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リコーのワープロマニュアル作成

 ビジネススクールの仕事と並行して学習塾でもまだ教えていたが、マニュアルライターの仕事も探して、リコーから新しく出る予定のワープロのマニュアルを書いた。
 これは製品の開発中に、製品に同梱する取扱説明書と、初めて使う人のための具体例を載せた手引きを書いておく、という仕事だった。

 リコーからマニュアル作成の仕事を請け負った会社がライターを募集したので、私も応募して採用された。
 採用されたのは全部で10人ほどで、私以外はフリーライターとして働いている人たちだった。
 それぞれが取扱説明書を100〜200ページずつ分担して書くことになった。

 このページ数を見ると驚かれるかもしれないが、マニュアルは文章ベタ打ちではなく画像もたくさん入るので、文字数が200ページ分あるわけではない。
 とは言え、それだけのページ数のマニュアルを書くのは大変だ。

 この新しいワープロは、文書作成だけでなくグラフィックやレイアウトの機能もあり、後のDTP(編集ソフト)のようなものを目指した機種だった。
 同じページに縦書きの部分と横書きの部分を混在させられるし、画像も入れられるので、これを使えば新聞も作れるというのが担当者の売り文句だった。

 書き始めるまでに打ち合わせが何度かあり、採用されてから実際に書き始めたのは2ヵ月も後になってからだった。
 開発者の作った分厚い仕様書の自分が分担するページをコピーして渡され、家に持ち帰って読みながら、ユーザーがわかるように使い方や説明を書く。
 新製品の取扱説明書を書くということは、製品がまだできていないうちにその操作方法を書くわけで、実物がないから仕様書を読んだイメージで書いていく。

 何人ものライターが手分けして書くので、文体を揃えるのはもちろん、用語の使い方や表現も統一しておかなければならない。
 仕事を請け負った会社の人たちにとっても、マニュアル作成は初めての仕事だったらしく、何事もスムーズにいかずに大変だった。

 待機時間が長くて実際に書き始めたら時間に追われ、原稿が少し仕上がるたびに持っていって見せなくてはならないのも面倒だった。
 一般家庭にファックスなどなかった時代だ。

 書いたものを持っていって見てもらうと、文言を直されることがあった。
 自分が操作することは「〜する」、画面上の変化は「〜される」というふうに書き分けること。
 これは確かにその通りで、これがきちんと区別されていないマニュアルは、果たして自分が操作しなくちゃいけないのか、待っていれば勝手に表示されたり画面遷移するのかが分かりにくい。
 このとき指摘されたことは、その後のマニュアル書きでも役立った。

 ある程度書き上がった頃に、試作機ができてきたので使わせてもらいにいった。
 実際に動かしてみると、バグがあって仕様書通りには動かなかったり、仕様が変わっている箇所があったりした。
 仕様が変わった部分は書き直す。
 場合によっては、書き直したものをさらに書き直すこともあった。
 ストレスの溜まる仕事だった。

 私以外のフリーライターたちはみんな文章を書くことには自信があったと思うが、エッセイや商品の宣伝文を書くのとは違って技術的な内容なので、途中で音を上げて降りる人が何人か出た。
 そういう人たちの分がみんな私に回ってきた。
 担当者によれば、私の文章は説明が分かりやすく、書くのも早いから、ということだった。
 お陰で私は人の分まで納期に間に合うように仕上げなくてはならなくなり、家で「疲れた、疲れた」を連発するので、母に「もうやめなさい」と言われたのだった。

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