うるさい夜(脳腫瘍 9)
回復室はナースステーションの前にあり、手術を終えた患者はまずここに運び込まれる。
私の他にも数人患者がいて、カーテンで仕切られているので見えないが、隣のベッドの患者のところに見舞客が来て話しているのが聞こえた。
挨拶している口振りから察すると、家族以外の人も来ているようだった。
私は手術が済んだばかりで眠いのに、話し声が邪魔になって眠れない。
それでも、手術の間心配していた家族がやっと患者と面会できたのだからと我慢していた。
聞くともなく聞いていると、家族と見舞客とが、患者に関係ないどうでもいいような話をしている。
こんなところで話さなくてもいいのに、うるさいなぁ。
何時間たっただろう、ずいぶん長いこと話していたが、やっと客が帰り、その後すぐ家族も帰って静かになった。
やれやれ、これで眠れる。
と思ったら、今度は看護師が来て、これまたどうでもいいような話を始めた。
どうやら、家族のだれかが持ち込んだ旅行のパンフレットを眺めているらしい。
治ったらここに行こうとか、家族が患者に見せて元気付けていたものだ。
看護師はそれを手にとって(見えないから想像だが)、
「ここ、結婚式場もあるんですよねぇ」
などと始めた。
以前行ったことがあるとかないとか、ひとしきりそのリゾートホテルの話題で盛り上がる。
いい加減にして欲しい。こっちは手術の後で、疲れて、眠くてたまらないのだ。患者の見舞客だから我慢していたが、看護師のお喋りまで我慢できない。
「ちょっと、そこで喋っている人、看護婦さん?」
声を振り絞って呼び掛けると、ぱたりとお喋りが止んだ。
「うるさくてしょうがないわ。少し寝かせてもらえない?」
この剣幕でお喋りな看護師も退散。
今度こそ眠れると思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
これから手術を終えて運ばれてくる患者に備えて、ベッドを動かしたり、器具を入れたり、大騒動が始まった。
ベッドのサイズが合わないとか、高さがどうとか、器具が入らないとかなんとか。
ギーギー、ガチャガチャ、ドタドタ……物音と、人の動き回る音と、話し声の嵐だった。
その都度「すみません」と謝られ、わけを聞かされれば文句は言えないが、その後も幾度となくベッドや器具を動かす音がしてうるさかった。
とうとう眠るタイミングを逃してしまい、頭はぼうっとしているのに神経が冴えて眠れなくなった。
窓にブラインドが下ろしてあるので、外が明るいのか暗いのかわからないが、宵のうちから準備して、患者が運ばれてきたのは午前零時に近かった。(という印象だった。本当はもっと早い時間だったかもしれないが)
生死にかかわる大手術だったようで、付き添って来た主治医が何度も患者の名前を呼んで、意識があるのを確認している。
「○○さん、○○さん、わかりますか?」
と、部屋中に響き渡るような大声で叫んでいる。
○○さんはかろうじて意識があるらしいが、数分置きに名前を呼んで起こされる。
本人はそっと寝かせておいて欲しいだろうに。
素人の浅はかさでそんなことを考えていたが、意識がなくなると危険な状態だったらしい。
放っておくと呼吸困難に陥ってしまうらしく、人工呼吸器か何かの(知識がないのでわからないが)装置を付けているのか、呼吸音がやけに大きく聞こえてきた。
音を聞いているだけでも、相当容態が悪いらしいのがわかる。
つきっきりで名前を呼んでいた主治医がどこかへ行ってしまったと思ったら、代わりに看護師が来て、やはり数分置きに名前を呼ぶ。
30分置きぐらいに痰を吸引する音も響く。
夜中に延々とこれだ。とても眠るどころじゃない。
それにしても、先生も大変だ。どこかへ行ってしまったので帰ったのかと思っていたら、また戻って来て○○さんに呼び掛けている。
一体どんな病気だったのか。後日看護師さんに聞いてみたが、プライバシーにかかわることなので教えてもらえなかった。
どこのだれだかわからない、顔も知らない○○さんではあるが、容態が安定して無事に退院できたことを祈っている。
さて、○○さんの騒動とは別に、同じ部屋の違う一隅には人工透析を始めることになった患者がいた。
腹膜透析なので、看護師が透析液の取り扱いについて説明していた。
自分で透析液の入った袋を交換する方法について、取り扱うときの注意点について、事細かに説明している。
「退院して家に帰ったら自分でできるように」と言っているから、今すぐ自分でさせるために説明しているのではなさそうだ。
だったら、なにも夜中にしなくてもいいのに。朝になって、自分の病室に戻ってからゆっくり説明しても間に合うだろうに。
それに、他の患者に遠慮して少しは声を潜めてもよさそうなものだのに、なんだって大声で話すんだろう?
回復室には他にも患者がいて、手術の後は眠りたいと思っていることなど考えてもいないのだろうか?
患者が具合が悪くて声を出したり音を立てたりするのは仕方ない。
しかし、この回復室では、うるさいのは患者ではなく、看護師の話し声だった。
それも、不必要な話をしたり、配慮のなさから来るもので、実に腹が立った。
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