばこをふかせた。自動販売機ではなかなか見ないJPSを、私はカートンで買っている。

 どうでも良いけれど。

 沈んだ瞳は、いつも私を安心させた。
 昔からそうだったのだと思う。明るい何かよりも影のあるものに惹かれた。それが趣味でも男でも。だから輝かしい太陽の光なんて嫌いだったし、それが当たって光る透明のガラスも好きではない。その光の当たる公園で遊んでいる大勢の同級生達も嫌いだったし、その誰かが反射させた光のその先が何かの拍子に壁に虹を作るのも大嫌いだった。
 だから彼から『虹色のえんぴつ』と聞いたときには驚きもそこそこに舌打ちしてしまったくらいである。

 付き合ってまもなく7年になる灰色の瞳の彼。今朝ばれた私の7度目の浮気は、本当は浮気ではない。怪しいかも知れないけれど、既成事実もなければ浮つく気持ちにもならなかったわけで、名実ともに浮気ではないんだけど。6度も事実があれば7度目は真実がどうであれ、そうだと言われればそれもまた事実になるのだと思う。

 ごめんね、飯沼くん。

 1度目に浮気をしたときには、本当にこの世の終わりのような顔をして、「何で」と彼は言った。何でだろうと思ってした2度目の浮気では「どうして」と言われた。それを答えようとした3度目の浮気では「どうしたら」と彼は涙目になって狼狽していた。
 今思えばこのあたりで、もう彼の瞳は黒寄りの灰色になっていたのかも知れない。もともと灰色だったけれど、今よりは白がかっていたように思う。『思う』だけで実際どうかは分からないけれど。私はその薄い灰色も大好きだった。

 一呼吸置いて、4度目がばれたときには「もうしないで」と言い、5度目には「やめて」と言った。この時にはもう、彼は泣いていなかった。
 白寄りだろうと黒寄りだろうと、私は彼のあの沈んだ灰色の瞳が大好きだった。何だったら今でも好きだ。ベランダでは、ひゅうっと冷たい風が吹いて、そうは言っても3月になったばかりなのだと気づかせる。

 3月で、付き合って7年目になるね。7年目を迎えるのに、7度目の浮気だなんて、もう周年記念に浮気をしているみたいでそれはそれで記念になるんじゃないだろうか。
 なんて、自分でも吐き気がする。

 ごめんね、飯沼くん。

 でもやっぱり、私は虹よりも灰色が好きだと思ったんだ。だから、それまでの浮気相手も灰色の影や瞳の奴らばかりだった。でもね、今回の7度目の、浮気ではない浮気相手は、どちらかというと虹色だったんだよね。どうしてだろうね、明るい輝きには興味がないのに、ちらとでも、虹をみようと思ってしまったのかも知れないな。

 全面黒にゴールドの文字で『JPS』と印刷されている空になったたばこの空き箱をぐしゃりと握りつぶした。ふっと、何かの光がゴールドのロゴに反射して一瞬だけ、色を滲ませる。
 虹。

 時々ヘルプに入るスナックがある。銀座や六本木なんてTHE繁華街ではなく、快速の止まらない駅の駅から少し離れた、町の影にあるスナック。驚くことに平均年齢75歳のホステス嬢たちの店。多分リハビリ代わりにでもホステスをしているのだろうな。いつだったか、点滴を持って出勤してきたホステスさんにはさすがの私も驚いたけれど、まあそれでも本人達は楽しくやっているのだ。そこのママさん(御歳70歳!)には昔お世話になっていたこともあって、呼ばれればヘルプで週に1、2度出勤する事もあった。まもなく37歳になる若くも老いてもない私は、接客ではなくカウンター要員。

 ホステスもホステスなら客も客である。年齢層は50歳から80歳とやはり高く、そして広いのだった。
 だから、20歳後半だろうソイツがくるのは珍しいことだったし、驚いた。しかも端正な顔立ちで物腰も丁寧な好青年風なのだ。興味本位でからかいがてら顔を出す若者と言うわけでもなさそうだった。
                                                                             続              -冬は灰色やうやう⑥【連続短編小説】-
                                         次回:3月14日 12時 更新

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