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部長のTさんとボケ話

 最初にお断りしておくが、私は「ボケ」という言葉を差別用語だとは思っていない。
「ボケ」は記憶力の低下など、誰にでも起こる自然な老化現象だと思っている。
 なので、私は「ボケ」という言葉をよく使う。

 以前、九段坂病院に入院中の話で「それは言えない(頚椎腫瘍 27)」に、ボケちゃっているらしいおばあちゃんのことを書いたが、あのときは「認知症」かもと思ったのを「ボケている」と書いた。

 当時は「ボケ」は差別用語だなどという風潮はなかったので、「ボケ」も「認知症」もごっちゃにしていた。
 というより、私が「認知症」という言葉を知っていたかどうか怪しい。

 ネットの情報によると、2004年に厚生労働省が「ボケ」「物忘れ」「痴呆」という言葉を廃止するために「認知症」という言葉に改定したそうだが、私が入院した2004年時点では一般にはまだ定着していなかった(ように思う)。

 この厚労省の考え方は、ちょっと乱暴だと思う。
「痴呆症」を「認知症」に言い換えるのはいいとしても、「ボケ」や「物忘れ」は誰でもあるし、病気ではないからだ。

 もうひとつお断りしておかなければならないが、こういうタイトルをつけたからといって、Tさんがボケているわけではない。ボケているのは私。

 私は昔は記憶力が良かった。
 こう書くと、年寄りにありがちな「若い頃は云々」という自慢のようだが、これも大方の高齢者が実感していることだと思う。

 例えば、英単語を辞書で引いて意味を覚える。
 10代、20代の頃は、自分が覚える気があればたいてい覚えられた。覚える気があるかどうかが問題だが。

 ところが、40過ぎてから、辞書を引いて意味を調べても、翌日になるとまったく思い出せなくて、また辞書を引いてしまうことが多々あった。

 そんなことで歳と共に記憶力が低下してくるのは実感していたが、人から何か聞いて、聞いた内容を忘れることはあっても、聞いたという事実を忘れることはないと思っていた。
 ところが、そんな自分の記憶力が怪しくなってきたことに気付いたのは、65近くなってからだった。

 Tさんが何か大事なことを私に言う。
 私はそんな大事なことを今頃言うなんて、もっと前に教えてくれなきゃ困る、と文句を言う。

「言いましたよ」
「聞いてません! 今初めて知りました」

 まだ自分の記憶力に自信があったので、そんな風に威張っていた。

 Tさんは、口頭で伝えると「言った」「聞いてない」の応酬で、口と迫力では私に負けるから、証拠を残そうと思ったらしい。

 Tさんが大事なことを言うので、
「それはもっと前に教えてもらわなくては困ります!」
 と例の調子で言ったら、
「前にメールしましたよ。◯日の◯時◯分のメールで」
 と言われた。

 その日時のメールを探すと、確かに受信していた。
 しかも、自分で内容をメモ帳にコピぺして、ちゃんとフォルダに保存してあった。
 それをすっかり忘れて、Tさんに文句を言ったのだ。

 そんなことがあってから、Tさんに何か言われて、聞いた覚えがないと思っても、威張らずに、
「私、まだ聞いていなかったと思うんですけど……」
 と低姿勢で言うことにした。

 日常生活でも、最近は物忘れがひどい。
 物忘れ、というか何というか、例えば、何かしている最中に、「そうだ、あれを◯◯しておかなくちゃ」などと思ったとする。
「これが終わったらしよう」
 そう思っていて、し終わったときにはコロッと忘れている。
 その間、たったの1〜2分。

 そんなことは日常茶飯事だ。

 困るのは、お風呂に入ってシャンプーしているとき。
 私は2回シャンプーするのだが、洗っている最中に、これが1回目なのか2回目なのかわからなくなってしまう。
 また、シャンプーは2回したのにリンスをするのを忘れて出てきてしまったり、髪だけ洗って体を洗わずに出てきてしまったり。
 お風呂から出た後で何か変だと気が付く。

 毎日17時の終業時に、MeetでTさんに「お疲れ様でした」と言うついでに、こういったボケ話をすると、Tさんはケラケラ笑う。
 あんまり可笑しそうに笑うので、吊られてこっちも笑ってしまう。

「大丈夫ですよ」などと慰められるとしんみりしてしまうから、笑ってもらう方がいい。

 一度朝礼でこういうボケ話をしたことがあるが、社長は得意の茶々を入れるし、AさんとMさんは負けずに自分のボケ話を始めるしで、これまた困ったものだった。

 Tさんは明るい人で、私のボケ話をケラケラ面白そうに笑ってくれるので、一緒になって笑ってストレス解消になる。

 そんなTさんだが、去年2月に会社を辞めた。
 その前年は大口のお客さんのカスタマイズ案件でてんやわんやの状態だった。
 Tさんはサポートと開発と営業のハブの役割をしていたので、それはそれは大変だったと思う。
 下手をすれば疲労で倒れるか、精神的な重圧でうつ病になりそうで、よく持っていると思っていた。

 カスタマイズ案件が落ち着いたところで辞めたので、仕事上は大きな支障はなかったが、私は寝耳に水で、お先真っ暗になってしまった。
 Tさんがいなくなったら代わりをする人(できる人)はいない。
 この先会社はどうなるのか心底不安になった。

 結局、社長を含めみんなで手分けしてなんとか回しているが、最初は本当に大変で、今までTさんのお陰でずいぶん楽だったのだとしみじみ思った。

 半年過ぎる頃にはようやく慣れたが、頭も神経も使うのでボケている暇がない。
 その代わりプライベートではボケまくりで、ボケ話を聞いて笑ってくれるTさんの笑い声が懐かしかった。

 去年の暮れにTさんにメールして、みんなの近況やその後の仕事の状況を伝えた。
 Tさんからは、
「人がいないと、いないなりに回っていくので、無理しない範囲でやるのが良いかと」
 という返事があった。

「私のボケ話を聞いて」と書いたら、大晦日に時間が取れるというので、電話して1時間近くもお喋りしてしまった。

 そのうちボケ話がたまったら、またメールしてみよう。


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