「観るべき映画」指標の頂点

山田玲司が動画(「ヤンサン」)の中で言及していて興味を持ったので『スポットライト:世紀のスクープ』という映画を観始めたら、主要な登場人物の一人(編集デスク役)をMicheal Keatonが演じていた(彼が出ているのは知らなかった)。映画はまだ20分くらいしか観てないから、今から話すのはこの映画の話ではない。「出演俳優が〔観るべき映画の指標〕になる」という話。と言っても、贔屓の俳優を観るために観るべき映画を決めるという話でもない。

ちょっと、ややこしいが、こういうことだ。

特定の俳優が出ている映画は、仮にその俳優が出ていなかったとしても、その映画自体が、自分好みの映画である確率がすごく高い、ということ。

まだ、わかりにくい。簡単なことなのだけれど、説明するとなると、妙にややこしい。つまりこうだ。

世の中には数多映画が存在する。しかし自由になる時間や体力(視力)は限られている。人生は短い。その場合、映画の趣味が自分と同じかよく似た〔友人や有名人〕のオススメが参考になる(逆に、アマゾンのレビューは、「どこの馬の骨」が書いたかわからないので全く参考にならない)。しかし、一番アテになる「オススメ」は、どんな「大物俳優(big names)」が、主要な登場人物(最高は主人公)として出演しているのかということ。新人俳優は出演作品を「選べない」が、「大物俳優」は出演作品を「選べる」。だから、大物俳優は、自分自身が「好い」と思った作品にしか出演しない(はず)なので或る大物俳優が主役級で出演している映画は、自動的に、その俳優が「星5」をつけている作品とみなして(だいたい)間違わない。

で、長く生きて、少なくない数の映画を観てくると、自分と同じ〔映画の「好み・趣味」〕を持った大物俳優が見つかる。私の場合は、日本人なら山﨑努、外国人ならMicheal KeatonとNicole Kidman。彼らが主役級で出演している映画は、(ここが重要なのだが)ジャンルに関係なく、観れば、かなりの高確率で「ああ、好い映画だ。観てよかった」と思える。それは山﨑努やMicheal KeatonやNicole Kidmanを観られるからではなく(まあ、それもあるけど)、その作品の〔哲学や価値観や主張やモチーフ〕そのものを好いと思えるからだ。だから、極論を言えば、彼らの代わりに別の俳優たちが出ていても、私にとってその作品は「好い」映画なのだ。が、山﨑努やMickeal Keatonが出演していなければ、それが自分にとって「好い」映画かどうかは、事前には知りようがない。

以上、自分と〔映画の趣味〕があう大物俳優を見つけると、以降、「観るべき映画選びの指標」として彼らを使える、という話。そして、まだ20分しか観ていないけど、『スポットライト』は自分好みの映画の匂いがプンプンしている。Micheal Keaton指標は伊達じゃない。

ついでに余計なことを言うと、観ているのは当然「吹替版」。何度も言うけど、映画は本じゃないから(音声を聞きつつ、映像を鑑賞するものだから)。「字幕派」は、俳優本人の声とかセリフとかをどうこうって言いがちだけど、英語の言い回しの細かいニュアンスまで直に聞いて理解できるなら、そもそも字幕は要らないわけで。もっと言ってしまえば、映画の字幕って、経済的・技術的な理由を持つ「次善の策」「苦肉の策」としか思えないんだよね。映画体験を「損なって」いる気がしてしようがない。同じ映画を5周くらいして、登場人物たちが何を言っているか概ね分かっている状態になったら「字幕版」にしてもいいかも。そのときは、逐一、字幕を負う必要はないから、眼前に展開している映像を堪能できるし。しかし、その場合は、字幕を「英語」にしてしまったほうがいいよ。実際、私は、何周もしてるLynch作品群は全て英語音声・英語字幕で観てる。まあ、余計なお世話な話です。

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