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地獄で苦しむ?

神奈川県の端っこ、駅前ロータリーに面したファッションビルの1階。
両親の経営する宝石店がありました。

私は20代の頃、この店の接客や仕入れの手伝いをしていました。
お客様は、私の母親世代からそれ以上の年配の女性がほとんどでした。

来店されるお客様は、来る度にお買い物をされることはありません。
一日の仕事の多くは、お客様の話を聞くことでした。


そんな中でも、印象深いM様の話です。

M様は週に2回、駅の近くの整形外科に通院される時に
立ち寄ってくださるお客様です。
還暦を少し過ぎたくらいのご年齢で
小柄で可愛らしい方ですが、
大病を患ったご経験があるとのことで、
実年齢よりも年配に見えるお客様でした。

ある日の午後、M様が突然ご来店されました。
いつものご来店時間と違うので、少し驚いてお迎えしたのを覚えています。
M様は挨拶もそこそこに、お客様用に用意した椅子に座りました。

「M様、こんにちは。どうかされたんですか?」

「うん。…あのね、お稽古のお師匠さんが亡くなったって。
これからお通夜の手伝いに行くのよ。」

「そうでしたか。」

「…優しくて、いつも明るい笑顔で…、いい人だったのよ。」

泣き崩れるということはなく、ただただ、呆然とした様子でした。
M様は、詩吟のお稽古に長年通われていると話をしていました。
私はどんな言葉をかければ良いのか、分かりませんでした。

「さぁ、行かなきゃね。明日、また来るわね。」

自分に言い聞かせるようにそう言い残して、
店を後にするM様を見送りました。
杖をつきながら歩く小柄な背中を見送りながら、
寂しい気持ちになりました。

翌日の夕方。

M様は昨日に輪をかけて、呆然として来店されました。
椅子に座ったまま黙り込んで、ただ前を見ています。

「お疲れ様でした。…どうかされましたか?」

私が声を掛けてもM様はこちらを見ることもなく、
大きなため息をつきました。
私はただ、M様のそばに黙って佇むことしかできません。

「…どういうことなのかねぇ。」


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