人間の心。
もしもあなたが他人から好意的ではないと受け取れる言葉を投げかけられたとしたら、何と答えますか?
私は明らかに好意的ではない、一体私に何を言わせたいのか?と捉えられるような決して好意的ではないと捉えられる言葉を投げかけられたとしたら、とてもじゃないけど心穏やかではいられないです。
人間には皆等しく心があります。
その心によって、その口から言葉が溢れるのです。
恋人がいたとして、その恋人が、大好きな人が、自分を傷つけて来たことに対する『愛』と『憎しみ』によって作られた感情が言葉として溢れ出す。
それが人間ですよね。
世の中には色んな人がいて、色んな考えがあるのは当然です。
理解もしています。
だからこそ、嗚呼そうですか、と。
こんな人がいる、そんな人もいる、ただそれだけのことだと受け流すスキルみたいなものが現代人には必要なのかなと思う今日この頃です。
人間として生まれたのだから、人間らしく生きるしかないのです。
どんなに悲しいニュースや、辛く当たる人の言葉に触れたとしても、ただそれだけのことだと思える人でなければ、正気を保っていられないと思うのです。
夏の暑さと梅雨の憂鬱が人間の気分を右へ左へと揺さぶる日々ですが、お気持ちを強く持たれて欲しいなと思います。
それから。
同じ人間にも、ざっくりとしたジェネレーションギャップが存在しているように思います。
10年毎くらいに変わって来たその年代の当たり前は、たった10年で覆されてしまうほどのものだと意識出来ている人はかなり少ないように思います。
その10年が全てだと思い込んでしまうのが人間なのだと思います。
それは仮に50年経った人だとしても、50年間変わらないのです。
大体人格が形成される生まれてから10年の間でほとんどの人は考え方が偏ってしまうのではないかなと思います。
さらにそこから15年ほどで、変化を好む人、好まない人に別れて人格が凝り固まっていくのかなと。
(もちろん学びの姿勢がある人はそこから先もどんどん新しい情報を取り入れられるし、一概には言えません!)
そこから先は、ほとんど変わることがないのかなと。
(全員ではなく、大体の人がという意味です)
他人に合わせられる人はとても凄い人なだけで、そんなとても凄い人だらけの世の中だったら政治はもっと上手く行ってるのでしょうか。
むしろ国の政策による学童への教えによって人格自体が形成されてきたのではないでしょうか。
私は学校が大嫌いでした。
何のために学校に行っていたのか、何を学べたのか、その時間を捨てて音楽に勤しんだ方が幸せだったんじゃないか、と今でも考えてしまいます。
あなた個人の意志や意見、それはあなたにとってきっととても大切です。
ですが他人のそれを否定する権利はないと思うのです。
みんな等しくそうだと思うのです。
人は感情に溺れやすい生き物です。
いちいちそれに振り回されていては身が持ちません。
どうか他人や自分の感情に溺れてしまわず、ご自分の意志を見失わず、まっすぐに生きて欲しいなと願うばかりです。
今日はそんな、人間の心というのは常に好意的なわけではなく、好意を向けられた人に好意は向くのであって、好意的ではない人に好意を向ける人などいないはずで、むしろ好意的でない人に向けられたその笑顔やハリボテの言葉たちはウラハラな可能性が高いかもしれないお話でした!
それではまた来週!
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