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ひととせ④【連続短編小説】

※前回の「ひととせ③」はこちらから

「拠り所のようなものを自分の中に持つといいと思いますよ」

 職場に復帰すると決まったときだった。カウンセラーはそう言って両手を広げ、屈伸しながら僕の全身をかたどるようにして『等身大』の枠を作って見せる。

「こんな風に分身をイメージして作り、それを拠り所にしても良いかもしれませんね」

 冗談まじりに言っては笑い、これが合うかどうかは人によるけれどと付け加えた。折り紙以外にもいろいろと自分の中にあるといいということらしい。

 サキは気づけばそこにいた。
 ある朝に目が覚めると、彼女がそこにいたのだ。優しく、斯くも自然なその微笑みは僕の心と涙腺を刺激した。拠り所はここなのだと思うとどうしようもないほどに安心し、迷子になっていた子供が親を見つけたときにそうなるようにして僕は泣きじゃくったのだった。そして彼女は僕を受け入れた。それからもう半年、ずっとそばにいてくれる。

 僕が仕事に出ている日中、彼女がなにをしているのかはわからない。合い鍵を置いているけれど使っている様子は見られない。昼食や間食用にインスタント食品だったり食材だったりをある程度揃えて置いているけれど、それを食べている様子もない。僕が気づかないところで外出をして、彼女は彼女の時間を過ごしているのだろうと思うことにして、僕は聞かないことにしている。そもそも彼女がどこで暮らしているのかも、僕はしらない。

 それで良いと思っている。

 僕が聞かなくても、彼女はここにいるし、僕の作った折り紙を興味深く観察しては、広げてみたり、自分でも折ってみたりと楽しそうにしているのだ。それで十分。僕は、僕がいるそのときにそこにサキがいるのであれば、それが全てであると思うことにした。目に見えるものだけが全てじゃないと言うけれど、目に見えるものは少なくとも真実の一つだと思う。


「川崎さん、もう一度休憩してみても良いかもしれませんね」
 月に1度の定期通院で、担当のカウンセラーが言った。彼は僕の目をまっすぐに見て、すぐに机に向き直った。机の上には僕の作った折り紙たちがあって、彼はそれを1つ手にとり、その色や形を確認すると僕が持参した紙袋の中にしまう。それを5度ほど繰り返していた。

「職場には私の方から話をしてみますね」

 にこりと笑って、紙袋を僕に渡す。わずかに触れたカウンセラーの手はほんのりと温かく、少し大げさだけれど、人肌に触れた気になり、やっぱり僕は少しだけ泣いた。

 念のため両親にも連絡しておいたほうが良いと言うので、帰り道を歩きながら母に電話をした。簡単に説明をし、母がそうかと言う頃、僕は横断歩道を渡っていた。そういえば、僕に折り紙のいろいろな作品を教えてくれたのは母だったと思い出す。思い出していると、左側から黒く大きな重い影が迫っていた。

 鈍いなと思ったその瞬間に、僕はその車にはねられた。

 持っていた紙袋が手から離れて宙を飛ぶ。その宙を僕が仰ぐとそこには大量の梅の花が風に舞っていた。

「結局散るんじゃんね」

 そう言っておかしそうに笑ったサキを思い出す。

 こんなときなのに、僕は梅の花を作るのにはさみを使わなければ良かったのかもしれない、などと思っていた。

                                                                             続                        ひととせ⑤【連続短編小説】-                                                   1月30日 12時 更新

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