ブラジルの多様性

私の参加しているプラグラムには毎月課題レポートがあり、先月の課題は多様性についてでした。5ヶ月ブラジルにいてみての感想みたいな文章になってもいます。先月は結構辛めな月だったので少し暗めです😅かなり長めですがよかったら😃

今月のテーマは『多様性について』です。
•性
•人種
•宗教
•貧富
•学歴
•出身地
•生き方
•世代

•他にもいろいろ
視点は様々あります。日本との違いも多いです(僕も今回の訪日で逆ギャップ体験してます)。
異なる考え方が存在する、存在できる社会、世界は豊かと思います。一方、違いは争いを生むのも事実で、それは毎日のニュースをい見れば誰でも分かります。
僕らが皆さんに望むことは、今若いとき、損得関係のない立場で、上記のような多様性について、既存の価値観に囚われず、まずは観察して、ブラジル人たち話を聴いてほしいということ。
『多様性』を切り口に、どんなテーマでも自由。何か書いてください。ネットに書かれてることは聞きたくありません。自分が考えること、ブラジルで不思議に思う、理解できない、いいなと思うこと、などなど、周りの人たちと対話して、質問して、自分言葉で綴ってください。書式、分量すべて自由。
です。



『多様性』。「ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること」。
これは私がブラジルで一番好きなところの一つだと思います。

高校生の時にブラジルに留学した際、私は留学生なのにも関わらず、ホストファミリーは自分を本当の家族のように受け入れ、友人たちも一人の人として仲良くしてくれました。それが私にとってとても嬉しいことでした。留学後半はポルトガル語が割と流暢だった為、そしてブラジルには様々な人種の人がいる為、初対面の人から自分が日本人だと思われることも少なかったです。
日本に帰国後、アルバイト先の留学生と話していた時に「日本人は冷たいから国に帰りたい」と言っているのを聞いたり、厳しい難民の受け入れ制度や技能実習制度、外国につながる子どもたちの不登校の問題などを知ったりする中で、自分がブラジルで感じた居心地の良さを、日本にいる外国人の方々にも感じてほしいと思うようになりました。    
そして現在、もちろん人にはよりますが、多くの日本人と私が関わったブラジル人との大きな違いは、「異なるものを受け入れる姿勢と自己肯定感」だと私は思っており、これらを持っている人が増えれば多文化共生を実現することが出来る、またそれは教育によって身に着けられるのではないかと考えています。これまで約2年間日本の教育機関で子どもたちと関わってきましたが、そこでの学びとこれからの1年間のブラジルでの学びを組み合わせて、将来的に多文化共生を実現するためには子どもたちとどう接すればいいのか、自分なりに答えを出せる1年にしたいです。とはいえ自分が知っているブラジルもほんの一部にしか過ぎないため、多くのことを経験・勉強し、より深くブラジルという国やブラジル人を理解したいです。

以上は私が渡伯前に書いた文章になります。

ただ、私の3月までのブラジル像と現在のブラジル像は割と異なっていると思います。
田舎と都心、ホストファミリーと住むことと一人で寮に住むこと、高校生としての生活と先生としての生活。15歳と22歳。同じ国でも全然違います。
七年前に感じた居心地の良さ。
でも今回の留学では居心地が悪いと感じることも少なくなかったです。頑張らないとここにいちゃいけない感じがするけど頑張っても意味がない気がする。でも何を頑張ったらいいのかもよくわからない。頑張ったけどこれは自己満足に過ぎないのではないか。誰にも気にかけてもらえない感じがして、突然いなくなっても誰にも気がついてもらえないんじゃないかと感じる。

最近少し気がついたのはブラジル人と日本人の優しさの違いです。
日本人は自分の気持ちというよりかは相手を思いやるがゆえ、周りからどう思われるかを気にしているがゆえの優しさかな、と私は思います。ちょっとめんどくさい、手間もかかる、でも相手は喜んでくれるだろうし、嫌われたくもないし、周りの視線も気になるからやらなきゃ、みたいな。
でもブラジル人の優しさは、本当に自分がやりたいがゆえの優しさだと思います。逆に自分がやりたくなかったらやらない。
わかりやすいのは接客だと思います。お店に行った時に、日本ではそこまで接客がひどいなと感じたこと(この接客いいなと思ったことはしばしばあります)はないのですが、ブラジルはものすごいやる気の無さを感じるか、そこまでしてくれなくても大丈夫だよと思うくらいに尽くしてくれる気がします。

