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12月15日ただの記念日

※本日は日本記念日協会認定記念日はありません。そのため、今回は著者が勝手に作った記念日の小説としています。

「おめでとう」

 昔、仲が良かった友人に急に言われたことがある。中学生の頃だった。何かに合格したわけでもないし、何かが決まったわけでもない。まして自分の誕生日でもその友人の誕生日でもなかったのに。彼はおめでとうと私に言った。

「何だっていいんだよ。世の中には、毎日何かしらの記念日があるんだってさ。だから当てずっぽうにおめでとうと言っても何かにあたっているんだ。平々凡々な何もない毎日を生きるよりも、記念日にかこつけて目出度い毎日を生きる方がずっと幸せだろう」

 そう言って笑っていた。中学三年生の今時分、高校受験のまっただ中だった。

 以来、私には彼の言ったその言葉がずっと残っていて、何かにつけて今日は何を祝えるだろうかと思って生きるようになった。彼の言った事はいくらか正しい。毎日何かを祝えることは、ただ自然に嬉しくなるのだった。

 でも、記念日がない日も存在する。厳密には、公開されている記念日の中で自分の思うものがないということ。もしかしたら今日は花子ちゃんの誕生日かもしれないし、太郎さんの還暦を迎える日なのかもしれない。でも、私が知る記念日一覧の中に思うモノがなかったのだった。

 朝、それを知って少しだけ困った。今日は何を祝うべきなのだろうと。別に毎日祝わなくてもいいし、例えば記念日がある日だって、私が祝おうと祝うまいときっと関係がないのだろうけれど、それでも毎日少しだけ意識していた自分としてはやっぱり少しだけ困ったのだった。

 そんな日にはだいたい仕事でミスをする。
『ちゃんとしている』人はきっとしないだろう、うっかりミス。午前中、私は悶々とミスを悔いていた。今すぐにでも無責任に仕事を辞めたいとも思った。

 これはもう今日は『反省記念日』だ。

 でも、と私は昼休憩で思う。あの時の友人はとても嬉しそうな顔でおめでとうと言っていた。記念日は微笑むべき日でありたい。例えば反省記念日に反省をして、私はそれを微笑む事など出来ないだろう。

 笑うことなくまじめに反省します。その上で、笑って今日を祝いたい。


 祝うべき事がないのなら、『ただの記念日』にしよう。

 記念ではなく、なんでもないことを祝えばいい。

 小石に躓いた日でもいいし、テレワークでwi-fiが途切れやすい日でもいい、確認漏れが多い日でもいいし、もしかしたらそれを同僚が良く思っていないかもしれない日、でもいい。それでも人から良く見られたいと思う日でもいいし、仕事が出来る人だと思われたい日でもいい。そして全て笑って忘れる日にしても良い。

 何でもいい。祝うための口実を作ればいい。そしてそれを祝うことが出来るならば、たとえ情けないミスをした日だとしても、もしかしたら自分のことを少しは好きになれるかもしれない。

 だから、どんな記念日にして、どんな記念を祝ってもいいけれど、そのすべてが自分を愛することの記念日になりますように。反省しても自分を愛せる様に。

 今日は、全世界の人が今日の自分を一番に愛する記念日にしましょう。

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