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2月3日絵手紙の日

「お誕生日おめでとう!」

 家に帰ると母がクラッカーを鳴らしって私を出迎えてくれた。

 私は今日13歳になるのだった。けれどこんな演出は初めてである。

「いやぁ、大きくなったね」

 そんな風に笑っていい、なぜか手を出して私の鞄を預かってくれた。私も靴を脱ごうと、靴に手をかけると母はそれを制した。

「ごめん、コンビニ行ってきて欲しい」

「えー」

「ごめんね、麻の好きなエビフライを作るためよ」

 にこっと笑い、両手の平をあわせてお願いと言った。私のエビフライの為かと思うと仕方なく了承した。そのまま財布を受け取り私は今し方閉めたばかりの扉を再び開けて家を出た。

 2月に入って、手がかじかむ日もあれば今日のように風がほわっとなま暖かい日もあり、寒暖さが体にしみるのだった。暗くなった道を行き、生ぬるい風を受けながら三軒隣にあるコンビニに到着する。

 家につく前に言ってくれたらいいのに、などとぶつぶつつぶやきながらも、頼まれたパン粉を探す前に雑誌コーナーへ向かう。いつも読む雑誌の発売日が昨日だったはず。そう思って見ていると、カメラ雑誌を見つけた。表紙には綺麗な梅の花の写真があり、思わず手に取った。

 そう言えば去年の2月には梅の花の絵を描いた。

 ぼんやりと1年前を思い出す。私は写真が趣味なわけではない。けれどこのカメラや写真の雑誌はこれまでも時々読むのだった。それは絵手紙を描くための素材にするためである。いろんな被写体がキレイに掲載されているので、とても良い絵の参考書になるのだった。

 小さな頃に一緒に暮らしていた祖母が絵手紙を描く趣味をもっており、私はよく絵の描き方やその手紙の書き方を教わった。小学生の時には仲良しだった真緒と一緒によく絵手紙を描いてはそれをお互いに渡し合ったりしたのだ。月に何枚も描いては交換し、時々は母に切手をもらい、実際に送ってみたりした。ポストに届く絵手紙は何だかそれを描いた本人が来てくれたようで嬉しかったのを覚えている。

 でも、体を壊してそこからケアのある施設に入所し、同じようなタイミングで私も真緒も中学生になり、クラスが分かれると生活もバラバラになってしまったのだ。

 絵手紙のやり取りもそこで途切れてしまった。私も私でバタバタと毎日が過ぎて行き、気づけば春から1枚も描かずに今に至る。

 真緒は元気だろうか。同じ学校でもクラスも違うとあまり見かけないものだ。

 少し、寂しい。

 私は買う予定ではなかったカメラ雑誌を手に、頼まれたパン粉と一緒にレジに向かう。母の財布から支払いを済ませるとコンビニをあとにした。

 また描いてみようかな。そう思い始めるとワクワクした。また絵手紙を描いて、真緒と祖母に送ってみようかな。

 家に付き、ふとポストを、開けると1枚のはがきが入っている。

『麻ちゃん、お誕生日おめでとう。また遊びたいな』

 その字と共に描かれているのは誕生花である『節分草』だった。思いがけないプレゼントに

私は少し涙が出た。そこにはまるで真緒がいるように感じる。

 私も、描こう。描いて、私を届けよう。

 考えただけで描いてもいないのにワクワクするのだった。生ぬるい風が私に触り、私は扉に手を掛けた。

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【今日の記念日】
2月3日 絵手紙の日

日本絵手紙協会が制定した「絵手紙」をかいて送ることを世界中に呼びかける日。日付は2と3で絵手紙の「ふみ」と読む語呂合わせから。絵手紙は季節の風物などに短い言葉を添えた手紙で、書き手の感性や人柄が感じられる魅力的なものであることから趣味とする人が多い。


記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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