なにかをしてもらったとき、私は有り難いと同時に申し訳無さを感じます。ちゃんとお返ししなきゃとか、せめてしっかりお礼はしなきゃとか。
私のホストファミリーや友達は時々異常に良くしてくれるときがあります。最近、その時に申し訳ないとか、気にする、みたいな話を他のブラジル人の友人にした時、全然理解してもらえませんでした。ちゃんと説明したら、そんなの相手がやりたくてやってるから気にしなくて大丈夫だよ、でも気になるようだったらお返ししてもいいよ、と言ってもらいました。
逆に何かをした時に少し見返りを求めてしまう私もいると思います。以前留学した時、ホストファミリーがでかけている間に、喜んでもらいたくて家をピカピカにしたことがありました。でも何も言ってもらえず、少し悲しくなりました。今の仕事でも、他の先生たちが困っていそうだから引き受ける仕事がたくさんありますが、特にお礼を言ってもらえるわけではありません。結構大変だったのに、という気持ちになることも少なくありません。

研修先ではよく喧嘩している人たちがいます。私も巻き込まれたり、ずたずたに言われたりしました。私は友達とは喧嘩したことがない人だったのでかなり精神的に参ってしまいました。この話を日本の友人にした時に、よくそんなに喧嘩してめんどくさくないね、と言われました。たしかに日本では、特に目上の人に対して、自分の意見をはっきりと示して争うようなことは少ないと思います。理不尽に感じても、とりあえずハイと言っておいて流すことが多いと思います。

ブラジルの自分の意見をはっきりいうところ、上下関係のない文化はとてもいいところではあると思うのですが、この文化に馴染めば馴染むほど、本音と建前があり、上下関係がちゃんとあることの多い日本(特に東京)に馴染むことができなくなってしまうんではないかと怖くなってしまう自分がいることに最近気が付きました。
でもそもそも、馴染めないのが怖いってなんだろうと思いました。
ブラジルには、馴染めないことを怖がっている人に出会ったことは私はありません。みんながありのままの自分を示しているように私は感じます。
私は人の目を気にしすぎている。色々と考えすぎている。他の先生たちに嫌われたらどうしようとか。もっと自分のやりたいことをやらなきゃと最近思い、とりあえず髪の毛をずっとバイトや就活で出来なかった青色にしてみました。どうして髪の色で判断されないといけないんだろう、とふと思いました。

同僚に日本に行った時に女の子がみんな同じような格好で気持ち悪かったと言われました。人種の多様性がブラジルに劣るのは歴史的に当然だと思いますが、流行とか痩せている方がいいとか、本当は別にどうでもいいよなと思いますし、ブラジルにおいてそういう会話はないなと思います。どんな見た目でもその人が気に入っていればそれでいいんじゃないみたいな文化は素敵だと思います。

一方で、自分ペースで生きているとも言えるのでルールを守らない人が多かったり、それと関係してるのか犯罪率が高かったり治安が悪かったり、時間にルーズであったり。急な予定変更、ドタキャン、待ちくたびれることにはすっかり慣れてしまいました。ブラジルにいてチームワークを感じたことがほぼないので、相手を思いやる日本の文化が素敵だなと思うこともあります。

何が言いたいのかわからなくなってきましたが、一言で言うと「ブラジルには相手のことを気にせず自分のありのままややりたいことを表現する文化」があると思います。

しかし歴史を振り返ると奴隷制度があり、黒人や日本人が明らかに差別されていた時代がありました。

同僚や友人に今でも人種差別が存在しているかどうか聞くと

実際には存在している。法律がある。もし会社とか学校がそういう差別的なことをしたら罰せられる。
会社は黒人よりも白人を採用する傾向にある。
街で職務質問をされるのは黒人。
黒人の人に話を聞くと差別された経験がある。(肌の黒い友人に聞いたらたくさんそういう経験があると言っていました。でも言われる側の人はもう慣れているから気にしないとも言っていました。)
友達感ではおふざけな感じではあるが人種差別的な冗談がたくさんある。(私もそれはすごく日常的)
日系人の場合でも道でシンガーされたりする(暴言的なのを吐かれる)経験がある。
田舎よりも都心のほうがそういう事が多い気がする理由は、小さい町だとすぐに誰が差別したとかわかるけれども、都心だと人がたくさんいるから後になって誰が差別したのかわからないからではないか。

