恩師の旅立ち
先生へ
高校三年間、先生は私のクラスの担任の先生でした。
そしてバドミントン部の顧問の先生でもありました。
私の高校時代の思い出のほとんどに先生の面影があります。
結婚式の時、新婦側の来賓挨拶を先生にお願いしました。
そんな依頼してくれたのは教え子でお前だけだな!今までになかったよと嬉しそうに快諾してくださって、それから少しお話をした時、
〇〇はどうしてるんだ?○○はそうか大学に入り直したのか!凄いな!などクラスや部活のみんなのことを聞いてきて、先生が教え子たちのその後をずっと心配してたんだなってなんだか嬉しく思いました。
先生は数学の先生でしたが、言いにくいですが先生の教え方はとてもわかりづらかったです笑
先生はテニスがとっても上手で、運動神経抜群!はっきり言って体育の先生になれば?!と思ってました。
でもいつの日か、私が進路に悩んでる時になぜ数学を勉強したのか、自分の好きを仕事にする楽しみみたいな話を教えてくれた時、先生はまるで子供のようにキラキラな目で饒舌に話してました。
部活の合宿の最終日のカラオケ大会で先生が歌うmy wayはなぜかすっごく上手で、めちゃくちゃ感情移入されて歌うから、お上手なのにその顔が可笑しくて部員と顔を見合わせて笑ったことを覚えてます。
先生はよく分からないことでいきなり不機嫌になったり、教室で着替えてる生徒がいるのに(女子校です!)ガラッとドアあけて『おーい、終礼だそー』と呑気に教室に入ってきて、、、きっと今だったら大問題になってたと思いますね苦笑
でも、先生はその本人が目指す道を信じて応援してくれる生徒にまっすぐな素晴らしい先生だったことを私は知っています。
私のクラスは受験クラスと呼ばれていて、上に付いている付属の大学に入らずに、他大を受験することを目的にしたクラスでした。ある意味、毎年受験クラスから国立大学や早慶などに合格する生徒を輩出するのが高校として大切なミッションであったと思います。
そんな中、先生は受験クラスの担当をしているのに、生徒にむやみやたらに国立大や早慶に行け!という先生ではありませんでした。
ある時、同じクラスだった私の親友(学校一の秀才、ある意味天才で東大輩出なるか!と期待されていた友人)が、進路に出家か誰も知らない聞いたこともないような大学を選んでいました。
私は先生に「おい、悪いんだけど○○○にさ、どこの大学進学希望なのか聞いてくれないか?」とお願いされました。
学校中が「東大か!京大か!?」という期待をよそに、彼女は違う道を選んでいたので、、、私は先生にこっそりその旨を伝えました。
きっと先生は何でだ?!○○○は東大じゃないのか?!困ったなとか困惑するだろうなと思いました。
でも先生は「そうか、まぁもったいないけど、ま、あいつがそう決めたならな!」と少しは困り顔でしたが、慌てふためくこともなく彼女の進路を見守りました。
期待されまくってるけど本当はそうじゃない、それが全てじゃないと悟り、ある意味全く違う環境に身をおいてみる実験をしたい彼女の気持ちを先生はどこかでわかっていたのだと驚きました。
普通、学校一期待されてる生徒が自分のクラスにいたら東大や京大を受けるように(確実に受かるレベルの頭脳だし)なんとか説得するだろうに、先生は「あいつがそう決めたなら!」と彼女の意思を尊重したのです。
あるときは、私の親友が高校三年の2学期くらいから学校に不定期登校するようになって出席日数がギリギリになり、卒業が危ぶまれるようになったとき、「おい、◯◯は元気か?あいつに昼からでもいいから学校に顔出してくれよ、色々あるんだろうから詳しくは聞かないけどさ、高校は卒業して欲しいんだよ、だからメールしといてよ」と。
私は親友にすぐにメールし、彼女はお昼過ぎに学校に来ました。
さすがに先生は何か彼女に言うのかなとおもったけど、何も言わず見守ってました。「あれぇ、○○○朝からいたっけ?」と声をかけ、親友が「いたよ、朝からいたいた!ねぇアンナ、私いたよねぇ笑」みたくふざけて言えば「そっか、気づかなかったなぁ」なんて言って出席簿に○をしてました。
先生はとっても扱いにくい先生だったし、クラスのみんなから好かれていた!とは確信して言うことはできませんが(笑)
私は素敵な先生だったと、先生が担任で、先生が部活の顧問で今も嬉しく思います。
私たちが20歳になって、部活のみんなと飲み会した時は先生とっても嬉しそうでした。私の結婚式の日も、先生とても嬉しそうでした。元々、目が米粒みたいに細いのにもっと細くなって笑ってましたね。
先生が9月にその命を全うされたことを、先日部活のコーチから教えてもらいました。
びっくりしました。いつかはいつかは消えゆく命だと知っても、勝手に先生は長生きするんだろうって思ってました。先生は今もテニスやゴルフを楽しんでるものだと思ってました。
まさか先生がこの世から旅立ったのだと、それを聞くことになる日がこんなに早く来るなんて思いませんでした。悲しいです。私は結構寂しいです。
「ねえ、先生ーーー!!!!!」
職員室の扉を開けると、
二列目の窓際の席にピチピチの半袖の白衣を着て(なぜ?白衣?しかも先生は謎にマッチョでいつも白衣がピチピチ、、、)座っていて、こっちを向いて
「おいおい、お前は、、、ノックぐらいしろよー、制服は?制服を着てくれよ、、、」
と言って、
いつだって朝練からそのまま全身青ジャージ(学校指定のすっごいすっごいダサいジャージ)または部活のTシャツでいる私に注意してくるんだろうな
って
今でも容易に想像できますよ、、、、
先生、せんせい、センセイ
結局、お別れの時って言葉が詰まるんですよね、、またいつか会えるさよならじゃないことを知っちゃうと、なんだかな、、、言葉なんてうまくでてこないです。
私たちの高校時代の担任の先生でいてくれてありがとうございました
私たちの大切なバド部の顧問でいてくれてありがとうございました
先生の教え子たちは今、立派にこの社会で生きてます!
そして私は今もそのとき出会った自慢の親友たち、部活の仲間に支えられて、あの時の夢を少しずつ叶えてますよ、、、
先生、ありがとうございました
仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも早幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば
ご冥福を心よりお祈り申し上げます💐
追伸:
先生、部活のみんなも寂しがってたよ、なんだかんだ言って、先生のこと多分みんな好きだったよ、、、
H3E Anna