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イメージVS肉体

イメージを認識する人間は、それに付随する記憶、感情、無意識を喚起され「頭の中で」リアリティを感じる。しかし、それは頭の中での認識の話に過ぎず、経験としてリアリティを持っているわけではない。

イメージは嘘つきだ!!

だが、私たちは普段生活をする上ではそんなことをいちいち意識することもなく、戦場の惨状を伝える写真に怒り、推しキャラのイラストに悶え、今は亡き者を懐かしむ。イメージは人間の認識のバグに巧妙に働きかける。

私もそんなイメージと人間の関係を虚構だ、病理だと目の敵にしてきた。しかし、そんなことを批判したところで現実の社会はそんな風に回ってはいないのだ。

私が十歳頃、仙台で被災した時もそうだった。一週間近く電気・水道・ガスを絶たれた後、電気が復旧して私が一番最初にしたことはDSを充電してドンキーコングをプレイすることだった。とにかく、安心したかった。虚構でもいい、自分の日常を取り戻すために画面に向き合うのだ。イメージの世界は最早、自分の日常の根幹に深く根を下ろしていた。

だが、一方で今にも家を押しつぶさんとする地震の最中、自分の肉体の実存をいつになく実感したのも揺るがぬ事実であった。

死んでしまったら世界もクソも無いんだから。

現時点では肉体を捨てる術がない以上、私たちはそんなイメージと肉体が(完全に一体にならずとも)不可分に混ざり合った世界にいるような気がしている。それも、私たちがイメージの支配する未来への過渡期にいるからではなかろうか。


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