と言っていました。

外国人差別に関しては特にないんじゃないかと言われました。外国人だから悪いという印象はなく、それ以上にブラジル人が悪いことをしてると思うかな笑と言っていました。例えば日本では〇〇人が〇〇したみたいな報道がよくありますが、ブラジルではそういった報道は殆どないと思うと言っていました。確かにそういうマスメディアからなんとなくイメージが作られるよなと気が付かされました。
外国へのそういう偏見的なのはないけれども、リオでの事件が報道されることが多いから、リオのことを危ないと思っているサンパウロの人は多いと言われましたし、まるでサンパウロが安全かのようにリオは危ないという話をよく聞くなと私も思いました。

障害者差別に関しては、直接的な差別は少ないけれども遠ざける傾向にあるのではないかと言っていました。それは日本も同じように感じます。アルモニアは教室に障害を持った子が一緒にいて、アシスタントもついていて、その子のことを自然と手伝う文化みたいなのがあるので素敵だなと思います。

LGBTQに関しては今でも差別する人はいるけれども、日に日に状況は変わっていて、法律で認められましたし、意識的にも受け入れられるようになってきているのではないかと言っていました。

その他に、お金持ちの人の貧しい人への差別や偏見があるそうです。

確かに差別的なものや偏見はあるものの、だからといって日本のような人の目を気にして自分を隠す文化はないと私は思います。

高校生までの私は今の私よりももっと自由に生きていたと思います。だから色々と問題はあるけれども、自分らしく生きられるブラジルが大好きだったんだと思います。

でも大学生になって、このままでは社会で苦労すると、大人に1,2年生の時によく言われていました。なかなかきつい思いもしましたが、社会に馴染むためにどの職場の社員さんも自分のために言ってくれたんだなと今になって思います。自分のやりたいことよりも(そもそもやりたいことがわからないからとりあえず大手に就職したい人も多いですが)就活を意識して動く同級生たちはよくわからなかったし、アルバイトでは納得できないことにどうして納得出来ないと言ってはいけないのかよくわかりませんでした。でも学年が上がるにつれてそれが理解できるようになりました。就職活動では、面接官の様子と結果が一致しなくて本音と建前の怖さを何回も感じましたし、元々はどこまでもボランティアするような人でしたが現実を知ったり、親や友人たちの影響で大手企業とか年収とかそういうことを考えるようにもなりました。メインでやっていた飲食の接客の仕事も教育の仕事も、お客さんや、子どもたちと先生が何をしたら喜ぶか、何が必要なのかを考える仕事だと思っているので、自分よりも相手のことを考えて動くというのが習慣になったなと思います。
周りの友人も自由な選択をする人が多かったので今ブラジルにいるという選択をすることにはあまり抵抗はなかったですが、周りの様子を見て、気にして、周りが喜んだり楽になるために動き、かつお金を気にするようになった私にとって、今ブラジルで働くことは辛く感じることも多いです。
どんな仕事もできる分(例えば日本語のアシスタントは日本語の手伝いしか出来ないけど、私は英語の授業でも他の授業でも手伝える)、どこまでも手伝いたいけどそこまで体力があるわけでもないからそれを利用されては自分が潰れてしまいます、でも私がノーということをよく思わない人もいると思います。先生たちや生徒からの人気度は、他のアシスタントから嫌われることにつながります。自分の立場を誤解されてよくわからない話が先生間で広がっていることもあります。自分のもとに情報も回って来なくて、指示もない中でよくわからないけど周りを見てとりあえず動いてやってることも多いです。子どもたちは本当にかわいいし、大好きな先生も多いです。けれどもしんどい時もたくさんあります。でももっと私が人の目を気にせずに、自分のやる仕事をもっと信じられたらきっと辛くないんだと思います。子どもたちにどんな価値観を与えられたかという評価がなかなか見えづらいのは教育の難しさだなとも思います。

この1ヶ月はすでに1年半弱私はブラジルにいるのにも関わらず、1番カルチャーショックが辛かった1ヶ月でした。理解できないことがたくさんありました。きっといつになってもよくわからないかもしれません。けれどもちゃんと向き合ったから、ちゃんと向き合えるくらい言葉ができるようになったから辛かったんだと思います。

日本の思いやり(相手のことを思う)は素敵な文化です。でも相手からどう思われるかを気にしすぎて幸せじゃ無くなってしまってはどうしようもありません。ありのままの自分でいることも大切です。思いやりとありのままでいること、その2つが両立される世界はきっと幸せだと思います。

元々の自分の考えと、日本の文化と、ブラジルの文化。考えすぎて疲れてしまう日もあるし、変わり続ける自分の価値観に戸惑いを覚える日もありますが、残り半年、ちゃんと向き合い続けて、幸せで有りたいなと思います。将来が不安になる日もありますが、今この瞬間とちゃんと向き合っていたいです。

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