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7月25日 親子の日

    社内報に写真を載せても良いかと言うので、承諾したわけだけれど、届いたそれを見てみると、見開き1/4ページと言う、そこそこに大きく載っていて驚いた。

 数年前に行われた家族訪問イベントでの一枚だった。

 当時、私の子はまだ幼く、私一人で会社に連れて行くことが不安だったので、母に同伴をお願いした。ちなみに平日開催のイベントだったため、夫は仕事のため不在。そうして母、私、娘と親子三世代でイベントに出社した。似ているね、可愛い、などと娘をちやほやされて喜ぶ私と、孫を可愛がられて喜びつつも自身も初めての娘の職場で上司や同僚と顔を合わせて緊張していた母である。

 写真はそのときに撮ってもらったものだった。

 今年は世の状況により、社外の人を大勢呼ぶようなイベントは開催出来ない。そのかわりと言うように、これまでの家族訪問イベントの写真をまとめて社内報の特集記事にしたらしい。

「ね、親子3人、すんごく似ているね」

「お母さんとお子さんがめちゃくちゃ似てるよ」

「あなたはお母さんに似たのだね、同じ顔だわ」

 社内報のそれを見た人たちからは、すれ違う度に声を掛けられるようになった。もちろん、ほかにも写真が掲載されている人はたくさんいる。その上で、私の写真を見て声を掛けてくれる人が多いのだった。

 皆が言うように、確かに私と母は似ている。そして私と娘も似ている。結果として、3人が似ていると言うのは確かにそうかもしれない。私も社内報のその写真を自分で眺めてそう思う。

 たとえ性格が全く違う親子でも、構成された細胞の一部は思い切り親から受け継いでいてその顔や表情に表れているのだろう。

 写真で見て似ているのは、やっぱり親子なんだなと実感する。


 おおらかで自由な母と、完璧主義のくせにその能力に乏しく、そんな自分に嫌気がさしてばかりの私。いわゆる思春期には、私は毎日母につっかかっていたように思う。

 母はただ、毎日きちんと見守ってくれていただけなのに。

 自分の気持ちや行動をうまくコントロール出来ずにもがく私を、母はずっと見守っていてくれた。時に必要な手を出してくれていたのに、私はそれさえ拒み、噛みついていた。それでも母は私を見守り続けてくれたのだった。

「貴方がどれほどお母さんを嫌ってもね、親子なんだから私は絶対に手を離さない」

    母が言ったその言葉は今も私の胸にある。

 その母の気苦労がようやく分かるようになったのは、私が大人になってからである。

 そして、その手がいかに温かく、子供にとって大切なものであるかと理解したのは、私自身が母になってからだった。

    母は、今ももちろん私を見守ってくれているし、私の子供の事も同様だ。

    私も、自分の子供に母のような手を差し出せる親でありたいと思う。たった1度だけの手ではなく、ずっと出し続けてあげられる母でいたい。

   そうして娘もそうなって欲しい。

    似ていても似ていなくても、私たちはずっと親子である。

······激似だけれど。


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【今日の記念日】

7月25日 親子の日

と子の関係を見つめて、生をうけたことを感謝できる社会を築こうと、長年親子の姿を撮影し続けてきた写真家のブルース・オズボーン氏が代表をつとめる「親子の日」普及推進委員会が制定。日付は5月の第2日曜日が「母の日」、6月の第3日曜日が「父の日」であることから、翌月の7月の第4日曜日としたもの。「親子の日」普及推進委員会は第5号「記念日文化功労賞」を受賞。

記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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